HICPMメールマガジン第771号(2018.06.13)

みなさんこんにちは

NPO法人HICPMがわたくしが疾病で活動できなくなり、一時解散することも考えましたが、HICPMの活動はわが国の住宅産業にとって小さくても継続させるべきという会員の声で、活動を継続させることになりました。幸い3カ月経過し、視力も回復し、歩行器に頼れば歩くこともでき、糖尿は生活管理で何とか凌げる見込みが立ち、7月からHICPMの活動を私のできるところから再開することになりました。昨日はHICPMの図書等の資料を今回NPO法人HICPMをレスキュウしてくださった新しい川崎市中原区にあるボウクス社(内海社長)に第1陣の引っ越しが、ボウクス社の皆様の力で行われました。次回6月26日にパソコンと移転し、私は6月27日に新事務所に出勤する予定です。目下3つの病院への通院のため、週3回程度の出勤となりますが、しばらくは新事務所を整理へ運び込んだ荷物の整理をすることになると思います。みなさんのおいでをお待ちできるように準備します。

 

「注文住宅」の連載第4回目です。

第4回 等価交換販売と不等価交換販売(MM771号)

 

わが国では自由主義経済の下で経済が運営されているため、住宅価格は、「需要と供給の関係で市場価格が決まる」建前になっている。しかし、現実のわが国の住宅の取引価格は、本来の自由市場で決められる価格の2倍半もの高い価格で住宅会社により売却されている。どこの国でも住宅価格は年収の3倍以上で所得に比較し高い買い物である。日本では年収の8倍の住宅価格を高額と思わない異常現象が常態化している。国民が高額な価格を委譲と感じない理由は、住宅ローンが住宅会社の言いなりの行なわれ、消費者が価格相当の価値があると信じさせられて購入できるためである。

 

住宅の価値と価格:住宅の経済価値を表していない日本の住宅価格

わが国で住宅を等価交換販売していない理由は、坪当たりの「相場単価」が先にあり、「相場単価で作った住宅は購入できる」とする大雑把な社会的合意が形成されているためである。ローン担保の経済的な裏付けで、住宅金融業界が主導して、住宅ローン額を住宅不動産価値と信じ込ませ、不等価交換を容認する業界の慣行を建設行政が容認し、法律違反の不動産取引が社会的に通用させられている。その取引価格は、相場価格に延べ面積を乗じた額を、金融機関が融資する実績の積み上げで決められている。わが国には工事請負価格を見積もることのできる実施設計図書を作成できる技術を建築士はもっていない。工事見積もりに用いられる設計図書には代願設計が用いられ、工事業者の利益確保の概算で決められる。学校教育や業界では実施設計教育がなされておらず、使われている代願設計では材料と工法が特定されず、住宅に使用される材料と労務の数量と単価が正確に見積れない。

 

工事費見積もりには、不正確な概算単価と概算数量を使って概算額として計算されている。建設請負業者が住宅購入者から買い叩かれても、材料と労務量を確定できる実施設計自体が存在しないので、損をしないように操作できるので困らない。工事請負は利益が得られる概算見積もりをし、工事業者はそれに応じる設計変更ができる。工事見積もりが正確にできない業者は、住宅の不動産鑑定評価も当然できない。正確な不動産評価のできる人は設計者、施工者のいずれにもいない。住宅会社が販売額相当の住宅ローンを提供することで、「差別化」の説明によって、住宅の価値を適正と欺罔し消費者に住宅を販売価格で売り抜けている。当然、金融機関の行なうローンは、住宅の価値の2倍以上の担保を抑える不等価交換金融である。

 

住宅会社は購入者を満足させられる工事をしようと見栄えの良い材料を使用すれば、販売価格は高くなり消費者の購買力では販売できない。高額な価格で販売できる理由は融資額に見合った担保を押さえ融資しているからである。わが国の住宅の販売価格は住宅不動産の経済的価値を表していない。住宅の実際の販売価格は、金融機関が押さえた担保額であって、住宅の価値(直接工事費)を根拠にした価格ではない。本来、自由主義国の住宅の経済的価値は、需要と供給で決められる住宅市場での取引価格になる。しかし、わが国では等価交換販売が実施されていない最大の原因は、住宅の材料と工法を特定する実施設計図書が存在せず、正確な材料の数量も単価も明らかにできず、工事費見積もりができないためである。

 

工事費の内訳を何も説明していない「工事内訳明細書」

わが国では住宅総額の値引き交渉が行なわれても、工事費の内訳明細書の内容に踏み込んで、材料と労務の数量や単価の妥当性にまで検討して価格交渉をすることはない。建設業者が工事請負契約を締結するときの基礎になる実施設計図書が存在せず、建設工事に使用する材料と労務数量も単価も不正確な概略数量と材工一式の概略単価でしかないので、工事額が不正確にしか計算できない。この請負契約書では工事費管理が正確にできず、曖昧な見積もり額を目標に、関係する工事業者が工事内容を確定する実施設計が存在しないため、建設業者にも不正をしているという意識はない。

 

元請業者も下請業者も全ての関係業者が、損失を発生しないように粗利を加算して工事費を見積もり工事が行われる。工事総額にしか関心はない。住宅会社ごとに固有な見積もり方式があって、建設業法上の直接工事費を構成する主要な材料や工法ごとの単価を選択すれば、もっともらしく直接工事費が計算される。直接工事費にさまざまな営業・販売のための経費率が乗じられ、建設業者の利益を確保する住宅の販売価格が決められる。そこに登場する単価の中にどれ一つとして実際の取引単価は存在しない。

 

工事費内訳明細書と呼ばれる工事費を詳細に細分化された工事費に分解されて示されるが、それは工事費を細分化しただけで材料や労務の数量や単価を全く説明してはいない。そのため、工事の具体的内容は説明できていない。住宅建設業者自身が工事費内訳明細書を実際の工事との関係で説明できない。建設業者が消費者に提示する工事費見積もりを説明する工事内訳明細書も、すべて消費者に正確に見積もるとする形式上の説明で、実際の工事費内訳ではない。工事費見積を行なった建設工事業者自身も、工事費内訳明細書を使っても、顧客に対して正確な工事費の説明ができない。

 

実施設計教育自体が不在の日本の建築教育

わが国では建築設計教育が疎かにされ、「代願設計」を建築設計とする間違った教育をしてきた。代願設計図書とは建築確認申請を建築主に代わって出願するための設計資料である。わが国で建築士が設計図書として作成している代願設計は、建築士法上工事内容を確定する工事請負代金を見積もる実施設計図書として作成されるものではない。建築確認申請で建築主事の確認を受けることを目的にした代願設計図署は、建築士法上「その他の設計」と定義されてきた。その計画が建築基準法に適合するだけのでき説明をするもので、建築主の求める品質を持った住宅の設計内容を説明する実施設計ではない。

 

欧米の建築家法も、それに倣ってつくられた建築士法も、建築設計図書は建築学上定義された建築設計業務による設計図書(基本設計と実施設計)である。その設計図書は人文科学に基づき作成される基本設計図書とそれを基に、建築主の求める工事価格で建設できる実施設計図書で、予定した建設工事で建設できなければならない。日本には大学の建築学科では、欧米で行なわれている建築設計教育は存在しない。代願設計(建築確認申請書の説明書)を、実施設計の代わりに作成して、それを基に施工業者が損をしないように工事費の見積もり、工事を実施することに、不誠実な請負工事の原因がある。

 

代願設計はわが国の大学では、建築基準法に適合する建築主のための建築設計として教育され、わが国の大学や高等建築教育機関の建築設計教育は代願設計が設計教育の全てになっている。欧米のような基本設計図書も実施設計図書も存在しない。そのため、建築基準法に適合する建築物はつくれても、居住者の成長に対応し支払い能力で購入できる工事職人が手慣れた工事として施工できる設計はできない。生活に合わせて住宅を育てるのではなく、建築主の目先の要求に合わせた建築になる。結局、当初の設計を変更させ、行き当たりばったりの要求を継ぎ接ぎだらけの住宅に改変させられることになる。挙句の果ては、スクラップ・アンド・ビルドの対象とさせられる。

 

新築当初から販売価格の半額の価値しかもたない住宅

わが国の新築住宅の価格は、代願設計を基に施工業者がそれぞれのやり方で工事納まりを決める住宅である。その建設工事費は材工一式の略算単価で工事費見積もりを行ない、工事業者の利益確保を目的にした工事用設計図書をつくり、下請業者が行った工事費見積もりに下請業者の粗利を積み上げ工事請負契約額を計算し、重層下請工事の場合、その見積額で工事請負契約を締結する。欧米の場合、原則「1層下請け」であるため、重層下請けによる粗利を累積請求することはない。欧米では下請工事は材料費と労務費で構成され、建設業者が工事を管理し、下請業者の管理利潤(粗利)を見積もることはない。

 

その住宅が工事請負契約書通りの価値があることを建設工事をする建設業者自体が証明できない。工事費見積方式が社会的に明確でないために、見積総額は建築主の支払い能力と無関係に計画・都市計算され、適正であるとは言えない。住宅に契約書どおりの価値がなくても、契約額通りの住宅ローンが提供されるため、住宅会社は消費者の購買量の範囲で買えると説明して販売してきた。住宅購入者と住宅供給会社との間で、本来実施されるべき工事費内訳明細書をめぐる工事内容の納得行くまでの説明と交渉は、価格交渉に必要な資料が消費者に提供されていないため、行なわれていない。

 

結果論から言えば、わが国の新築住宅の取引価格は、新築住宅販売価格の40%程度の新築住宅の直接工事費に10%の粗利を加算した概ね販売価格の半額以下であるが、その実体の説明が住宅購入者に提供されていない。わが国の住宅の販売価格は、欧米と比較すれば、同じ程度の品質の住宅であれば、その事実は住宅購入者に知らされていないが、欧米の常識で言えば、わが国の2倍以上に高額である。わが国では住宅産業が販売したい金額の住宅ローンを金融機関が巨額な担保を押さえて、返済不能は金額を「返済可能」と住宅購入者に説明して融資するため、消費者は高額な住宅をその支払い能力の価格と勘違いさせられている。金融機関は住宅の価値は融資額の40%程度の価値しかないことを知っていて、融資額相当の担保を押さえて融資するため、金融機関は損失を受けない。消費者は融資額の半分程度の価値しかない住宅を販売価格通りの価値があると勘違いさせられて購入させられる。

 

そのような「消費者を欺罔する不正」が罷り通っている理由は、わが国の住宅政策は住宅産業の利益本位の政策で構成され、消費者不在の政策が半世紀以上継続しているからである。政府が平成25年度に行った「中古住宅の流通改善調査したラウンドテーブル報告書」で、わが国の国民は例外なく購入した住宅の価値の半分以上を50年以内に失うと記述している。それは日本の新築住宅が不等価交換販売を行っている事実を説明するものである。日本政府と住宅産業は、「差別化」販売を正当化し、不等価交換販売で不正利益を挙げることを住宅政策として正当化してきたが、消費者がその政策によって大きな損失を被ってきた住宅政策責任を全く自覚せず、消費者の救済は住宅政策の対象にされていない。政府の政策は、新築住宅で詐欺を許し、中古住宅を安価に買い叩きリフォームを行ない、新築住宅に準じた価格で販売すれば、大きな利益をもたらすリフォーム産業政策と経済政策でしかない。

 

欧米とわが国の住宅不動産の資産価値評価

日本の住宅・産業政策と欧米の住宅・産業政策とを比較すると、住宅不動産に対して、現在の日本と欧米とは全く違った考え方に立った評価になっている。戦前の日本では現在の欧米で考えられているように、「住宅を所有することで、その不動産が個人の経済的な支えとなり、個人に信用を与えるもの」と考えていた。住宅をどうしても手放さなければならない場合でも、その住宅は購入した価格より、一般の不動産投資以上の値上がりが期待されていた。住宅不動産は優良株式同様、計画修繕と善良管理義務を果たし、社会的によく管理された住宅不動産として評価され、その資産価値は「推定再建築費」まで増殖し、住宅不動産を手放すことで新しい人生を拓く上で必要な資産になった。その意味では、日本の伝統的な住宅不動産の考え方は、日本人の経験的に人文科学的考え方に立つもので、住宅不動産は大切に手入れをすれば、資産価値は物価とともに上昇する「身上」〈財産〉と考えられていた。

 

西欧で財政状態の厳しいPIIGS(ポルトガル、イタリア、アイルランド、ギリシャ、スペイン)諸国をここ数年掛けて、私自身、駆け足で調査して見て回り、どの国も日本よりはるかに豊かな住生活が営なまれていることに驚かされた。「その理由は何だろうか」。住宅自体は古くても、生活に必要な改良が繰り返された見苦しくない(ディーセント)住宅で構成されている。人びとは現代の生活要求に合った住宅に改良を繰り返し、「わが家」の個性をもった魅力的な住宅として等価交換取引がなされていた。国民が生涯に亘って支払い能力に見合って最大の努力を払って最良の住環境を維持している。それが、「住居費負担が最小」の経済的価値が安定したPIIGSの住宅であった。

 

日本のように購入した住宅の半額以上の価値で住宅を安く買い叩かれ、中古住宅販売時にはリフォーム業者が高額なスクラップ・アンド・ビルドを繰り返し、新築に模して高額で販売し利益を挙げている国は日本だけである。わが国のリフォーム事業は、リフォーム業者の利益本位で、消費者本位ではない。国民は住宅の取得に巨額な資金を支払い、住宅所有者の利益本意ではなく、住宅産業の利潤を最大化に向けた住宅産業本位と日本の経済政策本位に支出させられてきた。住宅所有者は退去時には購入額の半額も戻ることはない。日本の住宅政策は住宅産業経営本位で、住宅を取得した国民の家計費本位の経営がされず、国民は国家の住宅産業政策と経済政策の犠牲にされてきた。

 

世界の財政的な貧困国PIIGSを歩いてみた実感は、日本と比較して国民の住生活は貧しくなく、国民の大多数は新築住宅ではなく、手入れの行き届いたディーセント(見苦しくない)な住宅に生活し、貧しさを感じさせない。PIIGS諸国と日本を比較して国民を経済的にも、生活文化的にも豊かにしている国がいずれかを考えたとき、日本から多数の観光客がPIIGSを訪問し、その生活環境をうらやんでいることを見ることで、わが国国民もPIIGSの住宅政策を支持しているように感じられた。

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