HICPMメールマガジン第864号(2020.01.20)

みなさんこんにちは

(メールマガジンTND連載第19号(第861号)から全豪まで番号に狂いがあり申し訳ありません。)

                                                

TND連載第22回:わが国のバブル経済崩壊の後始末

1985年、「円高とドル安」の為替の異常状態を是正するため日米を含む5か国の先進5か国 (G5) 蔵相・中央銀行総裁会議で「プラザ合意」が締結され、円高が1ドル240円から130円に急騰し、政府の金融緩和の流れに乗り、わが国の1990年代末のバブル経済を膨張させた。わが国は米国の不動産を盛んに買収し輸入住宅は急拡大した。1980年新設された住宅・都市整備公団がバブル膨張とバブル崩壊に翻弄され経営破綻し2006年に解散させられた。日銀が金融緩和後の事態を制御できず、突如の金融引き締めでバブル経済は崩壊した。バブル経済崩壊に伴う不良債権の処理を政府は誤った。不良債権を抱えた「バブル経済で荒稼ぎをした護送船団」は地価暴落で破産したが、政府の「借入金の利払いをすれば、良債権と見なす」扱いで破産から救済されたが、債務者は金融奴隷にされた。その間違った金融・財政政策は20年以上継続し景気の足を引っ張り、経済を構造的に破綻させた。不良債権処理のため、小泉・竹中内閣は憲法違反の「聖域なき構造改革」を実施し、バブル崩壊による地価下落で失われた富を、地価をバブル経済崩壊前の地価水準に引き上げる都市再生事業を実施した。その政策は、都市計画法及び建築基準法を改正し、既存容積率を4倍増する都市再生事業により、不良債権を救済したが、都市計画法改正で都市秩序は破壊され、災害に弱い危険な都市をつくってしまった。

バブル経済が崩壊し護送船団を構成する国、金融機関、公庫・公団・公社及び産業界が抱えた不良債権を都市再生事業による「高層高密度土地利用計画への変更」により、容積率を約4倍にする現代の「徳政令」で地価総額を4倍に膨張させ不良債権を反故にし、護送船団を救済しようとした。地価下落で抱えた不良債権を都市再生事業で帳消しにした。都市再生事業は都市計画法違反の開発許可行政で、都市施設整備をしないで都市開発密度を既存の約4倍まで詰め込み、災害危険都市が建設された。

 

「プラザ合意」に始まるバブル経済を推進した住宅・都市整備公団とその破綻

都市再生事業で財政破綻を切り抜けたわが国は、日米安全保障条約で石油価格の安定と日米関係で、経済的には安定的に推移し、国内景気は2020オリンピックの開発景気に酔い、都市再生事業の歪など経済の奥に潜む経済の歪みが隠蔽させられている。その状況は、40年前の状況によく似ている。1980年わが国は経済的に行き詰まり、行政改革により日本住宅公団と宅地開発公団を合併させた。当時、公共住宅を不動産市場に出しても売り尽くせず、小出しに発売回数を増やして売却していた。公団や公社の開発した住宅が売れ残り、建設しても売却できない危険性が高いとされ、公団マンションの鉄骨が組み立てられた状況で工事が中止され、無残なゴーストタウンが週刊誌を賑わせた。政府は「行政改革で公団・公社の整理が必要」と判断し2公団を合併させ効率性の高い公団を創設した。

創設された住宅・都市整備公団は都市計画法違反の「市街化調整区域での都市開発」で巨額の都市開発利益を狙った公団が創設された。その経済膨張の時代感覚を逆転させたのが、ベトナム戦争の終焉とドル危機であった。米国の経済危機を救済するために開催されたG5の蔵相・中央銀行総裁会議で、円・ドル交換比率変更の政策合意(プラザ合意)が行われた。当時、わが国は世界経済の全貌を正しく理解できず、ドル危機により「円がドルに対し2倍の価値を持つこと」になった理由を、日本経済には能力があり、又は、日本人の潜在能力によって、世界の経済の「3大極」に一角になると言う根拠のないデマをでっち上げ、日銀は金融緩和に走り、「土地の買い替え特例減税」を使い、土地の買い替えは都心から郊外へ、やがてリゾート開発と言って山林原野開発にまで進み、「1億総不動産屋」と揶揄されるバブル経済が演出された。全材の都市再生後の都市開発とよく似ている。

「土地の買い替え特例」はバブル経済に油を注いだが、宅地供給過剰が危惧されているのに、新公団では、300haを超す大規模な都市開発を市街化調整区域で行なうことが計画された。それらの土地は1968年に英国の都市農村計画法に倣って作られた都市計画法の下で行われた。都市計画区域には無秩序な市街化を防止し計画的な市街化を図るために、市街化区域と市街化調整区域の区分を設け、市街化区域は既に市街化を形成している区域とおおむね10年以内に優先的、計画的に市街化を図るべき区域とし、市街化調整区域とは「市街化を抑制するべき区域」と定められた。都市計画法をその条文を文理どおりに解釈すれば、住宅・都市整備公団は市街化調整区域では開発はしてはならないと規定されていたが、政府が実際に住宅・都市整備公団に実施させたことは、都市計画法に真っ向から違反し、市街化調整区域での都市開発工事を中心に行なわせた。その理由は、市街化区域はすでに地価が高騰し、住宅・都市整備公団では事業出来ないほど高価になっていた。

一方、市街化調整区域の地価は農地価格に制限され、農地転用を禁止する見返りに農地並みの租税で、安価に取得できた。国は都市計画法違反を承知で政治家と官僚の利権を拡大するため、住宅・都市整備公団に市街化調整区域で開発をさせた。政府は住宅・都市整備公団法立法時点から、都市計画法違反を行なわせる制度設計が行なわれた。住宅・都市整備公団は、市街化調整区域で300haを超える大規模都市開発を行なう計画をし、農林水産省官僚を住宅・都市整備公団に採用する「都市計画法施行に関する建設省と農水省の覚え書き」が結ばれ、適法化できる抜け道をつくっていた。「都市計画法違反を前提に都市計画法の開発許可制度が立法されたこと」も異常であれば、「都市計画法違反の都市開発を行なう目的で住宅・都市整備公団の創設し、農水省人事の受け入れを計画し」都市計画法違反をおかす建設省と農水省とが「覚書」を結んで「都市計画法違反」を犯す政府も「法治国」として異常である。

住宅・都市整備公団は、1980年当時のわが国の既成市街地の都市施設である道路幅員4m時代に、都市計画法で定めた「開発許可の基準」(第33条)の道路幅員6mを遥かに超えた幅員の鉄筋コンクリート造の道路で整備された。その理由は、その素地買収費用が販売価格に比較すれば、タダ同然の素地価格(農地価格)で取得できたからであった。そのことを農林省から住宅・都市整備公団に出向していた農林官僚から都市計画法違反の建設行政が農村破壊によって実現していることを聞かされた。建設省は公団や公共事業を行なう道路建設や宅地開発事業に財政投融資資金を利用させていた理由を政府が道路建設や宅地開発を支援するためと思っていたが、政府が道路や宅地開発に利用させる財政投融資資金は、産業融資向けの7.5%以上の高金利で、政府の金利稼ぎが行なわれていた。

公団は宅地開発で利益を挙げていないと外部に説明していたが、公団に融資していた財政投融資は、公団への宅地造成事業で高い金融で、政府は大きな融資差益を得ていた。公団の開発する宅地は公団の原価販売ではあったが、販売価格が高いためその宅地での住宅建設は進まなかった。そこで租税措置法により敷地面積200㎡以下の敷地については、固定資産税を6分の一にすることで住宅の建設を促進することになった。言い換えてみると租税特別措置法の課税標準価格が、国民の支払い能力に相当する宅地価格で購入させるためであった。この減税措置は国税庁の税収確保が目的でしかなかった。

 

「いじめ人事」に利用された開発利権人事

当時、私は宅地整備公団からの人事で住宅・都市整備公団、都市開発計画部、都市開発調査課長の辞令を受けていたが、実際に配属されたところでは、私のルーティン業務は旧日本住宅公団と旧宅地開発公団の間での利権争いにより、旧日本住宅公団は新公団の都市開発計画部の市街化調整区域での都市開発利権(都市開発計画部都市開発調査課長に帰属する利権)を都市開発事業部のみに稟議し、都市開発調査課長に稟議しないことで都市開発事業部の審査業務を押さえようとしていた。

一方、志村住宅・都市整備公団総裁は、宅地開発公団総裁時代に実施してきた宅地政策を新公団でも踏襲しようと宅地開発公団から新公団に持ち込んだ都市開発計画部都市開発調査課長の業務は組織上確定され、組織は作られた。しかし、新公団の都市開発計画の都市開発調査課長の業務は、実権を握った旧日本住宅公団の暴挙で、実際の稟議書の流れは消し去られていた。その理由は、私が都市開発調査課長として配属されたとき、建設省住宅局長救仁郷斉が、公団に派遣する建設省住宅局の割愛人事権を握っていた。私が建設省建築指導課長補佐時代に、田中角栄の列島改造委員になった黒川紀章と菊竹請訓に建設大臣の行政処分執行のお膳立てをし「救仁郷斉の局長昇進人事の妨害をした」と恨み住宅局外に放逐した。彼はそれだけでは満足せず、私の出向先にまで業務妨害をする「いじめ人事」を私の公団の上司、都市開発計画部担当久保田誠二理事に「いじめ」を申し入れていた。その「いじめ人事」は、旧日本住宅公団と宅地開発公団の開発計画利権対立に直面していた久保田誠三理事に、旧日本住宅公団の利権に肩を持ち、「都市開発調査課長をルーティン稟議から外し、、都市開発事業部で都市開発計画部の事務が完結する稟議に与することで、旧日本住宅公団の利権拡大に利用された。

志村総裁は旧宅地開発公団総裁で、旧宅地公団の組織を新公団の組織に取り入れたが、宅地開発事業部の実務部隊は旧日本住宅公団が抑え、やがて日本住宅公団から移動してきた田中角栄の引きで副総裁になった大塩洋一郎が、志村総裁を追い出し、住宅都市整備公団の宅地開発利権を田中角栄に提供することで総裁に就任した。旧宅地開発公団から引き継がれた都市開発調査課長のルーティン業務は実施不能にされた。都市開発計画部には農林調整業務の参事役と旧日本住宅公団が行なってきた中小規模の都市開発計画の参事役が置かれた。大規模な都市開発計画を行なう都市開発計画部都市開発調査課長業務は稟議書の扱いで抹殺された。私が志村総裁に都市開発調査課長の置かれた状況を説明したとき、総裁の構築した組織が破壊されたことを知り無念がったが、総裁が退任内定で後の祭りであった。

 

バブル経済時代を作り上げた田中角栄の「列島改造論」

わが国は四半世紀に及ぶ不良債権問題に縛られ、財政赤字は国家財政破綻直前まで進み、わが国経済が国際社会において競争していた中国経済からも置き去りにされてしまった。その原因となったわが国のバブル経済とその後のバブル経済崩壊後の都市再生事業の時代、産・学・官の全関係者が、バブル経済からバブル崩壊後の衰退経済の責任を回避し、総括をしたがらず、その原因とわが国の現在から未来への取り組みを検討せず、経済破綻の原因を隠蔽し、国際社会から取り残されてしまった。

わが国の経済問題の出発点が、日米安全保障条約を基本に据えた米軍の兵站基地の軍需産業経済を推進した総理大臣の中心が田中角栄で、その政策理論が『日本列島改造論』であった。田中角栄は米国の利権を脅かす危険人物として米国により政権から追われたが、田中角栄は日米安全保障条約の枠組みの中で個人的利権の拡大を進め、米国の産業資本利権と対立した。

田中角栄は建設省行政と深い関係をもち、国土開発利益をもたらす政策を行なった首相である。田中角栄は自民党幹事長時代に官僚を束ね『都市政策大綱』をまとめ首相になり、その後、国土開発政策を、下河辺淳を頂点に官僚を束ねてまとめた『日本列島改造論』は、日米安全保障条約を基本にした高度経済成長時代のわが国の経済政策の基本となった。その国土政策は地価高騰に便乗した高度成長時代の「地価と株価の相乗効果」を基本にした官僚政策であった。田中角栄は官僚の昇進と、官僚の権力行使を田中角栄の派閥政治力と結びつけ、官僚に中央と地方の政治家になる具体的展望を田中派の「地盤と算盤」与えることを『日本列島改造論』で明確に示した。田中角栄はこの政策で官僚を収攬し、官僚と政治家が癒着し政治を操作し、わが国の政治経済を田中角栄の意図通りに操作した。

田中角栄は直接的に国会が介入できない公団・公社、金融公庫を支配下に置き、人事権を濫用し、官僚の欲望を満足させる官僚主導政治を行ない田中角栄の支配を拡大した。日本道路公団、住宅・都市整備公団、郵政公社、新幹線や航空機網を経営するJR,航空機産業と輸送・港湾業など田中角栄の利権は、「新全国総合開発計画」に位置づける政策に書き上げた。経済企画庁次官、下河辺淳と住宅・都市整備公団総裁、大塩洋一郎は、『都市政策大綱』と『日本列島改造論』を中心になって纏めた田中角栄の知恵袋で、官僚の業務を網羅的に規制し、国内権力を「日本列島改造論」の実行部隊に構成した。

 

都市計画法の混乱と住宅・都市整住宅備公団「政官癒着記念事業の犯人取り物帖」の幕引き

新都市計画法では英国の「都市農村計画法」で定めている「計画許可」を「開発許可」に名称を変更して立法作業が行われたが、その条文は民法第87条に定める「土地と建築物はそれぞれ独立した不動産である規定」に抵触することが判明した。民法を所管する法務省と都市計画法を立法していた建設省の調整協議が行われておらず、国会上程予定日にその調整はできないことが分かった。しかし、都市計画法案はそれまでの政治的宣伝との関係で廃案にはできず、結局、法務省との法案調整を行なわずに、民法規定に適合するよう都市計画法を手直しし上程された。即ち、新都市計画法は立法する大義名分を失ったが、都市計画法の内容と切り離しても立法させることが目的となり、、新都市計画法は「矛盾の塊」で、都市計画違反を犯さなければ施行できないほどひどい立法になって成立してしまった。

行政改革により創設された住宅・都市整備公団は、巨額の開発利権と財政及び金融を政治権力と行政権力を使って都市開発を行なう事業体質になった。田中角栄を背景に政治利権と行政利権を駆使することで台頭した大塩洋一郎や救仁郷仁らにより志村清一は総裁職を追い落とされ、初代総裁として描いた都市開発の夢は何一つ実現できなかった。建設省と住宅・都市整備公団は政治家に巨額な資金を流す機構としての機能を果たしただけで、南大沢に建設した日本建築学会賞をお手盛りで与えた住宅開発事業は、雨漏り事故で国会を賑わす手抜き工事スキャンダルが指摘された。業者に手抜き工事を指示し、不正利益を官僚が召し上げ政治家に政治献金した。それにより自らの昇進を果たした公団職員や建設省官僚たちは、住宅購入者への損害賠償は税金でその業務責任を取らず、自らの地位と利権とを守った。

住宅・都市整備公団が次世代に誇る開発として開発した住宅団地は跡形なく解体され、証拠を隠滅が行なわれ、関係者を海外逃亡させ、責任をうやむやにした。住宅・都市整備公団と建設省が中心になって、エポックメーキングな事業として日本建築学会の表彰を行なわせた事業は、次世代に繋げる街づくり遺産ではなく、住宅事業史に汚点を刻印した。物理的には跡かたなく破壊し不正工事の証拠の隠蔽し、関係者は責任を取らなかった。国会で集中審議され、「大山鳴動して鼠一匹」の諺どおり、マンション購入者の巨額な損害は税金で支払い、刑事犯罪者なしの奇々怪々な「捕り物帖」は、政治家、官僚、公団理事多数が週刊誌を賑わし、責任者なしで幕引きされた。護送船団を構成する産業界、行政・官僚、政治家、学者・研究者の大祝賀事業が、国会と司法を巻き込んで、全てが無責任で終わる事業になった。

(NPO法人住宅生産性研究会 理事長 戸谷 英世)

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