HHICPMメールマガジン第847号(2019.09.18)
みなさんこんにちは
第5回
「セレブレイション」の原点:「シーサイド」が提起した「自由時間都市」
「創業者ウォルト・ディズニーの挑戦が何であったか」をアイズナーが提起し、ディズニー社を挙げて時代の要求として、TND(伝統的近隣住区開発)の方向付けが合意された。「セレブレイション」は、米国社会が置かれていた世界の経済力が、米国、EU共々、経済能力の回復した時代背景を考えた。米国社会は安定成長の時代に入り、米国社会で爆発的人気を勝ち得た事業は、利益追求本位の事業ではなく、人びとが自由な時間を豊かな生活に向けて使う時代に変化していた。世界全体が好況の流れに向かい、経済活動が活性化し、人びとは誰からも拘束されない自由な時間の拡大を求めるようになっていた。
「シーサイドの人気」:TNDによる「自由時間都市」の実現
「お金を増殖できなくても、自由な時間の確保したい」要求が拡大し、独・仏が推進するEEC(ヨーロッパ経済機構)ではEU(欧州連合)の実現を目指していた。経済成長を前提に「労働時間を短縮しても賃金を下げないで済む社会」を目指し、EUと同様に自由時間都市の開発が取り組まれていた。労働時間を短縮し、生活に必要な賃金をこれまでのようには増殖できなくなっても、自由時間を拡大できれば、個人の生活を豊かにするライフスタイルは確実に拡大する。そのため産業界を挙げて、労働時間を短縮する労働生産性向上の取り組みが、世界的な規模で取り組まれた。豊かな自然の中で家族が中心になって新しい自由時間を享受するコミュニティ開発が、米国(フロリダ)では1980年、TND理論を構築したDPZ建築家夫妻と地元ディベロッパー、デービスによりシーサイドで実現された。
「シーサイド」(フロリダ)で古くから都市開発に取り組んでいたディベロッパー、デービスは、米国のハーバード、イエール、スタンフォード等の大学で既にフランスの自由時間都市の研究が進み、都市計画として自由時間を居住者のために消費するニーズの高まりを承知し、米国における有能な知識人たちの要求として自由時間都市実現の検討を始めていた。チャールズ・ムーアによるシーランチ(カリフォルニア)の開発など、知的関心の高い人たちに求められていたリゾート開発と同じ開発需要が全米に拡大していた。デービスは全米で4番目に美しい海岸、シーサイドでの自由時間都市を構想していた。デービスは自分が子供のころからのシーサイドでの生活が、現代社会が求めている自由時間都市で求められていると理解した。現代社会でストレスの高い知的労働に従事している高学歴階層たちに求められている時代の要求に対応する開発として、シーサイドの土地でTNDに取り組む決心をした。
リゾート開発「シーサイド」を一般住宅地開発「セレブレイション」へ
デービスはこれまで米国の南部を中心に優れた居住環境調査と設計に従事してきたDPZに逢い、意気投合した。そして、デービスはDPZにシーサイドにおけるリゾート開発をTNDによって取り組む計画を依頼した。米国社会の頭脳集団が非常の厳しい労働環境のストレスの中で働いている事実と、これらの頭脳集団の生活環境改善のためには、彼らが長期間に亘って自由時間を家族と一緒になって享受することでストレスを解放することは、創造的な仕事を発展させる上で必要と考えた予想は的中した。
ディズニーによる「セレブレイション」の原点になった「シーサイド」の調査研究の中で、エベネザー・ハワードが目指していた住宅地開発は、基本的にTNDと同じものであると理解されたが、「ニュータウン・ブルー」(新都市は寂しい)に象徴されるとおり、ハワードの理論による住宅地開発には、都市の未熟性段階の欠陥が残されていることが指摘されていた。アイズナーは「セレブレイション」開発の最大の目標を、ハワードによるガーデンシティの「初期段階に実現できなかった住環境の高い熟成」を、全ての入居者が入居時から享受できることを、都市開発段階の都市熟成問題に取り上げた。
ディズニーはTNDによる一般住宅地プロジェクトを「セレブレイション」(祝賀)と命名し、ハワードが実現した『明日へのガーデンシティ』の理論により開発された「セレブレイション」を、「ハワードの実現できなかった夢の実現」を「祝賀する事業」とした。そして過去の成果を乗り越える目標を設定し、自発的な技術革新に取り組んだ。そのTNDの目標実現の重点は、開発段階はもとより、人びとが居住した以降も居住者が求めている居住環境を、居住者が主体性を持って創造し続ける居住環境経営を、居住者の適正経済負担で実現することであった。住民合意により住民が中心になって行なう住宅地経営を、「アイディア・ハウス」のような人びとの歴史文化に照らして豊かな生活を発掘し、生活改善のルールを形成し、住民合意を行なうTNDにより、高い満足の得られる住環境が具体化されると確信した。居住者が自ら選択した個性的な環境を、住民の合意したコミュニティ経営によって確保できる住民自治(オートノミー)により実現する喜びは、完成したものをお金で購入する満足より高いものであり、住民自らが努力して勝ち得た住環境は、住民が主体性をもって大切に維持管理されると考えた。
米国の住宅産業風土:「住宅による個人資産形成の実現」
「セレブレイション」の住宅地開発が話題に上ったのは、「シーサイド」が、住宅産業や不動産業界からの提案ではなく、一般社会や一般紙(メディア)を通じてそれを「これからのあるべき住宅地」として提起され、TNDによる「セレブレイション」は米国の社会現象になった。アイズナーはTNDの歴史を徹底的に調査させた。ハワードがベラミー著『顧みれば』に啓発され、1900年に、『明日へのガーデンシティ』の理論がハワードにより提唱され、ロンドン郊外でのレッチワース・ガーデン・シティで実践された。その住宅地開発がその後に米国社会だけではなくドイツやフランスでも取り組まれた。それらはいずれも、「住宅を取得することで個人資産形成を目指す開発」である。米国での代表的な例が、ラッセル・セージ財団による「フォレスト・ヒルズ・ガーデンズ」(ニューヨーク)やジェイシー・クライド・ニコルズによる「カントリークラブ」(カンザスシティ)である。「セレブレイション」は、ハワードに始まる100年の住宅地経営史を祝賀する事業とされたように思われる。
これらの住宅地開発は1928年ラドバーン開発によって飛躍されて実現するはずであったが、1929年世界恐慌により住宅産業が破綻した。アメリカ社会は住宅産業の復興のため、1934年FHA(連邦住宅庁)がNHA(ナショナル・ハウジング・アクト)を制定し、住宅モーゲージ債権の債務保証を行ない証券化した。そのMBS(モーゲージ・バックト・セキュリテイ)証券をファニーメイ(FNMA:連邦住宅抵当公庫)に買い上げさせ、金融証券市場に流通させることで米国政府は住宅金融投資を回収することに成功した。その結果、米国の住宅金融が無尽蔵に住宅建設資金を供給する住宅金融2次マーケットが形成できた。MBSにより「住宅取得で個人資産を形成する」不動産投資の考え方を社会的に定着した。MBSの制度は、この制度を科学的に金融証券制度の流通に乗せるため、不動産鑑定評価制度(アプレイザル)とモーゲージ証券「MBS」の市場流通(金融2次市場)の形成があるが、実は住宅不動産の資産評価を裏付ける「需要に支持された品質の住宅不動産開発と不動産経営と不動産流通が相俟って発展したからである。
戦後の米国では、ウイリアム・レービットによるレービット・ハウスとレービット‣タウンの開発により、木造ダイアフラム(平版)構造の開発と、木造耐火建築物を実現する防耐火区画(ファイアー・コンパートメント)の技術と法制度とが整備された。木造住宅による防・耐火性能を実現する高高気密・高断熱の住宅品質により、火災保険と住宅金融制度により不動産取引を円滑な軌道に乗せた。米国の不動産業界は社会経済的な裏付けを与えられることで、不動産取引を安定活性化させ、都市開発を健全に成長させる基礎をつくった。その結果、国民が安心した不動産取引を行なえるようになった。
シカゴ大学は住宅不動産の原価評価を基に作られた不動産鑑定評価論に、等価交換理論を基に住宅の資産価値の相対的取引を基にした相対評価理論化をし、さらに、住宅不動産投資が生み出す利益を資本還元評価する方法を確立した。その不動産取引理論を学問として纏めることに成功した結果、住宅不動産取引を安定化させ、住宅不動産鑑定評価法を安定した不動産取引技術とした確立した。米国の不動産鑑定評価学会(アプレイザル・インスティチュート)こそ、ホーム・インスペクション制度と相俟って、住宅の計画修繕と善良管理義務により、住宅不動産取引を安定化させる技術の土台を作っている。
「ガーデンシティ」の生みの親、E・ハワードに対するM・アイズナーの挑戦
ディズニーがダミーの会社を使い、ディズニーであることを隠しフロリダの土地を買収した時代はベトナム戦争で国家は疲弊し、ドル危機が米国経済を覆い、米国の国家全体としての経済低迷時代であった。その閉塞社会を打破し未来社会への展望をつくるため、ウォルト・ディズニーは新しい事業開発を考えた。事業を起こすには土地が不可欠と考え、土地の先行取得に取り組んだ。ウォルト・ディズニーにとっても、取得する土地の利用方法は分からず、過去に誰も経験したことのない事業として、新しい事業の挑戦に必要な土地買収を闇雲に行なわせた。土地買収が完了しても新時代が求めている新規事業の企画は生まれなかった。そこで取り敢えず社会的なニーズに応えるためのテーマパーク事業を行なった。
そのテーマと事業規模の大きさが前代未聞の時代のニーズに応えていたため、エポックメーキングな事業とテーマパークの話題性により社会的評価を受けた。しかし、「セレブレイション」開発自体はウォルト・ディズニーが構想した計画ではなく、ディズニーの死後、ディズニーの希望していた事業を社員が後追いして考えたものである。ディズニー社の第5代社長アイズナーがその業務を引き継いだとき、フロリダでのディズニーのテーマパーク事業は順調に展開していた。それでもディズニーが買収した土地の半分はまだ未開発の状態であった。そこでアイズナーは、「ウォルト・ディズニーが生前実現したいと思っていたことがテーマパーク作りだったのか」と疑問を提起した。アイズナーは、「初代社長は米国がベトナム戦争の敗北で米国社会全体が閉塞状態に陥っていたとき、その状態を打破するために、社会的に取り組むべき事業のために購入した土地が、その趣旨目的どおり使われていない」と指摘した。その上で、ディズニー社を挙げて初代社長の土地取得の趣旨・目的を検討することを社内に提起した。
その結果、社内から提起された取り組むべき事業として、多種多様の提案がなされたが、その中で注目された提案は、全米で飛び抜けた話題「シーサイド」のような「国民の住宅資産形成に関係するTND」が提起された。米国の歴史を顧みて国民的規模で待望されている事業は住宅地開発事業であった。
セレブレイション事業への絞り込み
住宅事業は国民の基本的人権に関係する問題として、米国社会では歴史的にも重視されてきた。1929年フーバー大統領時代にウォール街にはじまった世界恐慌からの脱出のため、1934年、フランクリン・ルーズベルト大統領時代に全米住居法(NHA)が立法され、住宅抵当債券をFHA(連邦住宅庁)が債務保証し、MBS(住宅抵当証券)を、(FNMA: Federal National Mortgage Association,:ファニーメイ)に買い上げさせた。金融市場に流通され住宅金融の2次市場が成立した。政府のモーゲージ債務保証制度によりMBSが安定化され、住宅資金が安定的に供給され長期的な住宅経営ができる住宅政策が安定発展できた。MBSで支持された計画は資産価値が向上する「シーサイド」のような住宅地開発である。「シーサイド」以上の国民的支持の得られる事業、「セレブレイション」が取り組まれたが、米国金融業界から見ても個人の住宅資産の安定を図る事業は社会的に高く評価せれた。
20世紀末、『ビルダーズマガジン』社は、20世紀の米国住宅産業を総括し、「20世紀の住宅産業を構築した偉人100人」を、読者の投票で選出した。社会現象は全て歴史的必然と言い切る人もいるが、社会現象は偉人たちの英知の成果で、偉人の選考は20世紀の米国住宅産業を解かり易く説明していた。
第1位、フランクリン・ルーズベルト:1934年NHA(国民住居法)およびMBS(金融二次市場)の制定を含む住宅政策基盤の確立、第2位、フランク・ロイド・ライト:米国の国土に根差した住宅購入者の所得に見合った文化的な住宅、第3位、ヘンリー・フォード:自動車利用による都市空間の拡大と合理的な生産システムの開発。第4位、ウイリアム・レービット:レービット・ハウス及びレービット・タウンによる住宅生産システムの革新、第5位、J・C・ニコルズ:住宅取得により個人資産形成のできる住宅地開発.第6位、ハンク・アンダーセン:工場製作「量産窓」により、高品質で美しい資産形成につながる住宅デザインの実現、第12位、ジミー・カーター;ハビタット事業を推進した大統領で、ランチョ・ベルナルドは、「米国とメキシコとの国境で実現された『境界線での奇蹟』」と呼ばれた。その後のカリフォルニアで行われたアーバイン、カスタ・デル・ソルなどの重厚長大産業から軽薄短小産業への変化に対応した都市開発として、新しい住宅・都市開発の先駆けとなった。NGO団体であるLGC(ローカル・ガバメンシャル・チャンセラー)が開催した「アワニー会議」の前段階の「軽薄短小産業時代」の住環境づくりが、1970年代にカリフォルニアで先行開発された。
NAHBと相互協力協定を通しての技術移転:人文科学的アプローチ
NAHBと相互友好協力協定を締結したHICPMは、1996年時点で「米国の住宅産業としての最大の取り組みが何か」に関しNAHB職員から説明を受けた。TNDは、NAHBはもとより米国の住宅産業界が最も注目し、住宅購入者の資産価値を歴史文化を考慮した住宅及び住宅地デザインの導入により持続的に向上させる住宅地経営計画であると聴かされた。そこで、HICPMはシーサイド、ケントランズ、セレブレイション等の都市開発の現地調査・見学を行なう前に、事前にNAHBがIBS(インターナショナル・ビルダーズ・ショウ)実施した超満員のTNDセミナーに参加した。
優れた都市開発をするためには、その開発の基本となる2つのコンセプト、「土地」と「居住者」とを人文科学的に明確にする必要がある。そしてその基本コンセプトを基に「ストーリー」と「ヴィジョニング」をつくることが求められている。その事前学習を基に、すでにTNDとして先行していたケントランズ、レイクランズ、ハーバータウン等のTNDをワシントンD.C.と同じ都市計画的な位置付けにある計画と聴かされ、ジョージタウン、アレキザンドリア、ウイリアムズバーグ(植民地時代の首都)、フィラデルフィア(米国独立時の首都)、ワシントンD.C.(現在の首都)の都市計画と首都の住宅地計画を、米国の首都の住宅地計画の歴史として都市計画調査と並行してヴィジョニングの調査をした。
(NPO法人住宅生産性研究会理事長戸谷英世)