HICPMメールマガジン第819号(2019.02.04)
みなさんこんにちは
詐欺師集団に包囲されているわが国の消費者
欧米の住宅政策上の考え方に照らしてみると、わが国の設計・施工業務は、「差別化」という営業により顧客を欺罔し、不等価交換販売利益を正当な利益として住宅産業が奪いとる。これらの住宅産業が行なっている商行為は、わが国以外の自由主義先進国から見れば、「詐欺行為」と考えられる刑事犯罪である。住宅産業関係者が主体的に、刑法上の詐欺の組みしているかどうかはここでは議論をしない。しかし、わが国の住宅産業で起こっていることは、偶発的に発生していることではない。
政府の住宅政策で「差別化」を容認し、住宅産業が等価交換の原則をおざなりにして、利益を確保するためには差別を犯してもよいとしてきた。住宅の設計・施工技術として、等価交換販売のできる実施設計作成教育が行なわれず、住宅の等価交換販売を実現するための設計施工を担保できる住宅産業業務教育が疎かにされている。等価交換販売を商取引の前提にしていないことは、自由主義経済の商取引として許されるべきことではない。それは建設工事費を正確に見積もることのできる実施設計の存在である。
大学で建築教育を受けた学生が、欧米同様の人文科学としての建築設計教育も、自然科学としての実施設計技術を学習せず、工事費見積もり技術を履修していない。住宅産業に働く学生たちはハウスメーカーに就職し営業販売業務をしている。実施設計を作成できなく工事費見積もりが出来なくても、建築確認申請書添付図面(代願設計)を作成する技術を大学では「建築設計教育」として教育される。代願設計は確認申請書に添付される設計が建築基準法に適合することを説明する図書で、建築士法で定める設計図書(基本設計及び実施設計)ではない。実施設計が作成できなくても代願設計が作成できれば確認申請業務を行なえるため、建築士試験では代願設計の知識で建築士の学識としては足りるとされる。
建築士の受験資格:学識、経験
それを試験する建築士試験では、大学での建築学教育知識としては代願設計程度の建築設計教育もない卒業生が建築士法で要件としている工事監理(モニタリング)の実務経験がなくても、工事現場監督見習いや、プレハブ住宅の営業マンの経験で建築士の受験資格が与えられる。建築士試験の受験者の実態は、建築士法に定められた建築士の建築設計に関する学識・経験がなくても、建築士試験にさえ合格すれば、受験資格が与えられる。
建築士試験の問題作成は過去に出題された問題と基本的に類似した問題しか出題されない。過去に出題した問題の80%に対して60%程度正答出来れば建築士試験に合格できる建築士向け受験教育が行われてきた。自動車運転免許証取得と同様な仕組みが建築士試験でも完成している。国土交通省の考え方も、「2級建築士は過去の出題から80%程度を出題し、そこで60%以上の正解が回答できればそれでよい」としてきたのが、国土交通省の2級建築士に期待する建築知識である。1級建築士の場合は、基本的に過去の出題と全く同一出題ではないが、類似問題で試験した方が建築士のレベルを揃えられる。
建築士法で定めている学識経験を試さない建築試験に合格すれば、建築士法に定めた設計・工事監理業務ができなくても、学識経験の書面審査と建築士試験の採点で建築士資格を与えてきた。建築士の受験資格として「建築設計及び工事監理業務に関し2年以上の実務経験」をほとんどの建築士受験者の要件を満足していない。大学で欧米同様な人文科学としての建築学を履修せず、建築士法が要求する建築設計(基本設計及び実施設計)教育を履修せず、ハウスメーカーの広告宣伝や営業販売業務に携わって建築士受験資格を欺罔した者に建築士試験を受験させ建築士資格を与えその業務を保障してきた。
なぜ、そのような違法状態が放置されてきたかと言えば、1950年に建築基準法が施行され全国適用され、建築基準法に定める建築確認を受けない建築物は建築できないことにされた。そのため、建築教育は建築基準法に定める確認申請のできる図面作成技術を、大学の建築学科卒業生の基本要件とすることになった。わが国の住宅政策では消費者保護に必要な建築教育を要求せず、ハウスメーカーの住宅営業に偏重した「差別化」と言われる詐欺まがいの広告・宣伝、営業・販売により企業利益と経済成長を高める経済政策を担ぐことを住宅政策に取り入れた住宅営業教育を建築教育として行なってきた。
代願設計を「建築設計」教育と見なした理由
建築士は、住宅購入者の支払い能力とかけ離れた価格の住宅を設計し、建築確認申請をすることで工事ができる制度である。その制度に合わせ、実施設計ではなく代願設計で建築教育を足りるとした。代願設計で工事費見積もりを行ない、代願設計を使って大雑把な工事監理した違法な業務を適正業務としてきた。代願設計は建築基準法に適合することの説明資料で、建築士法上は「その他の業務」とされた。代願設計を使って工事費見積もりを正確に行なえなければ、工事監理(モニタリング)も工事監理(マネジメント)を行なえない。代願設計では建設工事納まりを決定出来ないため、現場の都合で自由に変更できる「現場納まり」が慣行化し、下請け業者に矛盾を転嫁する口実に使われてきた。
わが国の工事費見積もりが概算見積もりしかできない理由は、実施設計が存在せず、代願設計で実施設計の代用をしてきたためである。わが国の工事費見積もりは、材料と労務数量を正確に計算するのではなく、建築床面積単位の数量の概算と労務の概算に「材工一式」単価を乗じて選出する概算単価である。建設業者の利益を確保する高額な工事となる結果を引き起こした。住宅の販売価格は住宅の価値を表す直接工事費ではなく、重層下請け構造によって直接工事費の1,5倍もの高額な販売価格で工事請負契約は締結されてきた。しかし、住宅政策は住宅産業が希望する重層下請け構造で粗利が累積された工事見積価格通りの住宅金融を行なう政策を実施してきた。
住宅産業の業務を粗雑にしている大学の建築教育
米国にも概算単価と言って平方フィート当たり単価があって、工事品質ごとに工事費の概算額を計算する方法がある。その概算額で工事費見積もり額とすることも正規の工事契約を締結できず、概算額で工事費請負額にすることはできない。それはわが国の坪単価や㎡当たり単価と同じもので、概算額である。わが国では実施設計教育が大学の建築学教育で行なわれず、工事費見積もりも大学教育で行なわれていない。実施設計図書がなくては工事を確定出来ない欧米の建築教育の常識がわが国では確立していない。建築教育が建築業務を非常に不安定にしていることを国土交通省も文部科学省も全く理解していない。
住宅産業の販売価格は消費者の購買能力に住宅ローンを対応させ、消費者の購買力を拡大させている。住宅販売は経済的には不等価交換販売である。わが国の不等価交換販売を円滑に行わせるため、住宅金融は販売価格全額を融資対象にしている。金融機関が損を被らないように不等価交換金融を行なったため、融資額相当の金融担保を住宅購入者に求めることになった。住宅だけでは融資担保が不足するため、金融機関は担保として、融資対象ではない住宅敷地を担保に押さえ、それでも担保が不足するため、住宅ローンを組んだ人に融資額と同額以上の生命保険に加入させ、その死亡時保険金給付額を担保に加える融資条件にした。
住宅産業行政の実態を説明する技術官僚の技術力
建築士が設計・監理した住宅を購入した人がローン返済不能事故を発生させている。そのような業務は、欧米の建築家の業務としてはもちろん、建築士法上も適正業務と言えない。そのような建築の設計・工事監理業務を行えば、住宅購入者の利益に反する業務となる。建築主の支払い能力の範囲で購入できない住宅を、ファイナルシャル・プランナーを巻き込んで購入できると欺罔し住宅を購入させ、その営業成績で営業マンが昇進する住宅産業は、反社会的行為を行っている。現在のファイナンシャル・プランナーという学識経験の分らない専門職を使って、ローンを組ませる行為は詐欺幇助である。
住宅ローンを組ませてしまえば、自動的に住宅は売却できる。住宅販売会社は住宅金融機関と共謀して不正な住宅販売を行なえる。わが国では、住宅会社が住宅購入者に住宅ローンを組ませた段階で住宅購入者とは手離れをして、その後の追及は行われない。その契約は住宅会社内で行えば、適正な営業と見なされ、クーリング・オフ(契約解除)はできない。この住宅政策もまた、「フローの住宅」政策である。住宅産業が行う欺罔に引っかかる者は義務教育の履修者で、自己判断できる責任能力のある者と見なされる。
建設工事請負契約内容を読めば理解できる内容であるから「自己責任能力のある者」という政府の説明は、住宅購入者本位の政策ではない。「自己責任能力」と言われている契約の多くは、始めから政府が消費者を陥れる意図を持っているもので、それに気づかないこと販売、「自己責任」であるという説明は、犯罪に加担する人の「無責任な意見」であり、「未必の故意」による詐欺犯罪と言わざるを得ない。わが国では政府が主体的に住宅産業界に「未必の故意」による犯罪を行なうように誘導している。
国土交通省の住宅産業担当者として大学で建築学科を卒業し、建築司法試験に合格した建築士も沢山いる。そのほとんどの建築士は実施設計図書を作成することも、工事費を見積もることも、工事現場での工事監理を行なう能力を持っていない。私自身が建設省住宅局で住宅産業政策を担当して、一緒に働いていた建築士資格を持つ技術官僚や住宅ローンを担当していた住宅金融公庫の建設部の住宅ルーン審査業務に携わっていた技術職員やその管理職を実際に見聞してきた事実である。
「ヴェニスの商人」を自負した住宅金融公庫職員
わが国のバブル経済が崩壊したときに住宅ローン返済事故が多数発生した。そのときローン借り受け人は企業倒産やリストラに遭い返済能力は持たず、その解決は自己破産するか生命保険を使う以外に方法がなかった。しかし、住宅金融公庫が次のように取り立てた。その融資金を取り立てるために担保を差し押さえた生命保険を現金化して回収する方法が採られた。「妻子を守るためには、自殺を促して、生命保険を使うことが最良の策と示唆し、多数の住宅ローン事故者は自殺に追い遣った。」事故が多発し過ぎ、生命保険会社が多数破産に追い込まれた。
この事実を住宅金融公庫の担当窓口にぶつけたところ、「政府の金融機関としては金融の安定と預金者保護のため、ローン債務の踏み倒しを容認できない」と回答した。住宅ローン事故に関して政府は一貫してその政策責任を認めず、住宅ローン借り受け人の「自己責任」と主張し、ローン借り受け人は、全てその自己責任においてローン返済を義務付けられて当然であるとされた。「ヴェニスの商人」と同じことが、即ち、自殺することでローン残高の返済を強要することになった。わが国の住宅政策で行われたことは、大学の住宅建築教育でも、日本の住宅政策をまともな政策と教育されててきた。
その住宅政策は2006年以来継続している「住生活基本法」行政にも継承されている。その基本問題は住宅設計と施工が立法時定められた米国の設計・施工のモデルとした制度を作りながら、その実態は制度と違った誤った途に迷い込み、建築士受験資格を満足していない者に受験を認め建築士資格を与え、その学識と経験に未熟な建築士に、建築士法に定めた業務を排他独演的に行わせた。その結果、実施設計の存在しない工事請負契約、工事費に見合わない住宅ローンとその担保と言う不等価交換販売と不等価交換金融が行なわれ続けている。その不公正な住宅政策と住宅産業政策が、国民を貧困にさせる住宅を野放しにしている。
都市政策ではない都市再生事業
わが国は1986年(昭和61年)から1991年(平成3年)までのバブル経済の51カ月間に、地価と株価は高騰した。バブル崩壊期間は、1991年(平成3年)から1993年(平成5年)までの21カ月間に多数の政府金融機関の倒産を含む企業倒産や個人倒産が相次ぎ、その際発生した不良資産が企業経営を瀕死の状態に追い詰めていた。政府は財政、金融政策で問題解決しようと取り組んだが、有効な救済手段にはならなかった。企業は生き残るために従業員の信じられないリストラを行ない、法人税の免除を受け生き残りを図った。
法人は倒産を免れるために、金融機関への債務返済ができない企業に対し「借入金の債務の支払をすれば、その債権を不良債権とはしない」違法な企業救済政策を行なった。そのため、不良債権に縛られた企業は破産を避けるため銀行に金利を支払い続け、経営を悪化させ法人税さえも納められず、苦しい企業経営を職員の非正規化で対応した。企業は労賃を切り下げて生き残ったが、労働者の賃金が急落し、所得税収が縮小し、政府はその歳入欠陥を補うため、国債に依存する財政になり、さらに財政逼迫で、国債の償還ができず、国債償還のための国債(赤字国債)の発行が常態化し、国債残高は財政で返済不能状態に迫った。
自由主義経済であれば、不良な経営を行った企業は倒産させ、若い企業の肥しにし、債務を生産することをすべきであったが、わが国では政・官・産の護送船団が癒着し、不良債権を抱えた企業救済を優先したため、そのしわ寄せが労働者のリストラと賃金切り下げによる正規雇用者の削減と非常勤雇用への依存と国債依存の財政を進めた。その結果所得税収が激減し、法人税の不企業が全体の15%の水準に下落した。その結果、国債依存財政は赤字国債を拡大させ、財政経済環境を一層悪化させた。
税収減の結果の国債依存の国家経営
国債依存体質は国家をブラックホールに吸い込まれるほどの危険な状態になった。小泉・竹中内閣は政権に着いたときには360兆円の国債であったものが3次の政権末期にはその2倍の700兆円に迫る国債依存になった。小泉内閣は緊急事態宣言として「聖域なき構造改革」という憲法(聖域)を蹂躙する「都市再生事業」を展開した。「都市再生事業」は、江戸時代の「徳政令」の現代版で、バブル経済で経営に失敗した政府を含み護送船団メンバーに、国民共通の財産である都市空間を無償で供与する政策であった。竹中平蔵金融相の経済学の実践である。竹中理論はバブル経済の崩壊により地価は平均4分の一になり、それが企業の不良債権の原因になったから、バブル経済で失われた地価分だけ地価を上昇させれば、不良債権は消滅するという経済学である。それを日本国憲法の下では実施できないので、都市再生緊急措置法を立法し、憲法違反を犯してもよいと政府は決断した。
都市再生緊急措置法の制定
都市計画法及び建築基準法は憲法第25条を根拠に立法され、その法的根拠なしに都市計画法及び建築基準法を改正することはできない。しかし、小泉・竹中内閣は国家の猶予できない統治上の緊急対策である「統治行為論」をかざして都市計画法、建築基準法等の改正を、憲法違反を承知の上断行した。その改正を根拠に都市計画法と建築基準法を改正し、法定都市計画を改正し、都市計画法の開発許可を都市計画法に違反して行うとともに、建築基準法の総合設計制度を建築基準法に違反して(法定都市計画を逸脱した規制緩和準則をさらに緩和改正し)、施行した。さらに、マンション建て替え円滑化法を憲法に違反して立法し、都市の国民共有の空間を不良債権に悩む企業に対し無償で供与する政策を実施した。
その結果、都市空間は不良債権に悩む企業により好き放題に略奪され、ほんの20年足らずの間にわが国の都市空間はスカイライン自体が完全に変化された。都市の発生交通量が急増し、交通渋滞が拡大した。学校教育施設は不足し、仮設教室とスクールバスで児童生徒を輸送する事態が発生した。このように都市施設が対応できない条件での開発許可は都市計画法で禁止したが、それを無視した開発許可が目白押しで行われ、都市は混乱しました。東京都が作成した「開発許可の手引き」は都市計画法の条文に似真っ向から違反する行政指針である。
「統治行為」として立法された都市再生緊急措置法
これらの憲法に違反する都市計画法及び建築基準法等の違法立法は開発許可及び建築確認は都市計画法及び建築基準法に違反している事実を是正すべく、全国各地で行政事件訴訟が取り組まれました。私は建築基準法、都市計画法、マンション建て替え円滑化法に精通していたことから、それらの行政法違反訴訟の協力を求められ、10年間に東京中心に約100件の行政事件訴訟を行いました。その結果は、全事件とも予想していた通り敗訴になった。政府が行政として行った都市再生事業は都市再生緊急措置法として立法した「統治行為」として、内閣総理大臣は最高裁判所に「司法も内閣の方針に従へ」と命じ、司法は住民から提起された行政事件訴訟に対し、被告行政庁が勝訴する判決しか下さなかった。
1959年5月、砂川事件が起き、東京法地裁判所(裁判長:伊達秋雄)が、「日米安全保障条約は日本国憲法に違反する条約であるので、この条約を根拠にした特別刑事訴訟法で有罪とされた学生は無罪とされなければならないと判決した。60年日米安全保障条約の改正を翌年に控え、政府はあわてて東京高等裁判所を飛び越えて最高裁判所に跳躍上告をした。最高裁判所(裁判長:田中耕太郎)は、「日米安全保障条約は日本国憲法に違反しているかもしれないが、日米安全保障条約は国家の統治上必要な国家が締結した条約と言い、それを日本国憲法に照らして判断する必要はないと判決し、被告全員を有罪にした。このような国家の統治上必要とする行政行為は、憲法に優先することは歴史的に前例の認められた緊急避難のための解釈を持ち込んだのであった。都市再生緊急措置法は都市計画法の根拠となる憲法第25条に根拠を置く都市政策のための立法ではなく、憲法違反である事実は変わらない。
(NPO法人住宅生産性研究会 理事長 戸谷 英世)
(MM第819号)