HICPMメールマガジン第797号(2018.09.03)
みなさんこんにちは
「注文住宅」講座を6月3日に始めてから通算30回目になる。私が住宅問題に関心をもって住宅官僚になったときの半世紀以上前と同様、住宅建設価格が消費者の購買力と乖離し、購買能力に見合った金額で消費者の住要求を実現することがどんどん遠退いている。住宅を住宅購入者に購買させるために、住宅産業側の「差別化」販売に振り回されている。その原因は、建築3法を適正に施行させるに足りる住宅建築設計が行われず、代願設計と概算見積もりによって消費者に価値の低い住宅を高額な設計のように欺罔する設計が放置されている。わが国が法治国でありながら住宅産業界は無政府状態である。
建築3法を立法時の原点に立ち返って考えよう
最近に住宅産業界の傾向としてコンプライアンス(法令遵守)が、政府や外郭団体や弁護士など法律専門家から盛んに口にされている。政府や専門家の手口は「オレオレ詐欺の手口」とほとんど同じである。コンプライアンスを居丈高に口にする官僚や公務員、弁護士、会計士、税理士など法律を業務にする職業に携わる人たちほど自ら、違法、脱法を犯し、自らの利益に消費者を誘導しながらコンプライアンスを口にしている。安倍内閣は多くの疑惑に対して「時間を掛けて丁寧に説明する」と時間を掛け、「記憶にない」、「言わなかった」と言い、国民にうんざりさせるほどの違法を強行する小細工を重ねてきた。
今回は、1950年に立法された建築3法がどのような時代背景にあったかについて説明する。
わが国が1946年に日本国憲法を制定したことに関し、占領軍からのお仕着せであったという主張に対し、政府自身がその事実を証明しようとして2,000年に「憲法調査会」を設立して「米国による押し着せ憲法である証明をしようと、憲法立法の経緯を徹底的に究明した。その結果、憲法の制定にあたって民主的な憲法制定のために試案の提供など占領軍の大きな圧力はあったが、その圧力は、日本が第2次世界大戦のような戦争が再び発生することがないよう「日本国憲法はどうあるべきか」の議論をするためのものであった。最終的に日本の関係者が主体的に選択できる最良のものであることを認め、日本国憲法が日本人の手で制定されたことが結論付けられた。憲法調査会が確認したことをNHKの特集で説明していた。それは米ソ熱戦が始まって以降の米国の圧力とは異質であった。
建築基準法、建築士法、建設業法の3法は立法当時から建築3法と言われ、戦災復興を適正に実施するため米国の法律をモデルにして1950年に制定された法律である。建築3法は立法以後、基本的に維持されているが、現時点でモデルとなった米国の建築3法とわが国の建築3法とは、基本的なところで法の精神が伝わっておらず、立法の趣旨と違った国内利権によって歪められてきたことが、現行法をその立法趣旨と立法当時の法律を比較すると明らかになる。言い換えれば、その違いこそわが国と米国の住宅・建築・都市行政の違い・ズレになっている。そのひずみを矯正しない限り、国民の生活環境を改善できないと考えられる。コンプライアンスとは適正な法律の施行を前提に存在する言葉である。
安倍内閣に「コンプライアンス」を口にする政治家としての正当性があるのかを兼ねてから問題にしてきた。建築3法は、住宅産業を支える基本法であり、日本国憲法第25条(健康で文化的な生活環境の保障う)を憲法第14条(平等権の実現)によって可能にするものである。住宅産業関係者は、建築3法をその業務を米国の法令をモデルにしていることに立ち返って、立法趣旨を理解し、その業務に取り組まなければならない。住宅・建築・都市関係法は米国同様、人文科学的(その歴史・文化と生活)に理解することがなければ、建築3法の適正な理解も施行も望めない。
第30回 建築関係法令違反の上に実施されているわが国の住宅産業(MM第797号)
戦後の建築3法の立法の背景
わが国が連合軍の占領政策下にあった1950年に占領群からわが国を米軍の兵站基地にするとともに、その開発整備を進めるためにはわが国の建設業界を米軍が安心して業務を任せることのできる制度にするために、建築法規制、建築設計業務、建築生産業務を米国の建築関係法令に倣うことにした。米国はコモンロー(慣習法)の国であるので、わが国の法律にするために、米国のUBC(ユニフォーム・ビルディング・コード)(準則)と、コンストラクションロー(建設業法)及びアーキテクトロー(建築家法)の3法は、わが国の成文法である建築基準法、建設業法、建築士法として新規立法された。
UBC(ユニフォーム・ビルディング・コード)と建築基準法
米国の西部の建築規制は日本とは違っていて、官民関係者で構成されるCABO(米国建築主事会議)で制定・管理されている統一建築法規(ユニフォーム・ビルディング・コード)で、建築基準法のような国家で決めた建築基準ではない。米国は広い国土で地理的条件も気候的条件も違っているため、東海岸、西海岸、南部地方ごとに準則として建築法規が、建築産業、建築学会、建築行政が一緒になって建築法規を作成する建築法令団体によってつくられ、そこで作成した建築法規を地方公共団体ごとに法令として採用する方法が採られている。法令として地方公共団体が条例化することで公法としての地位を持つもので、法令団体が作成して建築法規は、準則としてそのままでは法的拘束力を持たない。
わが国は占領当時、占領政策として米国の西部に採用されていた統一建築法規の区域に組み込まれ、建設省はその法令制定団体(CABO:カンファレンス・オブ・アメリカン・ビルディング・オフィッシャルℒ)の会員に組み入れられ、会費を納入し法令情報を受け入れていた。戦前まで内務省が施行していた建築基準法は都市計画法の関係県庁所在地など大都市に施行されていたものを廃止し、新たに建築基準法は制定され全国適用とされた。その内容はUBCを下敷きにした単体規定と、米国の都市計画法(ゾーニングコード)に対応した建築規制(サブディヴィジョン・コントロール)を合体したものとして構成されていた。それは建築基準法の第2章規定と第3章規定としてつくられた。
占領軍としては戦後のわが国の復興に重要な役割を担う建築法規の整備は、国民の安全と安心を図るために重要なこととされた。米国の西海岸の大規模地震の多発地方で施行されてきたUBCを基にした建築法規を適用した。戦前までの建築基準法は内務省の警察行政として行われてきた歴史を持ち、建築行政が警察権(許可権)に依っていたので、占領政策としては、1946年制定された日本国憲法の趣旨に則り、それまで施行されてきた市街地建築物法は廃止し、新たに許可権を取り外した建築基準法が全国適用された。とくてい「行政庁」が行なう建築行政とは独立した「建築主事」制度が新たに設けられ、「許可」ではなく「確認」制度が設けられ、確認を受けた建築物は建築できることになった。
建築基準法の市街地建築物法の最大の相違点
新しい建築基準法に導入された建築確認制度は、米国でも実施したことのない制度であったため、GHQの指導も徹底できず、建築行政は警察行政から建設省に移管された。新しい確認制度は結果的に建築行政を行うことになっている特定行政庁による建築行政の後ろ盾なしには効力を発揮できなかったため、確認制度は、特定行政庁による許可行政と実質的に同じ行政が行なわれた。建築行政の民主化を旗印の下に生まれた建築主事による確認制度は、事実上、戦前の建築許可制度と同様のものと見なされて、建築行政の一部に組み込まれて施行され、建築主事も建築行政官とみなされた。
建築基準法が制定され、それ以前の市街地建築物法と一番大きく違ったことは、建築基準法の施行区域が全国適用になったことである。建築基準法の第2章規定「単体規定」は、全国の全ての建築物に適用されることになったが、第3章規定(集団規定)は都市計画区域にのみ適用される規定であった。しかし、政府の指導により、多くの都市は都市計画法の適用を受け戦後の都市を都市計画に基づいて再建しようとしたため、法定都市計画の制定と建築基準法第3章規定が適用されることになった。この第3章規定は米国の都市計画法(ゾーニングコード)に基づく建築規制を行なうものであった。
米国の都市計画法は都市計画(マスタープラン)に対応する土地利用計画〈ランド・ユース・プランに基づく建築規制により法都市計画法に基づき定めた法定都市計画を実現する都市計画法であるが、その法律構成を都市計画法と建築基準法の姉妹法という形で、宅地を造成する都市計画法とそこに建築物を建てる建築基準法と言う2つの法律で都市計画を実現することになった。新しい建築基準法には、米国のもう一つの都市計画の技法PUD(プランド・ユニット・ディベロップメント)が、防耐火姿勢の緩和ができる「一団地の住宅施設」として取り入れられ、戦後の公共住宅団地計画には必ずと言ってよいほど採用された。この都市計画の技法は、わが国の都市計画として正しく定着することはできなかった。
建築士法と建築設計
1950年6月25日北朝鮮が突然南下政策を実行に移し朝鮮戦争が始まったため、占領軍は日本を米軍の兵站基地として兵站施設の整備などに取り組むことになった。米軍は米国で設計した軍関係施設を設計図書通り建設するために、工事監理を徹底する必要を認めた。しかし、当時わが国には工事監理(モニタリング)と言う用語自体も定着しておらず、工事監理業務を占領軍施設の建築のためにも急がなければならないという認識が高まっていた。そこで占領軍は米国の建築家法をわが国に持ち込んで米軍施設の工事監理業務を担わせる技術者法の立法を企画した。それが建築士法の発想であった。
名古屋高等工業高校卒業後米国のプリンストン大学で建築学を学んだ松田軍平を中心に、戦後国内で建築設計監理業務を行なっていた優秀な建築設計監理事務所に対して、占領軍工事の工事監理者として業務を約束し、わが国における設計監理業界の立ち上げを建築士法の制定という目標を立てて実施した。そこで目標にした設計監理業法は、設計監理と施工を分離し、施工内容を工事監理で厳密に管理する米国の建築家法をわが国で実現しよういとするものであった。しかし、わが国の当時のわが国の建築学教育も、建設業界の設計施工業務も、設計・施工一貫の建設業者が支配していて、設計・工事監理と工事施工を分離して行う米国の建築家法を実現する条件になかった。
建築士法の制定は米軍工事の工事管理業を円滑にするため急がれ、わが国の建築設計教育や工事監理実務が全く未成熟であった。それにも拘らず、国内の優秀な設計監理業務を担っている設計監理事務所を占領軍工事に組織化するために、建築士法の制定が急がれた。その結果、建築士法で建築士の受験資格条件として定められた受験者の学識経験として、欧米のような建築設計教育や工事監理の実務経験をわが国で行っていなかったにもかかわらず、それが行なわれていたと見做した建築士法が立法された。建築士法の試験内容として高い建築知識を求める内容とすれば優秀な建築技術者をスカウトできると占領軍は考え、松田軍平以下設計監理業界はその意向を受けて政府に建築士法の立法を働きかけていた。
「設計工事管理」と「工事施工」一貫か、分離かの論争
松田軍平以下当時の設計監理業界は、米軍の文関係施設の工事監理を独占的に受注するため設計工事管理組合を設計した。そして、米国の建築家法と設計監理業界に揃えるべく、設計・工事監理業務と建築施工業務の分離を、設計管理業界の絶対条件であると主張し、設計監理業務と施工その他の業務を兼業する業者は日本建築家協会を除名するという強硬な扱いを行なった。織本構造設計事務所、久米建築設計事務所は、設計工事監理以外の業務を行なったので、建築家協会から除名された。それは米国の設計監理業務に揃えるためと説明されたが、本質は占領軍の設計監理業務を独占支配するためであった。日本建築家協会と建築基準法の代願設計を設計業務とする日本建築士事務所協会の対立は、建築家の設計業務を問題にするように見えて、本質は組織拡大の戦術で、わが国の設計問題を象徴していた。
大規模な建築工事では公共工事が大きなシェアーを占めており、設計・工事監理業務と施工業務を一貫して実施するか、それとも分離するかの問題は、理論的にどうあるべきかの議論とは別に、現実の社会では分離している業者と一環で行っている業者、両方を合わせ実施している業者があり、一貫して行うか、分離して行なうかを択一しなければならない状況にはなかった。しかし、業界では公共工事の応募条件がその条件で左右されるとされたために、建設業界の基本問題であるかのように騒がれ、業界及び官僚と政治家を巻き込んで「結論の出ない議論」を長年月にわたって行なわれた。
建築士法にはその業界の論争を反映して、建築設計、工事監理と工事施工という用語が建築士法上の用語として明記され、建設業界ではそれぞれの陣営が法律に根拠のある用語を自己の主張に都合のよいように解説し、設計施工問題の論争を賑やかにした。その議論は、現実の設計・工事監理と建築施工の関係を変化させることはなく、議論は現在に至っても収束せず、結論は出ず、建築士法上の業務の定義を固めることになっていない。むしろ、設計業務、工事監理業務、工事施工業務の区分は不明瞭のままであり、理論的には工事施工と区分できるが、実務的には一体不可分の扱いが続いている。
建設業法とその業務領域
わが国では建築物を建設することで、建設業務が基本であり、それを安全に作るために建築基準法があり、設計と施工の矛盾が発生したときに、建築主と建設業者の矛盾対立を処理するため工事監理者に仲介してもらうように、戦後に制定された建築3法が理解されてきた。建築主は建設業者と請負契約に基づいて建設工事を実施してもらうことになったので、その請負契約の中には設計・工事監理と工事施工の全ての費用が含まれている理解が広く行われてきた。そのため、多くの工事で、工事監理費を含む、設計業務費も工事請負契約の工事請負費用の中で支払うことが行なわれてきた。
設計施工一貫で工事請負契約が結ばれた例も少なくない。建築設計自体、建築主が希望する建築物として計画内容のはっきりしたものを、建設業者が施工するわけであるから、建築設計業務も創造的な業務ではなく、建築主は明確に指示した建築物の施工図面を書くだけのことであるから、設計業務も「請負業務」として行うことが当然のように行われてきた。その背景には、明治の近代建築として西欧建築が建てられた時、近代建築は建築思想に立つ創作業務ではなく、建築意匠を模写するものでよく、建築設計者が正確な衣装の模写をするものとされたことに、設計業務も請負業務で行なわれた。
私自身が愛媛県土木部建築住宅課長であった時代に、設計監理業界と「愛媛県にふさわしい建築設計を設計監理業界に依頼したところ、愛媛県の営繕建築の設計者を選考する時点で、業界が入札に拘り、やむを得ず設計入札としたところ、落札した建築設計事務所が、「設計すべき設計図書のモデルとして過去の設計図書を拝借させてくれ」と言ってきた。要するに営繕工事として行う設計業務は、前例の建築物の模写を行なわれていた。これは、明治の近代建築設計で政府が業界に求めてきた設計業務は「意匠の模写」の実績を踏襲したものであった。その設計請負の考え方が現在も残っている。
多くの公共建築は決められた予算で建築されるもので、その多くは、「出る杭は打たれる」ことにならぬように、全て前例に倣うことで可もなく不可もない工事を、決められた予算内で確実な利益を挙げることが行なわれ、それが建設業界に秩序を守ることであった。これは住宅建設だけではなく、学校教育や社会施設建築においても共通することで、その中で建築設計とは設計図面のコピー「トレース」であった。新しい設計をすることは実際に工事をする業者に混乱を与えるだけであった。わが国の建築設計実務教育は、実施設計図書のトレースを正確に行うこととされている学校が多い。それは建築設計ではなく、単に複写作業でしかないが、わが国では建築設計教育である。
わが国の建築3法の評価
1950年に占領軍の指導の下に制定施行された建築基準法、建築士法、建設業法をその立法の背景に踏み込んで検討してきたが、いずれも戦後の混乱期の業界の利益と倍群の統治糸との妥協の産物であって、その立法趣旨に掲げる内容とは大きくずれ、進駐軍や建設業及び設計管理業業界の利害を直接反映したものになっている。建築3法はそれぞれの法律の立法の趣旨や法令の分離解釈に立ち返って施行されることはなく、建設業界の既得権を守るための恣意的な解釈と運用を積み重ねてきたため、建設関係業界の既得権を保護するための法令として機能している。
実際に行われてきた建築設計、工事監理、建築施工の各業務の全てが、既得権保護の前提を適法な法施行と見なされ、それを変更することは業界の利害関係により不可能になっている。建築3法は、既存の建築業務の全てに、法律的に根拠を与えるものになっており、それを法律の分離解釈に立ち返って変更することを認めることはできない。それ以上に現実の行政は法律を文理解釈通り施行することをせず、代わって法律の解釈を厳密にしないで、行政上の必要に従って行政指導することが繰り返されてきた。政府が文書によって行政指導をすることは珍しく、口頭による行政指導が行なわれることで、法律の実際はさらに無責任に、複雑になってきている。
極端な言い方をするならば、現行の建築3法は厳密な意味で立法時の法律とは無関係な法律内容になっている。建築基準法上の確認、建築主事、特定行政庁、建築士法上の建築設計業務、建築設計、工事監理等や、建設業法上の設計図書、工事費見積もりなど、基本的な法律用語に対応する業務内容自体が立法当時の内容と違ってきている。このような法律と社会的な実態との乖離が進んで行けば、当然法律を遵守することの実態が変化していく。建築3法全体をオーバーホールしない限りまともに機能させることができない状態になってきている。それを象徴する設計が「代願設計」である。
「代願設計」を基本にした建築基準法体系
少し丁寧に説明をすれば、「代願設計」は実施設計ではなく、適法工事の説明で、工事の詳細が設計されていないので工事費見積もりができない。実際の建築工事と照合して工事検査をすることもできない。確認申請は建築主による工事を実施する意思を工事の計画を建築主事に伝えることで、確認申請により建築主の建築意思が特定行政庁に伝えられ、建築基準法令に適合するように建築する建築行政の対象にされる。そのため、申請された代願設計は未決定事項があっても、計画申請された事項が建築基準法関連法令に適合していれば、建築主事からは確認済み証は公布される。
実際の建築工事は工事請負契約を締結してからでないと行なえないので、建築基準法で行なう工事検査は、工事請負契約書に添付された実施設計図書が建築基準関係法令に適合していることを工事検査の前段階の事務として確認し、その後、検査確認した工事請負契約書の添付実施設計図書と実際に行われた工事とを照合し、適合していれば工事検査済み証の交付を行う制度になっている。実際の工事検査済み証の交付は、その法令との照合確認した実施設計図書と工事とを照合して行なうことになる。しかし、現実は、実施設計が存在せず、代願設計が実施設計と見なされている。
建築基準法による工事検査は、「実際に行なわれている工事と建築基準法令とを照合して行なう検査である」と間違った説明をする人がいる。実際の工事と建築基準関係法令との照合は、照合自体が技術的に不可能である。構造検査はもとより性能検査は実物と建築基準関係法令とを照合させることは不可能である。建築主事による検査確認も、建築士による工事監理もいずれも、実施設計図書と工事との照合になる。代願設計は確認申請事項を説明しているため、実際に作られた建築物は建築基準法例に適合していることは代願設計と完成した建築物を照合すればできると誤解している人が多い。代願設計は計画内容が建築基準法令に適合していることを説明できても、実施設計ではなく、実際に行われた工事を説明していない。そのため代願設計と実際の工事を照合することはできない。
建築士資格が問題か、建築士の能力経験不足が問題か、
わが国の「代願設計」で建設工事費の概算見積もりはできない。そのため、「材工一式」の概算単価で概算工事額を計算した工事請負契約書の締結を建設業法第20条に違反して行なっている。「代願設計」は実施設計図書ではないから、工事監理も施工管理(工事管理)もできない。その原因は建築設計者である建築士に建設工事を確定できる設計圖書を作成する建築設計教育も履修せず、正確な工事費の見積もりもできず、それを基に工事請負契約を締結せざるを得なくなっているからである。代願設計を建築士法上の設計図書と見なすこと自体が建築士法及び建設業法違反である。
個人の所得と比較し遥かに高額な住宅建設工事費が概算額として見積もられ、その概算額で工事請負契約額が精算額として確定させられている。それは建設業法違反である。住宅購入者の所得を逸脱した額で請負契約が締結され、住宅ローンが行われ住宅を購入させられている。住宅を購入者に返済が難しい住宅ローンの経済問題が未解決のまま、ローン完済するまで残される。国民の歴史文化を担う住宅が、住宅を手放さなければなら無くなったとき、国民のローン返済能力が足りず、ローン破たんを起こすことがないように計画されなければならない。住宅ローン破たんの矛盾は、建築設計教育が抜け落ちているため発生している。住宅購入者の支払額に適合した住宅を、学識経験を有する設計者が設計をすることが、建築士の就業制限を規定した建築士法の趣旨及び条文の規定である。
建築士が住宅に関する専門的な学識と経験を持っていれば、建築主を破綻に追い込む住宅設計など行なう筈はない。しかし、わが国では実際に建築士が設計した注文住宅を購入して破綻に追い込まれている。その同じ誤りを繰り返している建築士に、建築士法で期待されている学識経験があるとは考えられない。その建築士は自ら設計した住宅の工事費の見積もりもできなければ、実際の工事納まりも分かっていない。住宅設計業務そのものが現在の建築士のほとんどには判っていない。その理由は、学校教育で行なわれている建築学教育が未整備で、建築設計教育のできる教師が大学の教育者にいなく、学生は建築学を学べず、社会で実務経験を積んでいないからである。このような、工事費に関し素人以下の知識しかなくて住宅の設計を行う建築士は、まともな建築設計技術者ではない。
(NPO法人住宅生産性研究会 理事長 戸谷 英世)
(9月3日、MM797号)