HICPMメールマガジン第786号(2018,08.03)

みなさんこんにちは

8月1日に『欧米の建築家、日本の建築士』(井上書院刊)が書店に発売となりました。この本は私の半世紀にわたる住宅設計に対する「住宅を購入した消費者が欧米のように資産形成ができるようにするために取り組むべきことの「思い入れ」の社会に対する訴えです。

 

ジョサイア・コンドルを英国から招聘した明治時代の政府による「近代建築教育」は、現代社会において、片山東熊設計の赤坂離宮が広く一般公開され、わが国の近代建築がフランスのベルサイユ宮殿、ロンドンのバッキンガム宮殿と比較しても遜色のないもので、迎賓館を見て、日本人として建築文化に誇りに感じ人はたくさんいるに違いない。しかし、そのような優れた建築を設計施工したわが国にそれを継承する建築家は育っておらず、その設計教育を行なう学校も教師も育っていない。一体近代建築教育はどこに隠れてしまったのか、または、見ている赤坂離宮は幻想なのか。しかし、実在しているではないか。それなのに日本人が誇りを感じる近代建築は伝承する人なくて実現できた理由は何か。

 

明治時代の日本の建築教育は、不平等条約の改正を最大の政治課題と考え、当時、欧米で盛んに建設されていたルネサンス建築物を、建築為できるようわが国でも建築できる人材を養成するため、当時西欧で最も高い評価を受けていた建築家をわが国に招聘した。その建築教育が結果的に立ち枯れてしまった理由はこれまで殆ど説明されてこなかった。欧米の建築教育はわが国に技術移転されず、模倣が行われただけであった。そのときの明治政府の建築デザインに対する取り組みこそ、現代日本の不毛の建築教育の原点になった。赤坂離宮を建築しながら、近代建築教育が不毛になった理由を、私は約半世紀追っかけてきた。そこで理解した内容を『欧米の建築家、日本の建築士』で明らかにした。この本を纏める過程で私自身多くの新発見があり、歴史から学ばなければならないことの多さを改めて感じた。

 

建築設計行為は建築家がその建築思想を社会に訴える行為であり、建築設計の背後には大きな社会思想があることを改めて確認することができた。中世から近代にかけての欧米の建築家は社会思想のリーダーであり、社会を変革する政治家でもあった。明治政府はわが国を欧米近代国家と対等の文明国家であることを証明するため、西欧が取り組んでいたルネサンス建築デザインの建築物をわが国でも作ることができる証明が必要と考えた。しかし、近代建築教育と同時に西欧建築思想・社会思想をわが国に持ち込むことを恐れた。建築思想の導入を絶対に阻止するため「和魂洋才」の建築教育を行ない、デザインを図案として模写し、欧米以上に正確に作成することで欧米と肩を並べられると考えた。現代の有名建築家が欧米の建築デザインを模倣する「仏造って魂入れず」の原点がそこにあった。その後の100年の歴史が、わが国の建築設計を「流行りの建築設計」にし、生活する人に帰属意識のもてる社会思想を伝承する建築デザインをつくる欧米の建築教育に倣うことが行われていない。それが資産形成のできる建築設計をできなくしているわが国の建築教育なのである。

 

『欧米の建築家、日本の建築士』は欧米と日本の建築設計の違いとその設計者の違いを、事実をもとに明らかにした。住宅産業関係者にぜひ知ってもらいたい情報を詰め込んでいるので、ぜひご購読ください。HICPM会員の方には全員に1冊を贈呈しました。本書と同時期に執筆した「住宅産業中心の住宅政策から消費者中心の住宅政策へ」は複数の出版社でご検討いただきました。過去にHICPMの出版物を刊行した某出版社の社長が「巧言令色少なし仁」のとおり私に擦り寄り、出版を約束し書名まで決定した。既にゲラ刷りまで進んだ書籍を、突然、「売れ筋の内容ではない」と不当な言いがかりをつけ、出版意思のないことを告げた。どのような理由があったかを告げず、「訴えるならやって見ろ」と訴訟費用負担ができない私の足元を見て、出版を断念させられた。この本の内容は「聖域なき構造改革」(憲法違反)として行われた都市再生事業の実際を通しての住宅政策批判である。

 

 

第23回 学識経験不足で不正確な設計業務しかできない建築士(第787号)

 

建築士法が制定されて以来、社団法人日本建築家協会の幹部たちは、米国の建築家法をモデルにして建築士法が制定されたことから、建築士を職業資格ではなく、欧米の職能資格(プロフェッショナル)として、医師、弁護士、公認会計士等と横並びの職業倫理に基づき、自己研鑽し、行政法の支配を受けるのではなく、プロフェッショナルとしての内在的制約のもとに業務をするべきと主張してきた。

 

職業としての建築士と職能としての建築家

私が1970年建設省住宅局建築指導課長補佐(建築士班長)であったとき、違反建築が丹下健三をはじめ東大建築学科教授の肩書を持つ有名建築家の設計によってつくられた。「雨の漏らない建築など建築ではない」と開き直り、当時中国で始まった毛沢東による文化大革命に登場した「造反有理」を持ち出し、「違反建築を、前衛的な建築である」と主張して憚らない社会風潮が建築設計業界に生まれていた。当時、住宅局ではこの状況を建築士の設計業務の崩壊の危機と感じ、放置できないと判断した。しかし、戦後、内田東大総長が住宅局人事にまで介入した歴史を持つ東大建築学科教授の違反建築の取り締まりはできないと考えられた。住宅局では、最終的に丹下健三を建築士法で処分する目標の下に、その部下や教え子で違反建築を無反省に設計している建築士の行政処分から始めることにした。

 

そのため、まず、有名建築家で社会的に顰蹙を買った違反建築の設計者の行政処分をすることにした。当時、建築常識をぶち破った設計をした黒川紀章の「寒河江市役所」と菊竹清訓の「都城市民会館」が危険建築物としてメディアで取り上げられたので行政処分の対象にし、㈳日本建築家協会との間で協議の場を設けた。その協議は、建築士法の誠実業務規定は、米国の建築家法と日本の建築士法の共有すべき理解を前提に、住宅局(救仁郷斉建築指導課長と建築士班長の私)と建築家協会の会長以下幹部(前川国男、圓堂政義、市浦健、大江宏)との間で協議が行われた。協議の結果、違反建築を設計した建築士の行政処分に建築家協会の同意がえられ、2人の建築士の行政処分が軌道に乗ることになった。

 

この会議で建築士法の立法経緯が議論された。建築士法は米国の建築家法をモデルにしながら、立法を急ぐ拙速主義で米国の建築家法のように、設計・施工の分離もできず、建築設計業務の定義すら立法化はできなかった。当時進駐軍は一定の建築技術を有する者を占領軍の工事監理者として利用するために、拙速に占領軍の事業のための工事施工図面の作成と工事監理をする建築技術者を確保する立法が急がれた。最初の建築家協会の会長となった松田軍平は、進駐軍の建築工事を日本の建築家に分配する役割を担って、国内の優秀な建築士事務所を米軍の仕事を分配することで業界への支配力を維持していた。米国のように職能として建築家協会がその倫理規定により違反建築の設計者を社会から排除できなかった事実を官民の協議の当事者が認めた上で、今後、建築士法改正はできる状況にないので、悪質な建築士の行政処分と建築士の業務基準の整備を行なうことで、建築士法の不備な部分を補正することになったが、建築士法は米国の建築家法とは全く別な内容であることも確認された。

 

設計・工事監理と建設施工業務の分離

建築士法で設計・工事監理の業務を排他的独占業務として行う規定の根拠は、建築物は土地を加工して造られる恒久的な不動産で、購入者に高額で生命・財産に重要な関係がある不動産であるためである。よって、建築士には米国の建築家と同様な学識・経験が要求され建築士法で定められた立法経緯が確認された。しかし、建築士法は拙速的に立法され、建築士に求められる学識経験が明確に規定されず、進駐軍工事の工事監理のできる技術者の選考条件として安易に規定された。その結果、実際の建築士法の立法趣旨に適合しない建築士試験の受験資格に定め、合格者に建築士資格を与えた間違いを確認した。

 

建築士法は立法当時、占領軍が建設工事の工事監理技術者の要求に応えた制度であった。わが国の有名建築家は、占領軍からの業務が得られることで占領軍の言いなりの業務を行なった、建築士法は占領軍の仕事を受注する技術者条件として受け入れていた。国土交通省の建設3法(建築士法、建設業法、建築基準法)行政では、法律上禁止している業務を、適正な設計・工事監理及び施工業務と見なした公共工事を容認し、政治家、官僚、土木建設業界が利益を抜き取る「土建国家」の片棒を担ぎ、護送船団の建設を容認してきた。その結果、公共事業は政治家と官僚の利益のため、税金が請負工事業者の粗利に消え、建築士の既得権と業界の歪んだ慣習を隠蔽する業務が建築士業務に定着してしまった。

 

公共事業の政・官・産の不正用人の特記仕様書による手抜き工事容認構造が、国土交通省の住宅・建設行政で、手抜き工事を制度的に容認した建設業法を施行したため、住宅建設業者は手抜き工事により建築主に不利益を与える住宅を不等価交換販売により造ることを当然のように行い、その結果、住宅が購入者にとって資産ではなく、短期間に建設廃棄物になってしまった。住宅・建築・都市行政では、建築士を建築士法で定められた学識経験を有する技術者と見なしたため、建築士が実施した設計・工事監理業務を、立法趣旨どおりに業務を正確に行われたと国民を欺く結果になった。

 

わが国の住宅政策は、建築の設計業務において建築主の資産形成を疎かにし、建設業者の利益本位の行政が容認され、スクラップ・アンド・ビルドを繰り返すGDPを最大化の経済政策の主要な担い手になった。住宅・建築物の安全と衛生には、建築行政に都合の良い建築基準法規定を万能とし適用させ、欧米の建築法規のように科学的合理主義を追求するものではなかった。建築士法の規定は、建築士の資格と業務のいずれにも立法趣旨の条文が疎かにされ、行政の意向を技術規制に取り入れた建築基準法の行政指導を徹底する行政により、国民の利益に反する不正業務が建築行政上横行してきた。

 

設計図書は、建築士法で定めた学識経験を具備した技術者が設計しなければ、大きな損失をもたらす恐れがあると立法当時考えられていた。設計、工事監理業務と施工業務は分離し、相互に牽制しあう法律として建築士法は制定された。しかし、建築士法の施行は、わが国の建設業界の実情を追認するものであったため、設計及び工事監理業務と施工業務の分離は無視された。その結果、建築主に不利益を与える不正工事は設計及び工事監理者と施工業者が共謀して行うことがわが国の建設業の風土になってしまった。建築士資格が建築士法に違反して、建築士の特権として国家資格を与えられた結果、建築士は、「優秀な技術者資格」と周囲を誤解させ、名義貸し等不正な利益を手にしてきた。

 

職能(プロフェッショナル)でない建築士による国民の住宅資産価値毀損

ハウスメーカーでは、無資格の客引きを行っている営業マンが建築士の「名義借り」で設計業務は行なっているが、建築士自身が設計業務を行っても、その業務能力には大差のないと判断し、ハウスメーカーの設計業務は建築士の「名義借り」によって設計業務を行なうことが常態化している。建築行政もその事実を認め「建築士の名義借り」の違法を容認してきた。そのため、建築士法上の立場に立てば、建築士は建築士法通りの業務が行なえず、建築士法自体が存在しない状態をつくってきた。いずれにしろ、わが国では消費者に専門的な設計工事監理業務の提供を受けられず、大きな損失を受けてきた。

 

建築士が設計・工事監理業務をしなくて建設される住宅と建築士に設計される住宅とは大差がないため、建築士資格者の業務を問題にする必要もないと社会一般が考えるようになっている。建築士法で規定した学識・経験を有する建築士が存在しない結果、建築主の建築物を長期的な資産形成の視点に立った基本設計が作成されず、社会的に短期的寿命の建築設計しか設計されず、消費者に損害を与えてきた。住宅を設計する場合、長期的視点で建築設計を進める技術を建築士が保有しないため、社会経済的に見て寿命の短い住宅建築しか設計できず、欧米のように住宅を取得することで個人の資産形成はできない。

 

わが国では新築住宅販売のときには、「差別化」により、広告・宣伝、営業・販売にかけた費用を直接工事費と欺罔し、販売価格でかかったサービス経費のすべてを直接工事費として回収する高額な独占価格販売を行ない、住宅金融機関は独占価格全額に融資を行なってきた。しかし、住宅自体の実際の価値は、住宅市場での需要と供給によって決められる価格で、既存住宅取引価格である。本来は、新築住宅の場合、直接工事費である。そのため、わが国では、住宅購入者が住宅を手放さなすときの中古住宅価格は、新築住宅建設時点での直接工事費は40%程度でしか販売することはできない。その結果、中古住宅価格は新築住宅価格の半額以下になり、建築主に大きな損失を与えてきた。

 

本来の建築士は建築主の要求に沿って、資産となるべき住宅を設計する誠実業務を履行する義務を負っている。設計業務とは工事用の設計図書を作成する図面だけではなく、消費者に引き渡す住宅価格に見合った価値を有する住宅でなければならない。建築士法がモデルにしている米国の建築家法のとおり、建築設計は建築に関する歴史観と建築思想を持ち、歴史・文化的視点に立って優れた住環境として持続する住環境を創造・設計する使命を持ったもので、建築家が職能として、住宅の価格に見合った使用価値、即ち、効用(デザイン、機能、性能)を具備する設計をしたものである。

 

建築士の建築知識:概略の知識

わが国の設計業務では建築基準法が最優先され、確認申請書に添付する設計図書の作成が、建築士の最優先業務とされてきた。そのため大学の建築教育委も代願設計の作成とされてきた。代願設計は建築主が工事を計画したとき、建築主事に提出する確認申請時に提出するものである。確認申請時点で計画した内容を建築基準関係法令に適合することをまとめて説明する説明用の図書である。申請段階で未決定の内容は、申請書に記載する必要はない。しかし、現実の確認申請は請負契約書に添付する設計書と同じものを提出することが建築主事から求められ、未確定の設計内容まで記載させられている。

 

確認申請書は、申請時に建築計画をした計画内容を建築主の意思表示として提出することを求めていて、計画内容の確定を求めてはいない。実際の建設工事は、工事を確定できる実施設計がまとまらないと工事請負契約は締結できない。また、工事請負契約なしに工事はできない。建築主は確認申請後、計画内容を変更しても、変更確認申請の手続きは不要で、後は工事請負契約内容としての設計圖書を「工事検査確認」として建築主事が審査するのが建築基準法の立法時の法律の構成である

 

現在、わが国で、建築士にその作成した住宅設計の工事費を見積もるように要求しても、正確な見積もりのできる建築士は皆無に近い。その理由は、建築士が作制した設計図書は、建築主の用意した間取り図を、確認申請書添付図書にまとめた代願設計で、建築士法上の設計図書ではない。実施設計ではないので、それを作成した建築士には工事現場で工事監理業務をするように言ってもその業務はできない。その理由は、建築士には、工事を正確に行なう具体的な材料及び工法を特定する工事詳細の定められた、実施設計図書を作成する能力がないためである。代願設計図書では、実際に行うべき工事が設計図書として定められておらず、行なうべき工事管理も工事監理も実施不可能だからである。

 

実際に行なわれるべき工事詳細が設計されないと、工事業者も工事ができないし、工事費見積もりもできない。工事費見積もりをしないと請負工事費も決まらず、工事請負契約も結べない。そこで、工事業者は「材工一式」の床面積当たりの概算工事単価(坪単価)を使って工事費を見積もるが、その見積額は概算額であって正確な見積もりではない。わが国の工事請負契約に添付される工事費見積もりは、建築工事を具体的に確定できない実施設計図書をつかった概算見積もりが行なわれてきた。

 

工事請負契約書締結のための工事費見積もり

社会的には、建築設計技術・能力が欠如し、設計段階で工事内容を特定できない不正確な設計図書であっても、設計圖書として不正確なものでは材料も労務も数量が確定せず工事費見積もりはできない。それで工事請負契約を強行する必要が生じ、設計圖書が不正確でも概算額を計算できる概算見積もり方法生み出された。それが「材工一式」の略式単価で概算工事費を見積もる方法である。建築士は正確な実施設計が作成できなかったので、その概算額を正確な工事費見積額と見なして、一挙に工事請負契約を締結させ、建設業法違反を強行させた。

 

内容の確定しない設計図書を使い、「材工一式」の概算額単価を使って概算見積もりを行い、それを基に工事請負契約を締結することは建設業法違反である。しかし、わが国では概算見積工事費でも、重層下請け構造を前提に、建設工事は実施できると考え、正式な工事見積額と見なし正式の工事請負契約が締結されてきた。そこでの単価は実際に支払われる材料費及び労務費より十分高額な単価として設定されていたため、下請けを厳しく締め付けることで、殆どの工事は概算額で計算した工事請負契約額で実行できていた。不確かな工事費見積もり額での工事請負契約は建設業法違反である。

 

建設業法違反の原因は、建築士が実施設計を作成できないことに原因があった。工事内容を確定させる実施設計を作成できないため、その後の工事見積もりを不可能にし、工事請負金額の見積もりを、概算工事費としてしか計算できない状況を作ってきた。そのような学識経験の不十分な建築士を育成する制度が現実である。建設省は1950年に、建築士に必要な学識経験を行う学校教育も実務も存在しないのに、それが存在する前提で建築士法を施行したことにすべての不都合の原因があった。

 

戦前までは、わが国では職人制度がしっかりしていた。設計及び工事監理業務が不十分でも、実施設計が正確にできていなくても、熟練技能者が工事を確実に実施していた。そのため、実施設計圖書が未整備で設計が無責任で、「材工一式」の概算見積りでも、工事は契約通り建築主に納められると確信していた。しかし、職人技能制度が崩壊し、実施設計において工事納まりを明確にしない限り、現場での工事はできない状態が生まれてきた。実施設計図書が作れず、概算見積もりと概略設計で工事請負契約を進めたところに合理的な工事のできない問題ある。現在の時点で建築士法上の責任関係を明確にするためには、建築士に実際に工事のできる実施設計を作成させることである。

 

違法を正当化する建設業行政

確認申請書の代願設計を建築士法及び建設業法上の設計図書と見なし、また、建築教育上も代願設計図書を建築設計図書と見なして教育してきたことに、不正な設計・施工が紛れ込む原因がある。製造業としての建設業は、建設工事に使う材料と加工組み立て労務によって構成される工事の基本である実施設計が基本である。その実施設計が存在せず、不正確な代願設計図書と概算工事費で、重層下請けにより、矛盾を下請けに押し付けることで工事ができると間違った判断がされた建築教育がされてきた。熟練工が消滅し、建設現場の生産性が破綻し、「手抜き工事依存」が拡大してきた。

 

わが国の建設工事現場の技能は伝統的な技能者の徒弟制度によって担われ、最終的な納まりは実施設計されなくても、現場の職人に任せられる安心感があった。しかし、戦後の混乱は、材料が払底し、技能者も仕事を失い、職人の技能の伝承が失われた。そのため、実施設計図書が正確につくられない限り、合理的な工事は望めなくなった。そこで建設工事は工事費見積もり同様、「材工一式」で下請けに丸投げされる方法が拡大した。熟練技能に代わり、プラモデル方式の簡単な加工組み立てを多くの建材において導入した。建設現場は単能工により場当たり的に対応しても、一定の工事を実現できるようになり、建設現場から熟練技能者は消滅する方向にある。単能工による技能は安い単価で使い捨てられるもので、その技能は既存住宅の修繕や維持管理に有効な技能にはなり得ない。

 

国土交通省は、「建設業」のこれまでの産業分類を恣意的に変更し、「建設工事業」ではなく、「建設サービス業」と言ってきた。その理由は、下請け業者に工事を下請けさせ工事を管理するよりも、下請け業者に仕事を分配するときの「口銭」(粗利)に関心が向けられた結果である。建設業者による工事管理は、下請けの都度、粗利を抜いて実行予算させていく工事の管理である。公共事業の場合、建設業者はその粗利をすべての中間下請け業者から賛助会費(営業経費)として巻き上げ、それを政治家への政治献金や官僚の天下り経費としてキックバックさせ、建設サービス業としての主たる業務と考えられてきた。建設業者の関心が、下請工事を管理するよりも、中請けとして粗利を抜くことに移ってきた。

 

公共事業の場合、予算単価自体が財政緊縮で厳しくなり、物価の上昇や重層下請構造を使っても、工事請負額での工事で期待通りの利益を生み出せなくなった。すると、工事請負契約額で定められている設計圖書と工事請負額の矛盾は、請負工事人が利益を減少させる以外に工事を実施できない矛盾に追い詰められた。その矛盾は、中請け業者が工事手配者となって、工事を手掛けず粗利だけを抜いて、さらに下請けさせることに向かわせた。建築士が立法趣旨に違反して工事内容を特定できる実施設計を作成できず、工事費見積もりが正確のできなかったことにある。下請けに対する矛盾転嫁が限界まで来て、そこで持ち出した究極の利益確保の方法は、「手抜き工事」である。「手抜き工事」を建設業法上「適正工事」とする方法が国土交通省の建設業法の施行で行われることになった。

 

この公共事業で行なってきた方法は、公共事業という財政(国民の税金)を政治家、官僚、建設業界が重層下請けによる粗利の分配によって業界全体を潤す「社会福祉事業」であると、護送船団内部では皮肉混じりに口にされている。公共事業において、重層下請けの仕組みを利用して中間で抜き取られる粗利は、基本的に財政支出で、国民の税金である。その税金を政治家、官僚、企業が粗利の分配と呼んで分配している。仮に、100億円の5層下請けの公共事業の場合、下請けの粗利は15%としても、70億円は粗利の分配で消え、直接工事費として支出される割合は30億円程度に過ぎない。

 

住宅産業においては、1976年から始まった住宅建設計画法の時代から、「持ち家」政策をハウスメーカーによる住宅展示場を営業の中心に、広告・宣伝、営業・販売を中心に置く経営に変化してきた。そして、その流通業務自体にかけるサービス費用を販売価格で回収する経営が始まり、そのサービス業務の経費が販売額の過半数を超える額なってきた。住宅販売額の60%をも占めるサービス業務費を直接工事費と欺罔して住宅販売を行なってきたが、政府はその経営が建設業法に適合していると欺罔し、それを追及されぬよう建設業法に違反した「建設サービス業」と新産業分類を持ち出した。工事請負契約を締結すると、建設業者は工事請負金額を説明するために、工事を実施する上に必要とされる「工事費内訳明細書」を作成するが、そこに掲載される材料と労務の数量と単価と実際の工事に使用される材料の数量と単価は無関係で、建設業者自身が「工事内訳明細書」の説明ができない状態である。

NPO法人住宅生産性研究会 理事長 戸谷 英世)

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