HICPMメールマガジン第782号(2018.07.18)

みなさんこんにちは

 住宅・建築・都市問題はわが国では「物づくり」として作ることが目的とされてきた。しかし、欧米では住宅・建築・都市は、それらがつくられ、供用開始されたときが始まりで、その後,半永久的に住宅・建築・都市はその設置目的に沿って経営され、人びとの生活に役立てることを目的にされてきた。住宅・建築・都市はいずれも個人の所得と比較したら桁外れに高額な物であり、人びとは住宅・建築・都市のいずれに対しても計画修繕を繰り返し、善良管理義務を果たすことで、半永久的に利用してきた。

HICPMが7月からその業務を再会することになり、会員の皆様にHICPMが提供できることは欧米の方な住宅都市環境形成の欧米技術移転だと思います。2014年に断行された都市再生事業により土地利用計画が根底から覆されて、経済的利益を供与するため都市空間を約4倍に拡大し、バブル崩壊前の地価水準を回復する政策が経済政策として実施され、都市はスクラップ・アンド・ビルドされ、都市のスカイラインを変えてしまった間違った住宅都市政策を問題にするもその中に含まれている。

都市空間を無償で不良債権を抱えた地主や国家が手に入れるようになって、バブル崩壊により地価急落で失った土地資産価値を回復でき、不良債権の苦しみから解放される取り組みが全国で実施された。不良債権に苦しんでいた企業も政府も都市再生事業で救済され、わが国の経済環境も危機的状況を抜け出した。安倍内閣の政治も都市再生事業により財政が改善され、経営破綻することなく展開されているが、道路、下水道等の都市基盤整備をしないで土地利用を4倍にした都市再生事業のしわ寄せが都市環境にしわ寄せされており、大震火災という交通渋滞による大都市災害危険は拡大している。

「喉元過ぎれば」の諺のように、都市再生事業が居住環境を犠牲にして経済的利益を拡大しようとしたことが、憲法に違反して行われ、全国的に行政事件訴訟として取り組まれ、多くの市民が都市再生事業の犠牲にさせられた。この重大な問題が、住宅・建築・都市関係者の間でも忘れ去られようとしている。それを繰り返すようなことがあってはならない。これからのわが国のためにも、「都市再生事業」が、民主国家を毀損するものであったことを、今回、再確認することにした。

 第16回 都市再生緊急措置法関連で顕在化した「聖域なき構造改革」の本質(MM第782号) 

 

都市再生緊急措置法の目的は、地価をバブル経済崩壊時点にまで釣り上げる「規制緩和」を行うことで、不良債権の原因となった「バブル崩壊により地価下落」を回復することで、不良債権の原因となった問題を解消することであった。政府はこの規制緩和に合わせて可能な限りの規制緩和を実施する行政を実行したため、都市計画法及び建築基準法上違反の行政処分までも、一連の規制緩和の名目で行われた。

 

土木行政と建築行政の狭間で

現在の都市計画法は、わが国の高度成長が軌道に乗った1960年代後半、都市がスプロールし始めたとき,木賃アパートや文化住宅が、道路や下水道等の都市施設が存在しない田園の中に集団的に建設され、飲料水は公共水道を延伸させ、又は地下水を汲み上げた。浄化能力のないし尿浄化槽から汚水があふれ、不衛生な環境が形成され、電力も既存の電柱から電力会社の許可も得ないで引き込む違法な開発が行なわれた。少なくとも電気・水道事業に対し、供給制限を行なうことで住宅地開発を押さえる行政対応が行われた。そこでわが国の将来の都市を考えたとき、憲法第25条に適合した都市計画法を持たないと国家として大きな損失を被ることになるとされ、わが国では英国の労働党内閣の住宅政策と都市政策を見てモデルに、1968年、英国の都市農村計画法を下敷きに新しい都市計画法が準備された。

 

英国では計画許可(プランニング・パーミッション)を厳しく行なうことで立派な都市計画を実現していたという都市計画の理解の基に、わが国の都市計画法は、英国の都市農村計画法を基本的に受け入れ、「計画許可」を「開発許可」と言い換えることで都市計画法の原案がつくられた。しかし、建設省内協議の段階で、新しい開発許可制度が実行されると建築基準法の集団規定に対する建築行政が、都市計画行政に吸収されることが明らかになり、建築行政はパニックになり、「新都市計画法の立法に反対」の意思決定をし、都市局と住宅局が対立することになった。

 

しかし、都市計画法を立法して将来に向けて計画的な都市計画を行なうことは、田中角栄をはじめ当時の政治家の意思決定されたことで、それを変更できない状態にあった。その原因を検討すると、欧米では土地を建築加工することで建築不動産を造る「土地建築物一体の考え方」で法律も社会の理解ができている。一方、わが国では、明治時代に民法が制定されて以来、「土地と建築とは別の不動産」と扱われ、都市計画法は土木行政とされ、土地の上に造られるものが建築行政とされた。2つの行政は建設省の行政に含まれているが、行政利権は対立し、簡単に調整できなかった。そこで都市計画法制定のためには、既存の行政利権をそのまま認めることで都市計画法を立法する妥協が図られた。

 

矛盾が顕在化した都市再生事業

都市計画法立法時の妥協は建築不動産の開発に当たって、建築物の建てられる土地整備までの行政は都市計画行政で行ない、そこで都市計画法案の「建築物」は、急遽「予定」を書きたし「予定建築物」とされ、開発許可はそこで建築される土地(地盤)整備までを「開発許可」として行なうことにした。開発許可が行われてからは、建築基準法による確認が「予定建築物」に対して行なわれる行政事務となる。予定建築物の土地整備までが開発行為とされ、開発許可以降の予定建築物の確認に仕分けられた。

 

都市計画法では、開発行為を「土地の区画形質の変更」と定義し、開発許可によって土地基盤の整備がなされていることを実現することを許可した。開発許可の対象区域の中で建築工事として行なわれる土地の整備と一体的に行なわれる建築物の建設は、宅地造成工事のすべてを建築工事として行なうことにした。宅地造成を伴う建築工事に対して、開発許可を要しないとすることで、建築行政の行政利権は都市計画行政の対象としないことで開発業者の開発事業費負担は削減された。

 

一般的には都市計画行政は宅地開発行政を行い、宅地開発が行なわれた土地に「一敷地一建築物」として建築基準法行政は行なわれることとして両法の行政事務は整理された。しかし、都市再生法関連による規制緩和の取り組みがなされるようになると、都市局の扱う都市計画法と住宅局の扱う建築基準法に対し、内閣の要求として、両法は姉妹法の関係に拘らず、可能な限りの規制緩和を行なうことが指示された。その結果、両局はそれぞれの立場として可能な規制緩和の検討を行なうことになり、「総合設計制度」のような姉妹法の関係を超えた規制緩和が検討され、実施された。

 

都市計画法は立法当初から建築基準法の縛られたくないと思い、建築基準法は都市計画法に縛られたくないと考えていた。特に開発許可は、基本的に建築物は都市計画法に定められた土地整備ができない土地に建築してはならないと定められている。そのため、道路、公園、下水道等の都市施設の未整備な土地での開発許可は、それらの土地整備がないところでは、開発業者が開発行為として土地整備を一体的に行なうことが開発許可の条件とされた。そのため、それらの土地整備を避けて開発する「開発許可不要」とする開発許可行政の脱法の方法が、業者と都市計画行政との間で検討されてきた。

 

都市計画法で定義された「開発行為」

都市計画法の最重要な行政行為は開発許可であるから、都市計画法では、「開発行為」の用語を「土地の区画形質の変更」と定義した。その用語の定義は、開発行為の基本であるので容易に変更できる内容ではない。「区画形質の変更」とは、土地の形態と品質を変更することを言い、土地の区画の変更(文筆や合筆)、都市の性能(質)とは、土地の切り盛りによる形態の変更と擁壁による構造性能の強化の全てが含まれる。その理由は、開発許可を受けた土地ごとに建築基準法の単体規定が適用になり、単体規定は法定都市計画として都市計画決定された内容に従うように建築を建てることが定められている。土木行政では物理的な造成にしか行政の関心がなく、立法当初から「区画の変更」は開発許可の対象とせず、宅地造成という造成工事しか開発行為の対象としてこなかった。

 

都市計画法は立法当初から建築工事は建築行政の行政分野と区分したため、建築工事と一体的に行われる土地の形質の変更も開発行為の対象にしないとする無理な法解釈を行ない、さらにエスカレートして「土地の区画形質の変更」と定めた開発行為に対する都市計画法の用語の定義に違反し「1メートル未満の切土、盛土」は「開発行為」ではないという行政指針を作成し、それ以外の工事に関しては開発行為が存在しない扱いになった。違法な「開発行為」をすることで開発許可を免れ、都市計画法で定めた土地整備基準を満足しないで開発行為を不要とし、建築工事を行なう脱法行為が横行した。都市再生事業の多くは、開発行為に該当しないと欺罔し、道路等の土地整備事業を行なわない開発が実施された。

 

「開発行為」が存在しなければ、開発許可の条件と定められている都市施設を一体的に整備する義務を負わなくて済む理屈になる。その行政指針「開発許可の手引き」は、東京都が定め、国土交通省が承認したことで、多くの土地は、まず、「開発許可不要」とされた。そのご、土地に対する開発は、専ら建築工事として行なわれた。長谷工コーポレイションの町田市での住宅地開発は、1000平方メートルを超す規模の開発が行なわれ、そこで、土地を10m以上掘削してもそれは建築行為であるから「開発許可不要とされた開発」として、開発許可の基準を適用せず、建築基準法による幅員4m以上の道路に2m以上接道する基準で適法な開発として行なわれてきた。開発許可の基準を適用しないことが規制緩和であるとされ、東京都の作成した開発許可の手引きが都市再生事業では一般的に持ち出された。

 

行政処分と司法による裁判判断

幅員4メートルの道路に中高層マンションを詰め込めば発生交通量は大きくなり、道路はラッシュ時には渋滞を起こす。玉川学園の長谷工コーポレイションの違法開発では、シャトルバスを運行する対応策が採られたが、都市計画法違反であることには変わりない。特に長谷工コーポレイションのマンション開発の場合には、多数のマンションを廊下で繋ぎ、その繋がれた建築群が「一の建築物」であると説明して建築基準法の接道義務の規制を回避する計画を行ない、東京都の建築行政が容認してきた。その計画では敷地面積が広く雨水調節のための調節池をつくることが開発許可では義務付けられていたので、雨水の氾濫を恐れて調節池は作成している。開発許可不要の開発であるとした理由は、道路整備義務を負わないためで、町田市が開発許可不要としたことで開発地に対する道路整備の義務を免除された。

 

都市再生事業として行われた「開発許可不要」とされた町田市の事業では、開発許可権者である町田市長が、積極的に長谷工コーポレイションの開発事業を開発許可不要の事業と認め、住民からの行政不服審査請求に対し、東京都の開発審査会において、町田市はその開発を適法と主張し、また、開発許可及び建築確認に対し住民が行った行政事件訴訟に対し、司法は住民の訴えを却下した。都市再生事業は全国各地で違法な許可が争われた。住宅生産性研究会は多くの訴訟に参加を求められ、開発許可及び建築確認が違法に行われたことを争う訴訟を、通算で約100件支援してきた。開発審査会、建築審査会及び行政事件訴訟の全てにおいて処分庁の処分が全面的に認められ、住民原告は敗訴となった。

 

行政不服審査請求を行なっても開発審査会や建築審査会は行政処分を全面的に追認し、原告である住民の意見に耳を傾けることはなかった。原告は行政処分に対し都市計画法及び建築基準法上の法的根拠を示して訴えている訳であるが、審査会では住民側の訴えに真摯に耳を傾けることはなく、その主張には答えず、行政処分どおりでよいという裁決を繰り返すばかりであった。審査会は業機関内部の審査会で、委員も行政機関で先行された委員であるので、行政側の処分を守る性格上やむを得ないと考え、司法に対し行政事件訴訟を行なった。しかし、その結果は、司法においても変わりはなかった。

 

都市再生事業における判決

都市再生法関係で100件近い行政事件訴訟を行なった結果、すべてが「処分庁の処分どおりでよい」と判断され、原告・住民の法律上の根拠を示した訴えに、まともに回答をした判決は1件もなかった。それらの都市再生事業関係の判決を整理してみると、判決が共通していることがあることが解かった。判決文には、まず、原告の訴えが、それに続いて、被告行政庁の反論が正確に書き写されている。それを受けて、「当裁判所の見解」欄がある。そこには共通して「被告の処分の通りでよい」と仲裁裁定の決定を思わせる見解しか書かれていなかった。個別の判決を見ていると気が付かなかったかもしれないが、100件近い裁判の判決の比較検討の結果、都市再生事業に対する司法の対応が見えてきた。

 

都市再生事業は、もともと現行の日本国憲法に違反した都市再生緊急措置法を根拠に改正された都市計画法及び建築基準法をもとに法定都市計画を定め、それを根拠に開発事業を行なったものである。都市再生緊急措置法を根拠に行った法律改正は、通常の立法のように憲法に適合していることを内閣法制局が審査し、合格した内容ではなかった。憲法に違反しているため、都市再生緊急措置法を立法し、それを根拠に都市計画法と建築基準法を改正したものである。言い換えれば憲法違反の立法である。国家の方針が憲法違反を前提にするため、立法だけではなく、行政も司法もそれに従わされたのである。都市再生事業は不良債権を抱えた企業の救済であるという政治判断のもとに三権が違反を追認した。

 

都市再生緊急措置法の位置づけ

憲法違反の立法は日本の行政としては経済・財政上の緊急事態に対して、都市再生事業は、行政行為として猶予のできない対応として国家の統治上行ったものである。立法及び行政として行なった判断であるから、司法にたいしても、内閣の政治判断と一貫性のある対応が求められた。1959年の砂川判決のとき田中耕太郎最高裁裁判長の判決をここで援用すれば、「聖域なき構造改革として立法された都市再生緊急措置法は、国家として政治的に行なうべきと国会で判断された内容であるので、司法も政府の判断に従うべきであるとされ、司法はそれと違った判断をする必要はない」ということになる。

 

都市再生緊急措置法は、その法律上の「都市再生」の名称に掲げる都市環境改善の法律ではない。法律で規定したことは、不良債権で苦しんでいる企業及び国家を救済する目的で都市空間を無償で供与する法律である。しかも、都市の基盤の整備改善をお願い致します。することはなく、既存の都市に既存の土地利用の4倍以上の空間利用を上乗せさせる法律出る。都市再生事業は都市施設に対する負担が過重になる。即ち、都市再生事業により都市環境の悪化は必至である。土地利用が既存の4倍に拡大すれば、ライフラインの負担が過重になるだけではなく、土地の景観や眺望も変化させられる。都市環境を守ることを定めた憲法第25条に照らして矛盾する立法を認めることは都市計画にとって自殺行為となる。

 

わが国の経済・財政にとって必要な対応策として、政府は国債を発行し、財政、金融、税制など可能と考えられる政策をとってきたが、その政策はいずれも期待される効果を発揮せず、その結果、小泉・竹中内閣が立案した「聖域なき構造改革」が都市再生緊急措置法であった。しかし、このような都市環境を犠牲にした経済政策を、その国の憲法に違反して実施した国が日本以外にあるかと疑問を抱き、私が調べた限り、国民に犠牲を負わせ企業を救済した例は欧米先進国には存在しない。欧米ではバブル崩壊の結果、企業経営が失敗した企業は倒産させられ、その資産は新規に生まれる企業の肥やしにしてきた。

 

国民にとっての政策の選択肢

わが国では政治家と官僚機構と産業とは護送船団を組み、バブル経済の時代の利益も護送船団で挙げ、その中で利益を分配してきた。その結果、政治家と官僚機構と産業とは強い運命共同体をつくってきて、バブル経済崩壊後のわが国では、不良政権を抱えた企業の救済が前提となった政策しか考えられてこなかった。護送船団関係者の利益を守る前提の中での政策選択となっているため、憲法違反の立法を許される常識がわが国の政治を支配してきた。小泉・竹中内閣の経済・財政優先の政策である。

 

現在ドイツにおいてもわが国においてもニュールンベルク裁判と東京裁判に研究が盛んになっている。ワイマール憲法という史上最も民主的につくられた憲法の下でヒットラーが政権を奪いホロコーストを起こした成り行きは解明されたようであるが、その責任関係は解明されていない。ナチズムの大きな流れに流された以上の説明はなされていない。『ゲッベルズと私』という著書が話題になっている。10歳まで生きたゲッベルズの元秘書が60年の沈黙を破って語ったことは、「私は無実」の主張である。

 

日本の東京裁判も日本が国際社会への復帰を果たすために急いで行われた側面があって、東京裁判での議論が国民共通の財産(認識)になっていない。そのため、現在、中国やロシアから東京裁判を正しく理解するための東京裁判の研究が行われている。日本政府を含め日本人が戦争責任を認めていない。被告である東京裁判の被告の積みを日本では国を含んで認めていない。そのため、東京裁判は,日本で開催されたにもかかわらず、裁判結果を日本国が認めていないため、中国やロシアの政治に利用されかねない状況にある。歴史認識は、過去の理解のためと同時に現代から未来のために必要である。

 

都市再生緊急措置法の評価

都市再生緊急措置法のような政策の選択をしてはならないにもかかわらず、バブル経済の崩壊とその後の財政金融政策の失敗責任を何一つ明らかにせず、都市再生緊急措置法で経済的に楽になれた安倍内閣を見ていると、政治責任を取らず、都市再生事業でそれを金儲けに利用する政治を見ていると、将来に不安が感じられる。都市再生緊急措置法はわが国の財政危機を解決したわけではない。一時凌ぎができただけで、都市再生緊急措置法の弊害はまだ表に出ていない。目先の政策が行き詰まったときには、何をやっても許されるというような選択をしていると、再起不能の混乱に引き込まれる危険がある。

 

大都市直下地震が発生し、都市耐火が発生したとき。今回の都市再生事業が都市基盤を基本的に変えないで、そこのこれまでの土地利用の4倍の容積を詰め込んだわけである。既に道路の住宅や学校等の施設の不足は顕在化している。今後、都市施設を改善しないで、都市再生事業で高密度開発された都市がどのような結果をもたらすのかは、すでに多くの大都市直下型地震に対する推計は行われていることを参考に考えると、年再生事業自体が大都市災害の原因をつくっているが、その認識は皆無である。

 

現在改正された都市計画法及び建築基準法は、それ以前の都市と比較して4倍の容積となっているが、それで安全かどうかの検証は行われていない。通常都市計画を変更する場合その土地利用計画委の変更によってどのような問題が起きるかは検討して、その対応を考えている。しかし、都市再生事業の関係では、4倍もの容積になったにも拘らず、都市居住者の生活環境として安全であるかに関する検討も行われていない。不良債権企業が救済され経済的にゆとりが生まれたこと以上の評価はほとんど行なわれていない。都市再生事業で富の再分配がどのように行われたかの研究も存在しない。

(NPO法人 住宅生産性研究会 理事長 戸谷 英世)

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