HICPMメールマガジン第777号)(2018.07.04)
みなさんこんにちは
梅雨明けで暑い日が始まったと思ったら、台風がやってくるということで涼しい日が始まりました。FIFAベスト8にはなれませんでしたが、清々しい戦いをして国内外の評価は非常に良かったようです。
HICPMのこれからの活動として、私にできることは何だろうかと考えたとき、住宅産業中心の政府の住宅政策に対し、HICPMがこだわってきた「消費者本位の住宅産業のとり組み」を過去からの歴史文化の連続線上で将来を考えることに尽きると思いました。
現在連載中の「注文住宅」は、わが国のこれまでの歴史を人文科学的視点で総括しようとするもので、この原稿を読まれた方はHICPMがモデルに考えてきた欧米の住宅の考え方を知り、きっと「住宅産業人としての取り組みのヒント』を学んでくれることと思っています。
今回はわが国では旧聞になっているかもしれませんが、現在に以前くらい加賀を落としている「バブル経済」の崩壊とその後のわが国経済の低迷の中での政府の模索と、竹中平蔵金融大臣の経済学の実践を明らかにしてみました。
第11回 バブル経済の拡大とその突然の崩壊(MM第777号)
1990年、日銀の突然の金融引き締めにより政府系金融機関や多くの産業も倒産された。企業の倒産とリストラにより失業者が急増した。住宅ローン破産で多数の労働者は自殺に追い込まれ、企業と国民の貧困化が進み、法人税及び所得税が縮小し、財政不足で国家経営が行き詰まった。政府は不良債権に悩む企業と護送船団を組んでバブル経済を進めてきたため、不良な経営企業を救済する政治家と官僚の間違った経済金融政策より財政不足のため、国債を発行した財政は、国債依存から脱却できなくなった。
不良債権と国債依存財政:「聖域なき構造改革」と都市再生事業
財政規模の20倍を超す国債に依存するわが国の財政は、返済期間が来ても国債償還財源がなく、赤字国債を発行する財政危機に追い詰められた。それが小泉・竹中内閣の時代である。その解決策として、財務省と金融省と日銀が多数の政府の政策を支援する学識経験者を糾合して窮地から脱出する政策を検討した。有効な財政の改善策は作成できず、それまでの政策はいずれも事態を悪化させるだけで打開の目処も立たない状態であった。このようなとき竹中平蔵金融大臣はバブル崩壊後の経済の混乱を単純に整理し、全く奇想天外の政策提案を行った。竹中平蔵の経済提案の考え方は以下のとおりである。
わが国が直面させられた経済不況の基本原因は、土地担保金融によるバブル経済崩壊により、地価水準が一挙に全国平均で4分の一に縮小したことにある。すべての国家及び企業の負債の原因は地価の縮小であるから、地価の回復を行うほかには、有効な解決策はない。それが竹中平蔵の基本認識であった。竹中平蔵は日本国憲法の下で私有財産の保障を蹂躙することはできないが、経済が混乱した江戸時代末期には「徳政令」が政府の常套手段として行われていたことを見て、その政策を実施する提案を行った。それが小泉純一郎内閣による「聖域なき構造改革」であった。この政策で言う「聖域」とは言うまでもなく日本国憲法であり、「聖域なき構造改革」とは憲法違反の「徳政令」のことであった。
政府は不良債権に苦しむ政府及び民間企業の不良債権を帳消しにするために、バブル経済崩壊で失った地価を回復させる政策を採った。地価を直接的に変えなくても、地価総額を引き上げれば地価は引き上げられる。そのためには利用できる政策は、土地の総容量(土地の総容積)を拡大する政策である。地価総額が大きくなれば、結果的に地価は上昇する。土地の総容量は都市計画法及び建築基準法を改正し、法定都市計画を改正し、既存の土地の容積率の4倍に拡大し、増大した都市空間を無償で不良債権に悩む企業に供与する政策である。都市空間は国民共有の空間で、その利用は日本国憲法で定める私有財産の保障と健康で文化的な都市空間を維持するために、日本国憲法に「私有財産の保障」や「健康で文化的な環境の保障」で「聖域」が決められている。その「聖域」をなくする政策である。
小泉・竹中内閣は日本国憲法に違反する「聖域なき構造改革」を「都市再生緊急措置法」として憲法違反の立法をした。同法を憲法に代わる法律上の根拠にし、都市計画法や建築基準法を改正し、平成の「徳政令」によりバブル崩壊で失った地価を回復する政策が採られた。容積率を引き上げた法定都市計画の改正を根拠に都市再生事業が実施された。国民には「景気回復のための規制緩和」政策を政府が実施すると説明された。直接的な規制緩和を行なうのではなく、国民の権利義務の基本を定めた日本国憲法を機能しないようにして、日本国憲法で禁止した「私有財産の保護」と「健康で文化的な国民の生活空間」を破壊する憲法違反の法律改正を行なう法律上の根拠を都市再生緊急措置法として立法した。
政府立法は上程するに先立ち、内閣法制局で立法内容が日本国の最高法規である日本国憲法に適合することの審査を経なければならない。都市再生緊急措置法は日本国憲法を真っ向から否定する立法であるから、内閣法制局の憲法審査に適合しなければ上程できない筈である。どのようにして国会に上程されたかは説明されていない。政府はそれ以前に「聖域なき構造改革」を政府の統治行為として行なうことを国会に説明したことを根拠に、統治上の必要な行為として立法をしたことになる。
日本憲法違反の都市再生事業
小泉・竹中内閣が「聖域なき構造改革」と言って景気回復の最終的な奥の手として提出した政策は、日本国憲法では実施できない。規制緩和を可能にする「憲法に代わる法的根拠」となるものという位置づけである。つまり、「都市再生緊急措置法」は、都市計画法及び建築基準法を日本国憲法に違反して改正するための根拠法として立法した。日本国憲法で定められた「私有財産の保障」(第19条)と「健康で文化的な生活の保障」(第25条)に照らして不可能な立法で、都市計画法と建築基準法の改正を実施するための根拠として制定された法律が「都市再生緊急措置法」である。この法律は憲法に対し、「天才バカボンの賛成の反対なのだ」と主張し、政府も学識経験者も「それでいいのだ」である。
小泉・竹中内閣は景気回復のための「規制緩和策」と国民に説明したが、日本国憲法に違反する政策であるとは一言も説明せず、「日本国憲法で認められた規制緩和」のように説明し、国民には専ら景気対策という説明を繰り返した。改正された都市計画法や建築基準法を現行の日本国憲法下で立法する場合には、法案を国会に提出するに先立って日本国憲法に適合していることを、内閣法制局によって審査される。日本国憲法では不可能とされる規制緩和など法制局審査で認められる筈はない。日本国憲法に違反した立法に、学識経験者やジャーナリスト等の識者で「都市再生緊急措置法が日本国憲法違反」することを指摘し、問題視した人は現れなかった。政府に睨まれることを恐れ大政翼賛政治になった。
都市再生事業は基本的にスクラップ・アンド・ビルドを繰り返すことで、土地利用を4倍増し、地価を4倍増させる経済政策で不良債権を解消した。それまでの戦後の都市計画で形成してきた都市環境を経済主義のために一挙に不連続に拡大することで、住宅環境に対する国民の考え方が大きく変化させられた。都市再生事業は都市の文化的な再生が目的ではなく、都市の歴史文化を破壊し、不良債権に悩む企業救済のためにスクラップ・アンド・ビルドさせるものであった。都市再生事業により人々が長年月かけてつくった都市コミュニティの形と権利関係は破壊され、不良債権を回収するために高層高密度なマンション群が建設された。そこに入居した人はローン総額の3倍の担保を押さえられ,年間所得の8倍以上の住宅ローンを組まされたが、その高額な住宅ローンの返済はよほどの所得上昇がない限り厳しい。
国土交通省住宅局住宅整備室長が強行した法律違反の行政
マンション建て替え事業の場合、1戸のマンションの地価は同じ額と説明したが、容積が4倍になることで地価総額は4倍になった。そのためマンション所有者や建て替えマンションの購入者には地価は4倍になった。政府がマンション建て替え事業のモデルとして進めた多摩ニュータウンの諏訪2丁目団地では、それまでのマンション所有者からは容積率を引き上げる前の地価で建て替え業者(東京建物㈱)は土地を都市再生事業以前の価格で買いあげ、容積率を4倍にした土地を総額4倍のマンションとし販売し、容積率の拡大分の価値を建て替え業者が横領してしまった。この建て替え事業はマンション建て替え円滑化法違反して国土交通省住宅局が都市再生事業のモデルとして牽引して行った。
国による違法な行政処分であったので行政事件訴訟法が争われた。しかし、司法は国土交通省が違法な行政指導で推進した事業を、「都市再生事業」関連としてすべて容認することを司法は内閣に指示され、行政の違法をすべて適法と追認した。私はこの事件には関係権利者として約15年間、行政事件訴訟に関係した。マンション建て替えの基本法である「マンション建て替え円滑化法」自体が憲法違反であるが、国土交通省は同法に基づき同法の施行を詳細に定めた「マニュアル」に違反して施行するような指導を行ない、建て替え事業者に地価上昇分の利益を横領させた。そこで、この事業が「マンション建て替え円滑化法」に違反して行われた事実であることを明らかにし、私自身が原告となり10件近い行政事件訴訟を行なった。司法は原告の訴えを無視し、東京地方裁判所、東京高等裁判所、最高裁判所はいずれも原告の訴えを裁判上の審理の対象にさえせず、被告・行政庁の主張を全面的に追認した。
建て替え業者・東京建物㈱は参加組合員で土地の権利者ではない。都市再生緊急措置法で土地の容積率が4倍になっても地価上昇分の利益を手にする権利はない。しかし、国土交通省住宅局は,建て替え業者に法定都市計画の改正による地価上昇分の利益を横領したことを、正当な建て替え事業として認め、司法はそれを不当と訴えた組合員の訴えを無視し、東京建物㈱の横領を追認した。都市再生緊急措置法は国家の統治行為であるとして、司法は行政庁の判断に追従することを強制され、司法機能を停止させられていた。ちょうど1959年11月最高裁判所(裁判長田中耕太郎)による「砂川裁判」の判決と同様で、政治判断として司法判断が行政判断に従う結論(統治行為論)が与えられていた。
官僚と政治家の関係(東大法学部出身の能吏たちの体たらく)
森友学園と加計学園の問題は、国家の財政を私物化した安倍晋三の移行を忖度しためであることは、公然の秘密である。内閣総理大臣が真相究明を妨害し、検察を動かさず、法律に基づく起訴をさせず、犯罪の下手人の官僚は「知らぬ、存ぜぬ、記憶にない」と言い、とその黒幕である内閣総理大臣は、「真相を究明し、国民に丁寧に説明すると言い、高みの見物を決め込んでいる。都市再生事業の殆どが不良債権で破綻状態の企業救済のため、国民共有の都市空間を横領させた訳であるから、その犯罪性は明らかである。下手人は官僚であり政治家は不正な利益を手にした企業からの政治献金を受けてきた。
政治家は官僚に予算立法を行な環生活予算の配分を直接行なわせることで官僚を支配してきた。マンション建て替え円滑化法は、不正な富の分配事業である。この事件は官僚が政治家の意志を忖度し、違法に補助金を交付し、地価高騰利益の分配を断行した。マンション行政のップの地位にあった和泉元住宅局長は、その能吏ぶりを評価されて、内閣総理大臣補佐官になり、その部下の円滑化法違反を指揮した下手人、井上住宅整備室長は住宅局長に昇進した。官僚の昇進は政治家の強い引き(意志)があって実現することで、政治家に政治献金という金の流れをつくった「能吏」と言われ官僚似与えられる特権で、政治家の意向を汲んで官僚権限を行使し、政治家の犬の役割を、特権を行使してきた。
森友学園と加計学園の問題は、現代の政治と官僚機構の基本問題であることは国民の殆ど全ての知ることとなったが、検察庁が動かず、起訴しないということになれば、刑事問題は国民には、違反が行われていても、違反を阻止し、又は刑事事件にすることもできない。検察による証拠が明らかにされない問題を「犯罪」と主張すると、疑惑を問題にすることが「名誉棄損」と言う。政治家が金銭上関係した疑惑に関して、安倍首相自身が直接お金を受けたかどうかを証明できる問題にすり替えるのが、安倍晋三の主張である。これまた「証拠はあって、ないのだ」とする「天才バカボン」の笑いである。
国家及び産業の救済のためで、国民犠牲の都市政策
都市再生緊急措置法による都市計画法及び建築基準法の改正とそれを基づく法定都市計画の改正は、既存の都市の土地利用を4倍増させるもので都市環境を抜本的に変化させた。土地所有者に地価の4倍相当の利益を無償で手に入れさせた結果、不良債権に悩む政府と企業は巨額の富を手にし、経営内容を大幅に改善できた。バブル経済崩壊後、法人税の納入できる企業が12%にまで落ちた。また、企業経営を改善するため、労働者が正規雇用から圧倒的多数を非正規雇用にし、労賃を最低限に抑え、諸手当を削減した。その結果、労賃支払い総額が下落し、企業経営は生き延びたが、所得税が減少し財政危機に陥った。しかし、都市再生事業の結果、約15年間の都市再生事業で経済活動が改善された。
2012年に東日本大震災が発生し、巨額の損失をもたらしたにも拘らず、わが国経済はプラス成長を続け、6年間で15%成長した。しかし、都市再生事業で得られた利益は不良債権処理に充填された結果、経済的波及効果殆は殆どなかった。企業と個人は所得が大幅に改善し、担税能力を高めることになり、法人税収及び所得税収が増え、赤字国債依存体質から脱却できた。そして一時1200兆円を超えた国債残高も1千兆円を切り、財政の危機的状況は基本的に変わらないものの改善の兆しも見えた。
日本の住宅政策は都市再生事業で高層、超高層マンションを供給する「フローの住宅」で、住宅産業と住宅金融業が巨額な利益を挙げる事業環境をつくり、マンション業者を支援する住宅政策が行なわれた。しかし、都市環境は破壊され、住宅を購入した人は不等価交換により住宅購入者は巨額な担保を抑えられ、返済の見込めない住宅ローンを組まされた。長期的に見れば、そのほとんどが住宅ローン破産の予備軍化し、よくても購入したマンションの購入額の半分以上を失うことになった。世界の工業先進国に例を見ない住宅環境形成により都市の歴史・文化・生活を守り育てることは絶望的になった。
住宅・建築・都市に関する学校教育と住宅行政でも、日本では欧米のような人びとの生活環境を重視する「ストックの住宅」の見方をせず、目先の利益追求のための「フローの住宅」の見方しかできない。戦後の占領下でGHQの指導を受け建築士法が制定され、米国の建築家法をモデルに将来を展望して住宅・建築・都市を設計する設計者を養成する制度がつくられながら、米国と「似て非なる」形骸をつくっただけになった。それは占領軍の中でニューディール派が、わが国の戦後社会をどのように築こうとしていたかを日本の関係者は理解しようとせず、制度を形骸化させたからである。
戦後の日本に欠如していた住宅・建築・都市政策
占領軍から建設3法の提案を受けた日本側の行政関係者は、占領軍の提案を理解せず、法律の制定をするだけで足りると考え、米国の建築家とは学識も経験も全く異質な建築士を養成することで占領政策に応え、それで立法の目的が果たされたと考えた。一見、同じ建築設計業務のように見えながら、わが国の建築士の行なう建築設計は、目先の経済的利益の実現のための設計で、国家としての将来の資産形成に合った国民の住環境を中心に考えた「ストックの住宅」設計ではなかった。
わが国の住宅都市政策は日本国憲法第25条に違反した都市再生緊急措置法の流れに沿って、すべてが住宅産業の利潤追求に貢献する建築設計になっている。都市再生事業で建設された住宅は、「フローの住宅」として住宅産業の利益を最大にする住宅設計が行なわれてきたが、生活者の豊かな生活を中心にした人文科学的な設計になっていない。その結果、住宅は時代とともに衰退し、スクラップ・アンド・ビルドを余儀なくされ、住宅所有者に住宅を所有することで資産を失わせることになる。
日本の戦後経済復興が軍需産業に依存したが、ベトナム戦争後は、軍需に代わり住宅産業需要に依存した経済政策が採られた。しかし、国民の生活要求に謙虚に応える政策が採られることはなかった。住宅・建築・都市政策の全てがGDP最大化の経済成長政策に位置付けられ、国民の過去・現在・未来に連続する歴史文化のコンテキストで国民生活とその文化環境を考えることが失われ、国民の文化的アイデンティティと豊かさを実現する途を見失い、経済主義により迷走させられている。都市再生事業で持続的に向上する「フローの住宅」の富を「濡れ手に粟」し、不良債権処理に充当した者もいる。しかし、少し長い目で見ると、都市再生事業で手に入れた富は泡沫として消滅してしまうことになる