セカンド・イタリアン・ルネッサンス・リバイバル様式
近世 ・ 近代西欧建築の歴史は、ルネッサンス建築に始まる。ルネッサンスは古代ローマ建築様式の復興であり、 その成果はアンドレア・パラディオによる「建築四書(Four Books of Architecture) 」(1570年)に集約されたものと考えられている。実際には、 建築四書の中には、アンドレア ・ パラディオの独創と考えられるものも多いと言われている。その中で、 後世において、 特に広く愛用されたデザインモチーフが、 パラディアンウィンドウと呼ばれる上枠を半円形とした矩形窓に、両袖窓を一体にした窓である。パラディオはこの窓を、 柱間が不均等の外壁に、中央部の窓寸法は同一にしながら、両袖の窓の幅の調整によって、 全体を美しくバランスのとれた窓の並びとするために開発したと言われている。 しかし、この両袖窓で囲われた3連窓のリズムの美しさが評価されて、 単独の窓として装飾的にパラディアンウィンドウとして多く使われるようになった。 米国の近代建築は、 グランドツアーに参加したリチャード ・ モリス ・ ハント、 ヘンリー・ホブソン ・ リチャードソン等によ って、フランスのエコール ・ デ ・ ボザール(美術学校)の教育内容である建築四書が、 米国に伝えられた。その後、 マッキム、ミード、 ホワイト3建築家によるパートナー事務所がニューヨークに設立されたことによって、本格的に米国の主要な建築デザインがルネッサンス様式でつくられるようになった。そのため、 この様式はアメリカンルネッサンスともアメリカンボザールとも呼ばれ、 全米のルネッサンス建築の牽引車の役割を果たした。ニューヨークにつくられたヴィラート邸(1887年)が、 この様式によって建てられた最初のものといわれている。 米国のルネッサンス様式は、もともと英国のクリストファー・レンがロンドン大火後の復興に、ルネッサンス様式で都市再建をし、その影響が植民地である米国に及んだことに始まる。しかし、エコール ・ デ ・ ボザールで正規のルネッサンス建築を学び、 直接イタリアに出掛けて本物のルネッサンス建築を見ることによって、 その偉大な美しさに感動し、イタリアで見た建築を、その感動とともに、 米国で実現するようになった様式と考えるべきである。そのため、 本物のイタリアンルネッサンスのある地中海(メディタレーニアン)から持ち込んだということで、 メディタレーニアン様式とも呼ばれている。 南仏からイタリアにかけてつくられている建築様式はメディタレーニアン様式という名で呼ばれているが、現代カリフォルニアにおけるメディタレーニアン様式もオリジナル(起原)は同じで、 直接イタリアや南仏からの影響を受けたものである。