ジョージアン様式ニューイングランド

■クィーンズハウス

英国は16世紀の中頃ヘンリー8世時代に、国王の離婚問題が契機となって、国教会を設立し、ローマカトリックと断絶し、大陸から孤立した。その頃ヨーロッパでは、 近世の絶対主義王制の建設に向けて、国家の指導者となる人々の、 ヨーロッパの大都市を何年もかけて大旅行するグランドツアーが流行しはじめていた。 英国はそれから取り残されたため、1570年アンドレア・パラディオの纏めた「建築四書(フォーブックオブアーキテクチュア)」も英国には伝えられなかった。17世紀に入り、 英国も鎖国から解放されグランドツアーに参加するようになり、 クィーンズハウスは、 建築家イニゴー・ジョーンズがイタリアから英国に伝えた初めての本格的な「建築四書」の実践である。 クィーンズハウスは美しい建築と評判であったが、 装飾が少ないため建築当時は他への影響力は弱かった。 コベントガーデンもイニゴー・ジョーンズ設計によるものである。

クィーンズハウス(イニゴー・ジョーンズ設計 グリニッジ、イングランド)

クィーンズハウス(イニゴー・ジョーンズ設計 グリニッジ、イングランド)


その後多数の英国人が大陸に渡り、 イタリアンルネッサンスの建築を英国に伝えるようになる。 その中の最大の建築家が、 セントポール寺院をルネッサンス様式で設計したサー・クリストファー・レンである。

クリストファー・レンは、1666年、英南戦争の真只中に、パン屋から発生してロンドンの中心市街地を殆んど焼失させた火災後、ロンドン復興計画を国王に提案したことで、大きな注目を惹くことに成功した。ロンドン復興計画は、レン自身も提案どおり実現するとは思ってもいなかったといわれるアイデアであったが、 この提案を機に、 レンはロンドン復興の建築にルネッサンス様式を広め、その旗手ともなった。英国各地ではこぞってルネッサンス様式による建物が貴族により建設され、広く7つの海を越えた植民地にまで、その影響はイングリッシュコロニアル様式として及ぶことになった。


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です