HICPMマガジン第866号(2020.0203)
みなさんこんにちは
第24回:政府が目論んだ都市計画制度
都市計画法が1968年に制定されすでに半世紀が経過している。しかし、現行の都市計画制度は立法当時、政府が国民に説明したとおり、将来に向けて立派な都市を造るためには都市計画法として優れた法律制度を持たなければいけないと言って立法が取り組まれた。その当時、福祉国家を掲げて戦後の国家再建に取り組んでいた労働党アトリー政権の下でニュータウン開発や公営住宅制度がつくられ、都市計画は都市農村計画法に基づく「計画許可制度」に基づき秩序だった都市づくりが行なわれていた。英国の都市農村計画法は都市環境をつくる日本にはない法律であった。
一方、わが国は朝鮮戦争に始まる米国の東南アジア軍事戦略の下で、軍需産業による経済復興を進め、新産業都市や工業整備特別地域に始まり、その後、『日本列島改造論』により、新全国総合開発に進む開発を、米軍の軍事戦力を担う兵站基地として開発された。占領軍の軍需支配がサンフランシスコ平和条約により日本が独立国になったとき、米国が朝鮮戦争のため、占領政策を継続させ日米安全保障条約を締結させた。占領政策として始めた米軍の兵站基地を日米安全保障条約により継続することで日本の経済成長が実現された。わが国が米軍の兵站基地になることは、米軍の極東軍事戦略の一貫に組み込まれ、国土全体を広域行政にすることであった。それを、政治的、経済的、行政的に、米軍の極東戦略に適合する米国の要求が1960年日米安全保障条約の改正であった。当時の総理大臣は池田勇人の政治目標は「所得倍増計画」で、米軍の兵站基地としての軍事同盟を表に出さず、貿易、為替、関税の自由化による経済盟としての国内の開発を広域行政にする政策を政治の表に出した。
田中角栄は官僚主導の「都市政策大綱」と「日本列島改造論」を纏め、全国総合開発計画、(全総)、「新全総」、「3全総」と改正が繰り返され、それと平仄を合わせる立法が都市計画法の制定と説明された。高度経済成長による都市の無秩序な開発が始まり、木賃アパートや文化住宅が都市郊外の農地の中に都市施設の整備のないまま開発された。このような無秩序な開発を放置すれば、わが国の都市の将来は絶望的だと指摘された。そこで都市計画を優れたものにするために「100年の計」を立てなければならないと国家権力を背景に都市整備の議論が都市計画法の立法であった。その都市計画を無秩序なスプロールを制御する方法として英国のグリーンベルトの議論が持ち出され、都市計画法を背景にした行政権力で都市開発を縛り、国家権力主導で都市開発する発想が新都市計画法の制定の思想であった。その都市計画法制度として日本政府は「英国の都市農村計画法」に倣うことを表明した。
当時も現在同様、政府も自民党も学識経験者も英国の都市農村計画法や都市計画理論も基本的に理解しておらず、彼らの考えたことは英国の都市農村計画法に倣って都市計画法を立法し、国家権力で都市計画決定を縛る行政を行なえば、英国のような都市計画が実現できるという理解であった。英国の都市農村計画法では「計画許可」ですべての都市開発を完全に縛っていると理解し、都市計画決定に付与される「計画高権」を背景に都市計画行政が行われているので、「計画高権を背景に計画許可をする制度」を作ることが目的とされた。そこには近代都市計画の理論の理解もなく、政府自民党と言う為政者が支配したい計画を都市計画制度として実施することだと考えていた。要するに都市計画理論がなくても政治家が強制権を振るうことが出来る法律上の根拠が求められていただけであった。
その証明は、都市計画法が制定施行されて半世紀を経過した実績を振り返ってみれば、その決定的な証拠が山積している。都市計画違法の定義に違反する「市街化区域」、「市街化調整区域」、「開発許可の基準」、「開発行為」、「開発許可と確認」、「敷地と団地」、「敷地と建築物の関係」等のすべてである。現行の都市計画法の最大の規定は、全ての開発行為を支配する「開発行為」と「開発許可」の定義である。
「開発許可制度」
政府は都市計画法の立法作業に関係する職員を英国に派遣し、都市計画法の施行現場での研修を行なった。一方、英国から多数の都市計画行政専門家を招聘し、国内で研修会を実施した。英国の都市計画制度がわが国の都市計画制度に取り入れられると、結果として纏められたわが国の都市計画制度は、英国と同じような都市をつくりあげると説明された。英国の都市農村計画法は「計画許可制度」により、土地と建築物を一体の不動産として「計画許可」する制度を、わが国では「開発許可」と名称を変更した。優れた都市を造る「鍵」は、「都市施設整備水準を高めること」とされ、都市計画法には開発許可の基準(第33条)が設けられた。それまでのわが国の都市の道路基準「幅員4m以上」を「幅員6m以上」に定めた。しかし、その都市施設基準の引き上げを裏付ける予算措置がつくられなかった。「開発許可の基準」(第33条)を満足する敷地は例外的にしか存在せず、「開発許可」の基準を満足しない土地は開発許可(第29条)ができず、開発許可が出来なければ建築確認はできない法律を作った。そこで、開発許可を受けないで「開発許可の手引き」の都市計画法違犯の行政が始まった。
都市計画法の立案時には、政治家と官僚が中心になって国威発揚できる「幅員6m以上の広幅員道路」により機能的に優れた都市をつくることが優れた都市計画と考えられていた。1960年日米安全保障条約の改定に合わせ石油資本の要求を受け、石炭産業を閉山に追い込み、国家の基幹エネルギーを米国の石油資本の言いなりにした。石炭と石油の差額を「ガソリン税」として道路整備予算に向けることで都市施設整備ができると説明もされていた。都市計画法は建設省内部で、住宅局から新都市計画法が制定され開発許可制度が出来れば、建築基準法の確認制度は都市計画制度に吸収され建築基準法行政は壊滅させられることが分かり、「都市計画法反対」が住宅局から提起された。その反対に、都市計画行政は開発許可行政の下で「確認事務職員を開発許可事務で使ってやる」と不謹慎な発言が漏れ伝わり住宅局は激怒した。私は住宅局の都市局窓口の建築指導室に改良係長として配属された。
建設省内部で住宅局の反対意見を精査したところ民法第87条に抵触しながら、民法を所管する法務省との国会上程のための事前協議ができていなかった。その段階で法務省協議を成立させ、閣議決定に持ち込むことは不可能とされたが、都市計画法の廃案はできない状態になっていた。そこで、建設省は民法に抵触しないように都市計画法案の全面変更が取り組まれた。それは建築不動産一体の許可制度を、「都市計画法は土地部分」に、「建築基準法は建築物部分」に分解する法律であった。開発許可制度自体は、都市計画法の中心で譲歩できないと言われた。又、「開発許可の基準」(第33条)に対応した道路整備の意欲は失われ、「開発許可の基準」に適合した都市施設整備の議論は放置された。都市計画決定された内容に実現は、「計画高権」により「国家が計画実現を担保する」と出任せを言い、政治家も官僚も新都市計画法の立法に情熱を失ってしまった。新都市計画法の最も重要とされた「開発許可」制度を新設しないでもよい「立法趣旨・目的の分らない法律」になってしまった。
民法に抵触しないようにした都市計画法の最終調節では、都市計画法は土地に限った規制を行ない、建築物は土地以外の規制を行うことになり、それまでの都市計画法案における開発許可は、土地に限った許可になり、建築基準法は建築不動産の土地以外の部分とされた。そのような問題整理により「都市計画行政と建築行政の既得行政権は守られると建設省の関係行政官は考えていた。しかし、それまでの建築行政は土工事から建築工事のすべてを含んでいた。一方、それまでの都市計画法案では建築不動産全体が開発許可の対象とされていたものから、一旦建築不動産とされた行政領域から都市計画行政に残されるものは、建築物の地盤面までの建設と言うことになる。それまでの建築行政領域には、地盤面までの建設を建築工事と一体に行なっていたため、建築工事のうち土工事と基礎工事は都市計画行政と建築行政とに重複することになる。都市計画法の上程時にはその詳細ははなされず、「既得行政権」はそれを相互に容認することで不都合がなければ従来通り行うことに都市計画行政及び建築行政が合意し、建築行政はこれまでどおりの建築行政を行なっても、都市計画行政としてそれを容認すれば、そのまま行い、問題が生じた場合はその都度、調整することになった。その結果、過去に行なっていた土工事及び基礎工事を含む建築確認申請は、開発行為を含んだ確認申請が行われても、都市計画行政が黙認すれば、従来通りその全てを確認として行なってよいことになる。
新都市計画法どおりの行政事務を行なう場合には、開発許可では土工事と基礎工事までの土地の区画形質の変更に多資する許可を行ない、開発許可の工事完了届までを行ない、工事完了公告を受けて、都市計画法の規定に基づき、建築確認申請を建築物の土台以上の部分に対し行なう。しかし、実際の都市計画行政と建築行政は法律の文理会社に基づかず、それまでの既存行政に縛られ、都市計画行政を宅地造成工事までとし、宅地造成後の建築工事を、建築行政として行なうことが、「法律上の規定」と誤解して行なわれている。
1950年の建築基準法と米国の都市計画法(ゾーニングコードとサブディビジョンコントロール)
米国におけるTNDと同じ開発が日本でも求められている状況で、米国で実現できている2×4工法タウンハウスが、1970年都市計画法の施行者が地方分権法により都道府県知事に移管された時期に合わせて、都市計画法第11条第8号の都市計画決定を受けた「1団地の住宅施設」でなくても、建築基準法第86条の定める特定行政庁による許可の手続きにより実施されている。それまでの第86条は、都市計画法第11条第8号で「1団地の住宅施設」として決定された都市施設に対する例外許可として、「総合的設計による1団地の建築物」の取り扱いの例外許可が受けられる扱いを受けていた。それ以前の適用対象が、都市計画法と建築基準法の姉妹法の関係に立つ緩和規定として都市計画決定された「1団地の住宅施設」(都市施設)を適用対象にしていたが、現在は、都市施設に限らず、第86条による「総合的設計による1団地の建築物」とされることになった。
1950年米軍の占領下で建築基準法の制定と都市計画法の改正が米国の都市計画法(ゾーニング・コード)を参考に行なわれた。米国では都市計画法(ゾーニング・コード)で土地利用計画を決定するとともに、同法に定められたサブ・ディヴィジョン・コントロール(敷地ごとの建築規制)が行なわれている。建築基準法では第2章に米国の統一建築法規〈UBC〉の規定を取り入れ、第3章規定にサブディヴィジョンコントロールの規定が取り入れられた。敷地(ロット)単位にけいかくきせいが行なわれていて、1敷地に複数の建築物が建築される団地(ユニット)の場合には、「団地」を「敷地」とみなして、サブ・ディヴィジョン・コントロールの規定が適用される。又、団地(ユニット)の規定の土地の扱いは、建築基準法施行令第1条第1号の規定である。団地(ユニット)は、敷地(ロット)と同じ土地の概念で、同一の法人と個人の一元的な管理下に建築され、維持管理される土地を単位に、複数の建築物が建築され、管理される場合の「一団の土地」の規定である。わが国の都市計画法第11条第8号に定めている都市施設としての「1団地」と団地(ユニット)とは、同じ「一団の土地」と言う用語が使われているが、ユニット(団地)は、「建築物の敷地」であって「都市施設」ではない。
都市計画法第11条第8項に規定する「1団地」は都市計画決定によって決定される都市施設であるので、その1団地には建築基準法の規定の適用を受けない。その代わり、都市施設内の建築物には建築基準法の規定に代わり、第86条を根拠に建築基準法第3章に代わる規定を設定できることになっている。現在、建築基準法を根拠に「総合的設計による1団地の建築物」による規定が、建築基準法第86条を根拠に定められている。都市計画法による「1団地の住他計画施設」の都市計画決定を受けないで、特定行政庁の許可により、建築基準法第86条を根拠に、「総合的設計による1団地の建築物」が、特定行政庁により行なわれているが、その許可は、建築基準法第3章の適用を排除する都市計画法と建築基準法の「姉妹法の関係」を無視した法律的に正しい手続きではない。
TNDと開発許可
米国においてはわが国同様、経済の成長に伴って地価の高騰が進んで、消費者の住宅購買能力と住宅価格との乖離が高まっているが、その乖離現象を埋める方法として都心部では中高層住宅が建設される比率は高くなっているが、住宅地は近隣の生活環境を作る視点で中低層高密度開発が取り組まれている。そのために最も広く取り組まれている住宅地開発が2×4工法タウンハウスである。米国では防火区画(ファイアーコンパートメント)の技術開発が進んでから、全ての住宅に防耐火区画の技術が取り入れられ、国民の生命財産を守るためと、土地の高密度開発を進め、豊かな授環境を作るため、一般的な住宅地開発の技法になっている。米国では英国同様土地と住宅を一体にした住環境開発に対し都市計画法で開発許可が行なわれている。それはわが国の開発許可制度のような矛盾に満ちたものではない。それは英国の都市農村計画同様、地盤面の建設を行ない、その上に建築物を建築する工事が連続的に行われる。わが国が英国の都市農村計画法に倣って都市計画法案を造ったときの方法がもっと地全科学的な理屈に合ったもので、わが国の民法に合わせて建築不動産の建設の理屈を歪めた結果は、わが国の都市計画行政に盛られる混乱は当然の結果である。政府が東京都の言いなりに進めている矛盾した都市計画法の実施方法として作成し進めている「開発許可の手引き」は、開発許可(第29条)のできない「開発許可の基準」(第33条)に違反して開発許可を行なうため、都市計画法違反の「開発行為」の定義を行ない、建築物により地盤の安全工事を選考させる「制限解除」を都市計画法第37条違反で建築工事を開発行為に先行して行なう矛盾した工事を強要するものである。
現在の都市計画法の施行は、その法律の条文に違反しなければ建築工事ができないという異常な法律施行で、都市計画法の施行担当者自身は現行法の基本となっている開発許可の説明ができず、国及び東京都は「説明できない開発行為を説明する「開発行為」の定義に違反した「都市計画法の定義」を行なって「無理を通して道理を引っ込ませている。その結果、開発行為の現場では、矛盾した道理に合わせた計画を作成し、都市計画法違反な開発を適法であるとする説明を「開発許可の手引き」に照らして正しい都市計画法の解釈であり、高度な都市計画法の「自家薬籠中の技術」と都市計画行政担当者は思いこまされている。戦争中、目隠しをされて軍国主義を進めた行政と同じである。都市計画法による行政が混乱に陥っているより基本的な理由は、都市計画法が求められている理由である近代都市計画そのものの背景とそれを構成する理論そのものが日本には定着していなく、都市計画行政関係者に理解されていないためである。その結果、TND開発を都市計画理論通りに実施しようとしてもわが国の都市計画法ではまともに扱われなくても不思議ではない。
(NPO法人住宅生産性研究会 理事長 戸谷 英世)