メールマガジン第206回(2007年4月2日)
 みなさん、こんにちは。
 先月末から風邪にかかったようで、熱が少しあるだけなのに、体の芯に熱がある感じで頭が重く、口が渇き、寒気を感じるといった具合で気分が悪く、久しぶりに額の上に濡れタオルという生活を3日ばかり経験しました。
 若いときにはよくこんな風邪をひきましたが、最近では珍しいことでした。「老化現象は、若いときに戻ることとして現われる」とも言われるので、私も自分で意識している以上に、老化してきたのかもしれません。
 それでも、寝ながら考えることは、住生活基本法時代のことばかりです。「そんなこと考えても、どうなるものでもない」という方もいらっしゃると思いますが、私の試算では、今のような住宅を建設している限り、20年後にはMBSがローン返済事故(デフォルト)の影響を受けて、それ以降、毎年24億円程度の損失の原因となり、一般会計の負担になると試算されたことを考えていたからです。
 損失額の計算の仮定や計算結果については、この機会に概略をお伝えできると思います。その骨子は、メールマガジンでこれまでにも取り上げたとおり、国際自由化の流れの中で資本が流出し、国内の賃金水準が中国など発展途上国と平準化する方向に向かうため、20年後の日本の国民所得は、現在の約半分250万円(森永氏という経済評論家は、300万円時代と言っている)に、一方、中国は現在の日本人の国民所得の20分の1が、かつての日本の高度経済成長を20年間継続して、4倍の所得増大を実現して、年間所得は100万円となります。それでも、まだ日本の平均所得は、中国都市部の2.5培も大きいことになり、日本からの資本流失は止まりません。
 現在、年収の5倍の住宅ローンを組んでいる人の20年後のローン負担は、所得が半分になれば、10倍の重さになります。ローンの重さの絶対額は当初と変わらなくても、所得が変われば、負担は重くなります。
 「私は真面目に働いているし、転職しないから」、「20年後は、まだ50歳前後で、給与が半分になることはない」、「統計はあくまで統計で、私には関係がない」と多くの人は思っています。しかし、勧業銀行、長期信用銀行、北海道拓殖銀行など、まさかと思った銀行が倒産し、積立て分譲の御三家が、今では全く跡形がないということを思い出してみて下さい。
 戦前まで、「鐘紡」といえば、通常の2倍くらいの大きな活字で株式が表示されていた会社ですが、その会社が倒産するなど、誰一人想像できなかった事が、今は次々に起きています。本人も会社も真面目に働いていても、国際的な経済関係で、会社がドンドン潰されていくのです。潰されなくても、リストラがあったりして、指定席のない時代になっているのです。
 デフォルトが起きると、抵当権を担保に証券化されたMBSは、それを所有者に対して、金利はおろか、元金まで支払われず、所有者は、競馬のはずれ券同様、紙くずを買わされたと同じの損を負わされることになります。年収の10倍のローン負担が返済不能になる危険性は極めて高く、その発生確率が20年目に一挙に50%程度になり、その後、年を追って、残りの半分ずつがデフォルトになるとすると、その損失額は、ほぼ毎年、24兆円、20年以上続くことになるのです。
 それは、現在の日本で当然のように起こっている、「住宅が毎年確実に試算価値を落としている」という現象を、そのまま計算しただけのことで、特別に悪意のある判断を入れているわけではありません。ここでの唯一の仮定は、国際化の進展により中国に資本集中が進み、賃金が4倍に上がり、それでも日本はその2.5倍もの賃金をまだ維持できるという、日本にとって、まだ好意的な仮定を入れた上での推計なのです。
 実は、この件については、既に国土交通省の審議官や、金融公庫の理事や部長には説明をしてきたところです。この仮定について、「無理である」という指摘はなく、「ありうる可能性の1つである」ことに同意してくれています。つまり、当然検討されなければならない重要な課題なのですが、あまり怖くて、取り扱うことを避けている、というのが現実だといってよいと思います。
 この件については、住宅基本法の提案がされたとき、社会資本開発審議会の住宅宅地分科会の八田会長に面会して、意見を交換したことがありました。八田氏は、自らが経済学者であるという権威でもって、「モーゲージと抵当権が全く同じものである」という主張を私に押し付け、私を黙らせようとしたことは、以前このメールでも説明したところです。MBSを住宅政策に採り入れることをまとめた人の理解が、この程度であることこそ問題にしなければならないことを、もう一度強調しておきたいと思います。
 それを救う方法はないのか、国土交通省審議官の質問はそこにありました。私は、アメリカのCID(コモン・インタレスト・デヴェロップメント)のCC&Rs(カベナント、コンデションズ・アンド・レストリクションズ)の経験に学ぶことを提案しました。住宅の資産価値が高まることは、物理的に住宅を良くするということではなく、同じ住宅に現在より所得の高い人が入りたくなるように、その住宅を含む住宅環境をどれだけ熟成させるかということである、と説明しました。
 日本での例として、最近グローバル研修企画のツアーで訪問した埼玉のムカサガーデンについての説明をしました。審議官は、CC&Rsについて、日本でどのようにやることができるのかに関心を示していました。
 ハウジングアンドコミュニティ財団で、これまで約7年かけてやってきた研究開発は、まさにMBSのための準備研究であるといってよいのです。資産価値がベースになってモーゲージが成り立ち、モーゲージの価値がベースになってMBSが成立するのです。住宅の資産価値は、そこに住んでくれる人の所得がベースなのです。住宅地の建設や管理を考える人は、如何にして所得の高い人が住みたくなる住
宅地をつくることができるかを、最も重視して取り組まなければならないのです。
 休んでいる間、日本でできないことが、アメリカでできている理由は何だろうという風に考えていますと、その理由として、次々と面白い事例とその特色を支えている理由が浮かんできました。
 日本のように、住宅市場を1つのマーケットと考えているところでは、当然、合目的的な住宅供給はできず、ここの住宅の価格と効率との関係がアメリカに比べて非効率になるのは当然です。また、最近の一部の住宅産業者は、住宅を多くのサブマーケットの集合と考えることができるようになりました。しかし、まだ住宅を商品として扱っており、土地と一体の不動産と理解していないのです。そのため、サブマーケットを小さな住宅地の単位という風には理解せず、抽象的なサブマーケットというものが存在している程度にしか考えていないようです。
 このように考えていると、どこまでも、どこまでも話は続いていきました。忘れないようにメモでもしておこうかとも考えましたが、事実は変わらないので、また思い出して思考しさえすればよいと、また、住宅の資産価値を高める上でアメリカの住宅産業がやっていることを色々思い浮かべていたら、退屈しないで3日間が経ってしまいました。
 日本の住宅産業の関係者に、今、私達が置かれている環境を、如何に正確に伝えることができるか、という仕事の重要さを再認識したのでした。


メールマガジン第207回(2007年4月9日)
 みなさん、こんにちは。
 統一地方選挙が進行中です。政策中心ということで、各候補者は政策を説明していますが、私の関心は、彼らとは大きくずれています。何しろ、住宅という世界で仕事をしてきた私は、国民が悲しい思いをしてきたこれまでの誤りを、どうしたら正すことができるかということを、いつも考えてきました。その結果、住宅こそ、国民生活にとって、もっとも大きな政治課題の一つであると考えるようになっています。この私の感覚と、多くの政治家の考えとのギャップは、あまりにも大き過ぎるといってよいと思います。
 昔から、「衣食住」が、人間にとっての三大基本生活要素といわれてきました。この三つの要素は、人類の発生とともに始まり、人類が消滅するまで継続するもので、人類にとって、不可欠な営みであるといってよいのです。
 1970年に、私が初めてカナダに住宅の調査に出かけたとき、トロントのジョージブラウンカレッジで『カ−ペントリー』という書籍を購入しました。その書籍の最初の章に、「大工という職業は、人類の歴史そのものである」ことが書かれていたのが、強く印象に残っています。
 はたして日本では、住宅をどのように考えているのでしょうか。住宅産業という職業は、消費者の需要に合った仕事さえしていれば、決して失業しない職業であるということを、多くの日本の住宅関係者は忘れているようです。多くの住宅産業関係者は、いつも倒産の危機に怯えながら住宅を建設し、建設労働者は失業の危機と隣り合っていると考えています。
 アメリカの住宅産業関係者は、「たしかに新築住宅は景気の変動によって浮き沈みをするが、人類が住宅に住まなくなる訳ではなく、住宅も必ずリモデリングの必要があることから、新築需要が減少しても、それに代わる住宅関係の仕事はある」と考えています。
 住宅産業に携わってきた人には、少なくとも、これまで関係した顧客へのアフターケアの仕事が、継続して存在するわけです。住宅産業関係者は、長期的な展望を持って、身のほどにあった経営をしていれば、景気が変動しても相応の対応ができると思います。
 この実感は、HICPMの仕事を続けてきて、感じていることでもあります。現在の日本の住宅産業を改善するために必要なこととして、少なくとも日本より進んだ建設業経営をやっているアメリカに倣い、それに追い付くために何をすることができるのかと考え、取り組んできた知識、技術が、多くの日本の住宅関係者に受け入れられていることによって、HICPMは存在しているのだと思っています。
 つまり、住宅産業にとって必要な技術や知識、情報を扱っている限り、この運動は継続していくのだろうと言ってよいと思います。HICPM自体を継続させることができるかどうかは重要なことではありません。そこでやっている活動が、住宅産業にとって必要なものであれば、それに取り組んでいる組織は維持されるということだと思っています。他人のためにお金を使おうとする人はいません。しかし、自分が必要としているものを手に入れるためならば、お金を支払います。等価交換の原則こそ、尊重されるべき原点だと思っています。
 さて、国民にとって、住宅費ほど大きな負担となる家計支出はありません。憲法第25条の「健康で文化的な生活」という規定の裏で考えられていたのは、国民の住宅費負担だったことを、多くの国民は忘れています。
 戦後、日本で新憲法を制定するとき、「アメリカのニューディール派の人を旅客線一杯連れてきた」と言われたほど、GHQ・マッカーサーによる占領政策は、ケインズ経済学のアメリカでの実践経験を日本でも実行しようとするものでした。1929年の世界恐慌の後の経済回復の経験を、戦後の日本に応用しようとしたのです。その中で、住宅費が国民にとって大きな経済負担となっていることを認識して、
住宅政策がとられたのです。1950年代の1世帯1住宅の政策の中で、特に住居費負担の観点から、補助率や、賃貸住宅金利が重視されたのはそのためです。
 国民の60%以上が持ち家を持つ時代になっています。これらの持ち家所有者にとって、住宅ほど大きな資産はないと思います。それなのに、その住宅の価値が、全国的に見て、毎年2.5〜3%の比率で減っているのです。新築住宅にいたっては、最初の5年間は10%近い比率で、その価値を失ってい
るのです。
 仮に、住宅価格が3,000万円とすれば、その住宅所有者は、始めの5年間は300万円ずつ、その後は毎年80万円〜100万円ずつ、失っているということになります。これは自然現象ではありません。社会現象、つまり政府の政策によって起こっていることなのです。
 GHQは、憲法第29条に「国民の財産の保障」を書き込みました。その実現の方法として、アメリカの資産形成できる都市熟成の方法を、建築基準法第4章建築協定として成文化しました。しかし、現実は、住宅を所有することで財産を奪われているのです。つまり、憲法違反が政策によって行われているのです。
 それにもかかわらず、どうして、住宅政策が政治の問題にならないのでしょうか。今年から本格的に住生活基本法が動き始めます。動いても何も変わらないと考えている人がほとんどです。しかし、本当のところは、住宅が無政府状態の社会に追いやられようとしているのです。
 正当な等価交換をする社会のルールが無視され、差別化営業と手離れのよい仕事という、いずれも合理性とは無関係の詐欺商売が、さらに進められようとしているのです。今の時代にあっては、会社の暖簾を築いていく工務店経営をしていかなくては、工務店の将来はないのです。それは、手離れをさせない事業であり、顧客を絞って、自らの能力に見合った専門性を生かした仕事をすることで、顧客満足という評判を高めていく他に、やり方はないのです。
 本来、住宅価格は、住宅供給業者が操作して良いものではありません。モーゲージローンの社会であれば、業者が操作した販売価格どおりの金融をしてくれる金融機関などありません。価格は原価公開を原則にして、それに平均利潤率を加算したものが、経済合理的な見積りであるという原価主義を尊重して、決定されなければなりません。モーゲージの融資価格とは、原価主義を前提にしています。住宅建設業者が利益を高めるためには、販売価格の操作ではなくて、原価の中に隠れているムリ・ムダ・ムラを如何に取り除くかという、コンストラクションマネジメントの仕事に関心が向かうことになります。
 国家の政治課題、国策として、学校教育や職業教育の中に、コンストラクションマネジメントを取り入れ、建設産業の体質改善に取り組まなければなりません。今、日本の輸出産業をリードしている自動車や電子産業が、このような国際競争力を持つようになった理由は、1960年代に日本生産性本部が中心になって、オペレーション技術の重要性をアメリカに学び、それを日本の製造業の工場生産管理技術として、学校教育や職業教育の中で進めてきたことにあるのです。
 しかし、住宅産業においては、護送船団法式でヤクザまがいの産官学癒着構造を使い、不合理な人情で貸し借りの世界を作り、不当な利益を手に入れる仕組みでやってきたため、合理主義が入ることができず、産業全体を潰してきたのです。
 住宅の見た目は重要なので、確かに、形は美しく造られ、見た印象としては価値があるように見えます。しかし、その裏の見難い所は隠されています。そして、美しく見えた住宅も、そのほとんどが、僅かな期間で醜くなり、価値が下落していくのです。
 国民の不安を救う対応として、瑕疵保証が制度化されました。しかし、何が瑕疵なのかすらハッキリされず、瑕疵を問題にして、それがまともに取り上げられるまで想像もできないくらい鬱陶しい取り組みをしなければならなくなることでしょう。多分、国民は悪質業者との訴訟で消耗し、やっと訴訟で勝利したときには、その会社は倒産して存在しないか、支払いい能力がないということで、保険料は無駄
払いということになるのがオチです。
 国民は住宅政策にだまされ続けて、政策に期待が持てず、諦めてしまっています。それをいいことに、政治も行政も、国民の財産である住宅を勝手に侵犯して、その利益を盗み取ってきたのです。政治は、国民が住宅を手に入れて損をし続けていることを誰も問題にしないのをいいことに、国民が住宅に住まないで生活できないことを知りながら、住宅を通して国民の富を奪ってきました。
 しかし、国民が「こんなことは不当である」と考えることがなければ、住宅は、政治の問題、政策にはならないのです。世界中の先進国では、住宅は常に政治の大きな課題であり、国民の重大な関心事です。先進国の国民は、住宅政策を政治の問題と考えない政党に、政党政治を任せることはできないと思っているのです。
 少し前のことになりますが、耐震偽装事件の真相、本質をどうしても総括したいと思い、多くのジャーナリズムに提案をしてきましたが、どこも、噂は75日で、相手にされませんでした。私は、この問題は護送船団方式の日本の住宅産業の闇の部分であるということで、その告発を小説という形で訴えました。その小説は、『建築ジャーナル』誌で4月号から6回の連載になります。事実として明らかにされたと考えられる公表されたニュースを、護送船団方式の闇の構造の論理で繋いで、小説にした物です。闇の世界については、私自身がその世界にいたことで、闇の構造の理解としては間違っていないという自負があります。その小説をお読みになった方に、闇の世界の構造を、少しでも理解して頂ければと思います。情報公開こそ、社会を変えると信じているからです。


メールマガジン第208回(2007年4月18日)
 みなさん、こんにちは。
 先週、住生活基本法時代の新しい政策の一つとなるマルチハビテイションを考える研修ツアーで、日田・湯布院・豊後高田−昭和の町を、一泊2日で視察してきました。ツアーには24名が参加されて、日田では町おこしの説明、湯布院の集会では現地の市会議員や観光協会の方との意見交換、豊後高田の集会では地元の方も含めて皆で話し合いができました。
 私は、HICPM会員である西日本ホームの高倉氏による研修などで、何度か豊後高田に出掛けたことはありましたが、今回の訪問で、町づくりが地についてきたような印象を受けました。
 ツアーの中で、八幡宮の総本山である宇佐八幡宮に初めて参拝し、その洗練された神社建築の美しさにみとれてしまいました。豊後高田は、「昭和の町」で観光客を惹きつけていますが、湯布院のような観光地という感じではなく、豊後高田の持っている財産について、みんなが共通の財産と考える考え方が定着し始めたという所だと思いました。
 住生活基本法で取り扱うことになったマルチハビテイションにとって、最も大切なことは、そこに住んでいる人達が、自分達が持っている財産を、どれだけ意識的に守っているか、外部の人がそれをどれだけ羨ましく思うか、ということだと思います。これまでの、いわゆる観光のように、外部から来た人に物を売ってお金を取ったり、高い物を売りつけるといったことは、間違った村おこしです。
 湯布院では、山梨の清里高原などと同じ開発が行われており、そこに年間400万人もの観光客が訪れていることが、村おこしの成果であると評価している人もいました。
 しかし、それが、ここで「観光」という名の商売をしている人には評価できる事であっても、町の住民は、そのためにどれだけ豊かな生活を送れるようになったのでしょうか。地元にお金を落とすことが村おこしであるという考えがあって、本当の村おこしになってはおらず、村破壊になっているということに気付いていないように思えました。
 税収も増え、雇用機会も増え、経済的にも豊かになったと説明されても、木製のボール1つが4,000円、ジャムが一瓶600円、などという値段を見ていると、これまでの物売り観光開発と何が違うのだろうかと考えてしまいました。
 今後、年収が低下していくと予想される時代にあって、お金を使わずに時間を使って、豊かな生活のできる環境づくりとは、基本的に違った開発のように思えます。
 ヨーロッパのグリーンツーリズムや、1980年代の自由時間都市として取り組まれたマルチハビテイションは、都市で生活する普通人が、都市での生活と同じ程度の支出で、農村の羨ましい生活ができることを狙いとして取り組まれました。
 住宅を購入できる人は住宅を購入し、購入できない人は、住宅を購入した人が利用していない期間の管理料相当で、その住宅を借りることができます。一方、農村に出掛けている間、自宅である都市の住宅を賃貸住宅として賃貸し、都市と農村とのいずれでも住宅の管理運営をするシステムを作ることで、所得が普通の人でも、マルチハビテイションを実現することができることになります。そのためには、住宅地全体を健全に管理運営するシステムが作られなくてはなりません。
 例えば、過疎化が進んでいる村や町の全ての空き家を、村のNPO法人の管理下におき、管理費用はNPO法人で負担する代わりに、外からの長期または短期来村者に、その管理費相当額で住宅を貸すようにすれば、ほぼタダ同然の賃貸料で泊まれることになります。
 外部からやってきた人が一ヶ月そこに滞在し、生活すれば、15万円くらいの消費が生まれます。100世帯もやってきてくれたら、一ヶ月で1,500万円の消費が生まれることになるのです。つまり、都市から田舎への消費の移転ができます。
 日本の別荘開発やセカンドハウスを所有する場合には、必ずそれだけ余分に費用がかかります。昔から、自動車と別荘と妾は、多くの金持ちが手に入れたがるが、いずれも、手に入れるまでは欲しくて堪らないのに、いざ手に入れてみると管理に手を焼くものであると言われてきました。
 今では、自動車は多くの人の必需品となりましたが、それでもやっぱり、その維持管理には大きな犠牲を払っているのではないでしょうか。しかし、この別荘の管理を村のNPO法人がやってくれて、管理費ゼロで、利用費用もほぼゼロで利用できるというならば、農村の生活に興味を持っている都市の住民は、必ずやってきます。
 先日、HICPM近畿支部事務局長の猪谷氏から、フランスのボルドーとオランダのアムステルダムへ、軽便鉄道の調査に行って、大変感動したという話を聞きました。彼は、フランス人やオランダ人は利口だと感心していました。彼らが自動車などを保有せずに軽便鉄道を使うことで、時間もお金もうまく使っていることを目の当たりにしたためです。猪谷氏がそれらに感心して、彼の生活が今後どのように変わっていくのだろうかと楽しみにしていますが、変われなくても、まず感心をした、というだけでも大きな成果なのだと思います。
 現地の人々が、その生活をどのように評価しているかという視点が大切だと思います。多くの人は、よくわかっていると言います。しかし、それでいて、変えられないのだと言います。
 変えられないということは、本当は見て感じたことが、現在の生活に比べて良いという確信が持てないか、それとも、夢の世界と感じているかのどちらかです。誰もが、自分自身で選択できる範囲の中で、一番良い選択をしているのですから、現在の生活を変えることは、実は大変難しいことだと思います。
 頭で理解したことをいきなり実践するのは難しいですから、段階的にでも、実践する手順を探して努力し、その結果、努力が報われるならば、多分取り組む人も増えるでしょう。ですから、少しずつでも実践する手順を考え、実践していくことが最も重要なことだと思います。
 日本人は高度成長を経験して、お金があれば何でも願いは実現すると感じ、信じてきました。ホリエモンが「人の心もお金で買える」と言ったとき、多くの人はそれを思いあがりの成金だと非難しました。しかし、ホリエモンの言っているとおりの行動をほとんどの人がしていると思います。
 現実の社会での皆の行動を見ていると、ホリエモンの見せてくれた鏡に自分の姿が映っているのを見て、慌ててホリエモンを悪く言うことで、自分は清く誠実であると言ってみただけのことではないかという気がします。
 人間は肉体を維持するためにお金が必要です。お金がなければ、お金を奪うしかない。かっぱらいであっても、置き引きであっても、詐欺でも何でもいい。そのような、見つからなければ何をやってもいいという行動が、今の社会に蔓延しています。我慢をすることがなくなりました。
 かく言う私も、お金は欲しいと思います。何故ならば、お金があれば欲しいものを楽に手に入れられることを知っているからです。しかし、お金に支配されるようになると、自由を失うことも知っています。私は自由を大切にしたいと考えますので、自由を失ってまでお金を手に入れようとは思いません。そのために、お金のかからない生活を心掛けています。欲しいものは、できるだけ金で買おうとはせず、直接自分で工夫して作ろうと考えます。
 封建中世における経済成長がゼロの時代には、努力してもお金が手に入りませんでした。それでも人々は豊かな生活をしたいと願い、美味しい食事や、美しい着物や、美しい飾りや装飾を、生活の中に取り入れてきました。粗末な材料を加工して希望する食事を作り、自分の好きな着物や織物を作ってきました。そのような中で、人々は豊かさを味わうことができたのです。食文化、衣文化、住文化の多くは、経済的に貧しい時代に花開いたのです。
 19世紀末の芸術は、封建中世時代への回帰によって、ルネッサンスで放棄した中世文化を再評価する、という形で大きな文化の花を開かせたと言ってよいと思います。
 今、世界中の住宅デザインは、インターナショナルアーツアンドクラフツと呼ぶ19世紀末芸術の再評価に向かっています。これは、国際自由貿易経済の中で、先進諸国の所得が先行き下落するという見通しから、金を手に入れなくても豊かさを享受する方向に向かわなければならないとする考え方が、社会をリードするようになっているためです。
 しかし、現在の日本人の大多数は、お金を手に入れなければ何もできないという間違った考え方に縛られているため、どうしても卑しくなって、不正をしてもお金を手に入れようと考え、生活ができなければ不正をやっても許されるという考えが罷り通っています。
 その代表的な考えが公務員の天下りの正当化であり、公務員や政治家の裏金の問題処理です。政治家や公務員といった税金で飯を食っている連中が、金が必要であれば、権力でも金力でも使って利益誘導して何が悪いと開き直っているのです。検察、警察、税務署などが、裏金作りの専門店であることは、もう連日の新聞では扱われないほどになっています。誤魔化した公金でも、返せば文句ないだろうと、役人や政治家は言います。
 私は、筑波山のがま蛙の話を思い出します。がま蛙は自分の醜い姿を鏡で見て、脂汗を流すと言いますが、日本の政治家や役人は、自らの姿が鏡に映されたのを見て、笑っています。笑うことのできない人は、あれは俺の姿ではないと否定し、時には、あのような醜い奴になってはいけないと、他人事のように否定して、それで身の潔白が果たせたと勘違いしているのです。ホリエモンに対する非難は、がま蛙を見て笑っていること同じように思えます。
 これまで私の周りにいた人は、自分も含めて、ほとんど例外なく、ホリエモンの言った言葉の実践者でした。ホリエモンの発言を聞いて、ホリエモンの発言は間違っていると感じると同じくらい、自分の心の貧しさを反省することがなければと思っています。お金がなくても、お金に縛られないで豊かに生きる方法のヒントが封建時代の中世の豊かさの中にあったことを、19世紀末の人達に学ぶことが必要だと思います。


メールマガジン第209回(2007年4月23日)
 みなさん、こんにちは。
 先週、木曜日から日曜日にかけて、3泊4日で、HICPMの会員の(有)ハイランドと、(株)夢FACTORYの住宅を見せて頂き、また、大阪のATCで住宅産業者向けセミナーを行い、それにあわせて、堺でのLRTの勉強会、大阪市での登録文化財と町興し、堺市での資産価値のある住宅造りの勉強会を行いました。その翌日には、会員である三河西尾の高杉建設(株)で消費者セミナーをし、高杉建設の開発を見せて頂き、夜10時ごろ帰宅しました。
 今回の旅行での私の感想としては、消費者自体が、住宅にも、町造りにも失望しており、業者自身も自らの仕事の方向付けに確信が持てず、どうしてよいか迷っていて、足が怯んでいるように感じられました。
 しかし、その中で、今回HICPM会員の方々が取り組んでいる住宅を見て、そこに入居されている方々と会って彼らの話を聞いてみて、NAHBが取り組んでいる方向を指針として、試行錯誤を繰り返しながらも、住宅造りに取り組んでいるハイランドの岩本氏や高杉建設の大場氏は、進むべき方向をしっかり理解できていると評価できました。
 会員の方々が確信を持って業務に取り組んでいる様子を見ることができて、しっかりした展望と、やるべき目標のみえた業務に向けて、日頃の研鑽が如何に大切かという重要さをあらためてみる思いがしました。
 高杉建設の社長は、HICPMの雑誌『BUILDERS’MAGAZINE』を始めから最後まで、理解できるまで何度も読むことで、仕事の将来展望をしっかり見据えることができるようになったと話して下さいました。
 HICPMでは、私が書いた文章をそのままデータにして印刷するのではなく、何とか読者の皆さんにその内容を理解してもらえるように、4回も校正を繰り返しています。校正・編集にあたっては、「テニオハ」の修正だけではなく、文章自体を書き換えることもあり、スコーリックと盛林が頑張ってくれています。「自分達が読んでわからないものでは、読んでもらえない」と、私も叱咤激励されています。
 今、住宅産業人にとって必要な取り組みは、住生活基本法という住宅政策無政府時代の闇の中で、それをいいことに詐欺師まがいの金融、技術、デザイン、材料を様々なシステムで供給する動きや取り組みが行われていますが、それらに振りまわされないで、しっかりと騙しを見ぬくことであると思います。
 住宅雑誌や住宅新聞に登場する人達が言っていることも、彼らがこれまでやってきたことを知っているだけに、住宅についての素人集団が、目先の金稼ぎのために、思いつき程度のアイデアで、もっともらしいシステムを構築して、情報に疎い工務店を、赤子の手をひねるように騙して、また金を巻き上げようとしているのを見て、やり切れない気分にさせられます。
 もっともらしい名前を持った住宅専門誌や、住宅新聞に登場している情報を読んでいると、所謂アイデアという程度のレベルのものが、専門情報誌として何の検証もされないで、業者情報がそのまま有効であるかのように評価されて、優れたシステムという提灯記事になって出歩いているのです。
 民間の住宅雑誌であるから、広告であっても、それは1つの情報であるといった認識で、ジャーナリズムを通してばら撒かれていることは許せないことだと思います。
 広告は必ずしも嘘で固められているわけではなく、広告として書かれていることは、それ自体正しいことで構成されています。そのため、ジャーナリズムも正しいことを載せているのだから、広告も記事並みに扱えると考えているのだと思います。広告を記事として載せれば、それを読んだ人は、記事の内容が公共のジャーナリズムとして吟味されたものだと安心して受け取り、そのシステムや技術を取り入れようとします。
 つまり、記事の効果は、広告として載せるよりもはるかに強い信憑性の高い情報として読者に受け止められます。そこで、これらの業者は、ただで記事を提供したり、あご足つきで記者を迎えて、取材記事という理由で出張をお願いしたりします。
 表向きは、ジャーナリズムの独自取材という形で、取材費用はジャーナリズムで支出しながら、それを記事にして掲載する見かえりとして、非常に大きな広告費を受けて、広告を掲載してもらうということが行われてきました。
 朝日新聞や東洋経済などという大企業ジャーナリズムでも、私が以前経験したことをお話ししますと、品確法の内容を巡って、結局、喧嘩別れになったことがあります。
 私は「正しい記事を書いてくれ」と言って、その問題を指摘した記事の掲載を求めました。「内容自体に問題がなければ、消費者保護の観点から、消費者が損害をこうむらないために載せることを検討してくれ」と要請したことがあります。
 朝日新聞は、「あなたの批判していることが正しいことはわかるが、あなたの主張では新聞の広告主が困ることになるため、そのような記事は扱えない」と言い、東洋経済は「あなたが批判する三井ホームは、雑誌を500冊も購入してくれているのに、あなたは一冊も購入してくれるわけではないではないですか」とハッキリ言いました。
 一般に、AD(アドバタイズメント:広告)とPR(パブリックリレイションズ:報道)のいずれも、そこに掲載されていること自体に嘘があってはならないことは共通しています。しかし、ADの場合には不都合なことは書かないでもよいが、PRの場合には副作用を含めて、使用する結果発生する関連問題についての評価も、ちゃんと書かなければならないということが常識になっています。
 タミフルの事故に対して、PRもADも同じように扱われている日本の非常識が事故に繋がっているように思えてなりません。日本のジャーナリズムは、タミフルの登場時から製薬会社の太鼓持ちをやっていて、事故が現在のような大問題になってから、はじめて、正義の味方のような記事を書いています。
 これまで住宅雑誌に「優れたもの」として取り上げられたシステムや技術やデザインに、どれだけ多くの工務店や消費者が騙され、損失を被ってきたかは、多くのジャーナリズム関係者は知っているはずです。しかし、彼らは当面、掲載する内容自体に明確な嘘がなければ、それを載せて何が悪いか、と平気で開き直っています。それを判断するのは読者の自己責任の問題であると言って憚らないのです。
 彼らのほとんどは、広告収入との関係で、ジャーナリズムの儲けのために、自らも怪しいと感じているシステム、技術、デザイン材料に対して、革新的な取り組みであるとか、これまでの問題に応えるものであるという解説付きで紹介しています。
 新しいシステム、構造工法、材料、デザインなどの多くは、怪しいものもありますが、これまで対応できずに困っていた問題に取り組むものであることは事実であることが多く、その説明自体は正しいと言えます。しかし、新しいシステム、工法、材料、デザインなどにすることで、新しく生まれる問題もあります。
 ここの問題を解決するために、何を否定し、何を継承するべきかという弁証的なかたちが必要なのです。過去との連続性のないアイデアだけのものがほとんどです。
 よく有名建築家の作品として、建築雑誌等に取り上げられた話題の建築物が、結果的に不良建築として建築主を困らせるものになっていることが指摘されています。この有名建築家の話題建築物と、住宅産業雑誌で取り扱われてきたアイデアシステムや、アイデア建材、構造工法とは、大変よく似ているように思えます。
 その場限りで大量に売り抜けてしまえば、後は簡単にお終いにしてしまうやり方、つまり計画倒産方式で金儲けをしていく方法が、住宅産業界での普通のやり方になっているように思えます。
 NAHB(全米ホームビルダーズ協会)は、会員のホームビルダー達に、「科学的な技術に裏打ちされたやり方をしっかりと身につけて、自ら消費者に責任を持ち続ける手離れのしないやり方」で、地道に指導してきました。工務店が、自らの実力を育てて、実力の中でできる仕事をするというやり方です。
 今回、私がHICPMの会員の取り組みで嬉しく思ったことは、常に、先にやった仕事の総括をして、仕事の内容を前進させるとともに、かつての仕事に対して責任をもってケアーをしているということです。
 新材料、新工法、新システムに騙されないで、これらの情報に対しては、石橋を叩いても尚検討をして、という取り組みこそ、消費者の立場に立った取り組みになるという気持ちで、責任ある取り組みをしていることだと思います。
 住宅専門誌は今のようなことをしていれば、ますます読者離れが進み、役に立つ情報まで供給できなくなることになってしまうのではないかと危惧している所です。日経ホームビルダー誌に掲載されてきた「相場としての坪当たり単価」について、私は、「このような形の情報は、コンストラクションマネジメントを進めるうえで、原価公開を妨害することになる」という危惧を感じ、それを雑誌社に伝えてきました。
 それに対する返事は、「このデータは役に立つという評価を受けているから、続けていく」ということでした。そのことについて、今回、関西のいくつかの業者と意見交換をしたところ、業者の方々からも、「あのようなデータは、工務店の企業体質の改善にはならず、タマホームのような業者との叩きあいを助長するものになる」という批判を聞いたので、私の批判をもう一度日経ホームビルダー誌に伝える必要を感じました。


メールマガジン第210回(2007年4月27日)
 みなさん、こんにちは。
 昨日、日経ホームビルダーの編集長と、住宅情報をどのように広報するべきかを巡って意見交換をすることができました。発行部数が多く、それを維持することを求められている出版社と、HICPMのように、住宅産業の取り組むべき道を追い求めて、ある種の使命感を持って進めている団体との違いが浮き彫りになった話し合いでした。
 私は、2006年から住宅建設計画法が廃止され、それにかわって住生活基本法が制定されることで、国民にとっても住宅産業界にとっても、根底から環境が変わってしまっていて、これから次第にはっきりとその問題が現れてくることを、専門家や専門雑誌が、いち早く分析して、混乱を未然に防ぐようにしなければいけないと考えています。
 国民と住宅産業を支えている環境変化が、国民と住宅産業にどのような選択の変化を与えようとしているかということを伝えることができなければ、それは専門のジャーナリズムとしては欠陥だと思っています。環境変化に対して、どのように対応するべきかは、国民や産業界自体が判断することで、それをジャーナリズムが指導する必要はありません。
 まず、結論からお話ししましょう。
(1)
日本型MBC(抵当権の証券化)は、今の日本の住宅産業がやっていることをこのまま踏襲していくと、20年で住宅資産がゼロになり、FTA(自由貿易協定)により日本の賃金が中国などと平準化していく場合、年収の5倍の住宅ローンを組んだ人のローン負担は、20年後の時点で年収の10倍の住宅ローン返済となり、彼らの約半数がデフォルト(返済不能事故)を起こすと、住宅金融支援機構に毎年国家税収の半分近く(25兆円)を補填することになり、日本型MBC(抵当権の証券化)は紙くずになって、それを買った人は元利を失う危険性が大きい

(2)
今の日本の住宅に対するクレジットローンは、日本経済の回復基調の中で、信用力のない所得の安定しない消費者の信用による選別融資となる危険性が高くなる。住宅金融は、金融機関に不動産の価値審査調査能力が全くなく、もっとも安易な信用保証として、住宅供給業者の信用の裏付けによる融資に依存することになるため、信用力のない零細な工務店は、住宅購入者の信用担保や、信用付加ができず、住宅販売が決定的に不利になる

(3)
住宅業者が住宅市場をひとつの市場と考え、その中に投網をして、できるだけ多くの顧客を捕まえるやり方は、売り手市場の貧しいやり方である。それは消費者が求めているものではなく、消費者の利益を住宅業者の利益に従属させるために、住宅業者が対象とする多くの需要者の要求、いわば余計な要求まで盛りこんだものであり、結果的に国民に貧しい住宅を押し付けることになる

(4)
住宅は、基本的に土地に定着して始めて「住宅不動産」としての効用を発揮するもので、住宅不動産の経済的な性格は、商品の偽装形態をした土地と同じ性格になるのですが、日本の社会制度では、「土地と建物は独立して分けられるものである」という、社会科学に照らして間違った不動産の取り扱いをしてきたため、住宅資産価値を増殖させる方法(住宅地の熟成)をわからなくさせている

(5)
金融機関は、住宅金融の融資にあたって、住宅不動産の価値自体を全く評価しないで融資してきたため、建設業者が本来の住宅の価値と乖離して決定した価格を、正しい値付けのように扱ってきた。実際には価値がない住宅を、価値があるように見せて高く販売し、それを正当であるように販売するやり方が、詐欺商売です。それがバレないように、手離れの良い住宅販売をして、時効の3年が経つまでは顧客には寄りつかない商売が行われてきたのです。購入した住宅を売却しようとしたら、最初の5年間で、資産価値が半分にまで下がってしまうといったことは、普通の商品であれば、誰でも「詐欺にかかった」と感じることです。

(6)
日本の住宅は、1966年からの住宅建設計画法の時代から、居住水準を政府が設定して、それを政策的に引き上げることを通して、行政による需要創造というケインズ経済学を背景にしたスクラップアンドビルドが行われてきました。木造であれば、20年後には残存価値10%の資産価値にしかならないという、最近の悪質リフォーム業者の営業まがいの口実で、建替えを促進してきました。償却資産でもない住宅を償却資産であると騙し、まだ効用を発揮している住宅を価値のない物であるといって壊させ、建替えさせてきたやり方で、住宅産業は成長してきました。公共事業によって土地建物が収用されるときに支払われる額は、その収用される住宅が居住者に提供している効用を、現時点で作り上げたらいくらかという「推定再建築価格」であり、公共機関はそれを補償してきました。それがアメリカでの不動産評価でいう「コストアプローチ」という方法です。建築後30年の住宅が、建築当時の20倍近くの価値になっているとしたとき、それだけ価値のある住宅を建替えますか、ということを考えて見て下さい

(7)
旭化成ホームに代表される建替え業者は、官公庁に摺りよって、マンション建替え円滑化法や、補助金適正化法に違反したマンション建替えを、事業費の15〜30%もの補助金を引き出して進めてきました。産官癒着で、高齢者など生活困窮者を追い出して、高層マンションを建てることで業者の儲けを誘導し、居住人口を増やして税収を増やし、自治体の税収を増やすということで、その支持を得ています。しかし、その実体は、これまでのマンションに住み続けたいという住民の権利の犠牲のもとで、居住者補助金という名で国家から純利を支出させ、そこで得た不当な利益を、これらの業者の加盟する団体への賛助会費などの方法で、官僚OBの骨拾いや、政治家への献金に使わせる「裏金(マネーロンダリング)」として、事業から巨大な不当利益を手にしようとするものでしかないのです

(8)
住生活基本法にもとづいて、住宅の政策目標が沢山取り上げられ、何か物凄い住宅政策が行われているように騒いでいる人もいますが、国民がこれらの政策目標を求めているかといったら、そんな現実はありません。国民が求めている住宅は、家計支出で無理なく購入でき、その資産価値が高まり、生活の担保にできることだけです。住生活基本計画というものが、如何に国民を無視したものであるかということは、消費者の立場で考えたらわからないはずはありません

(9)
国家は、耐震偽装事件において、国民の住宅の安全を守ってこなかったことや、今後守っていくことに対する責任感もなく、問題を瑕疵保障にすりかえて、その関連対策で、また役人の骨拾いの機会を増やし、その負担を消費者に押しつけただけでした。建築基準法に基づいて、安全を確認する業務を正しくすれば片付くはずの対策が、現実には、チェック機関や保証機関を増やし、国民の費用負担を大きくしただけでした。今、住生活基本法で、政府は如何に口実をつけて、住宅建設に口を突っ込む関所を設けて、そこで役人OBに飯を食わせるかを考えているだけです。そして、コンサルタント等が「ビジネスチャンス」と証して、そこに群がってオコボレを手にしようとしているのです

(10)
住宅政策を民間主体とすることは、アメリカの「ナショナルハウジングアクト」の例に見るように、民間の取引きのルールを決めることです。取引きにあたっては金融なしには行われないので、金融機関が等価交換をするという原則が守られるということで、民間の多様な活力が活かされるのです。日本のように、住宅市場を無政府状態にして国民の不安をかき立てて、そのどさくさに紛れて、公務員が業界と結託して裏金や、役人の骨拾いの機関を作らせ、それを強制的に使わせ、その費用を国民に負担させ、その実現をもって住宅政策目標の実現と言っていることを容認してよいのでしょうか

 とりあえず、「住生活基本法」として今進められていることの本質と言うべき10項目を、思い付くままに取り上げてみました。ここで取り上げたことを、住宅産業界の人に知らせるべきであるという主張が私の考えです。
 これらの情報は、住宅産業界の人であれば、誰もが知らなければならない問題で、全ての住宅産業ジャーナリズムが取り上げてもおかしくないテーマであると思います。しかし、ほとんどのジャーナリズムは無知であったり、仮に少しわかっていても、これらの情報、つまり、結果的に政府の住宅政策を批判することになる情報を扱おうとしません。彼等は、「これらの情報は住宅産業界が求めている情報ではない」と言います。
 要するに、国民には、何も「知らしむベからず、依らしむべし」といった、あの封建暗黒時代のやり方をやっておれば、国民は仕方なく政府に従うことになると考えており、ジャーナリズムも官制の広報機関であれば、安心して政府の援助も得られると考えているのです。政府の言っていることを広報することがジャーナリズムであると考え、そんなことを戦後の70年近くやってきたのです。政府の住宅政策によって、国民がどれだけ住宅によって貧しくなり、住宅産業が貧しくなり、住宅産業に必要とされる知識が貧弱な詐欺師商法を支えるものになってしまったかを考えるべきです。
 ジャーナリズムは国民の愚民化を進める手先となり、住宅産業の墓穴堀りをしてきたのではないかとさえ感じます。
 海外に出掛けたときに立ち寄る住宅産業関係の本屋には、アメリカでもヨーロッパでも、どこの国でも、欲しいと思う本がどっさりあります。そのような本が販売されているということは、それらの社会の住宅産業界では、それらの知識が必要であって、使われているということです。
 NAHB(全米ホームビルダー協会)のIBS(インターナショナルビルダーズショウ)に出かけてみれば、多くのホームビルダーやカーペンターが、大学や高等機関の専門書と同じ内容の本を、沢山購入している様子を見ることができます。それらの購入者達は、皆、お金儲けをするためには、多くの知識を学び実践しなければならないということを、私に説明してくれました。
 HICPMで毎月発行している『ビルダーズマガジン』では、住生活基本法時代に向けて、工務店が長期的な展望をもつとともに、短期的に体力をつけるために、アメリカの経験を他山の石とした記事を掲載してきました。それと合わせて、現在、大阪のATCで工務店の経営者研修を始める計画をして
います(一泊二日で6回の講座として、NAHBの経験を如何に日本で実践するかというものです。目下計画中で、決まり次第広報します)。
 また、住宅による資産形成が一般的に取り組まれてきたアメリカの現地の状況、開発者やビルダーがどのように取り組んでいるかを学んだり、所得が少なくなっても国民が豊かな生活を送ることのできる方法の1つとして、マルチハビテイションという方法が、グリーンツーリズムや、クラインガルテンなどの方法と結び付
いて活用されているということで、ドイツに出掛ける研修ツアーをグローバル研修企画と一緒に進めています。国内での定期借地による住宅開発や、洋風デザインを実際に描いてみるワークショップなどにも取り組むことになりました。
 そこで、このメールにも、目下グローバル研修企画とHICPMが一緒に計画中の研修ツアーをご案内しました。是非、ご参加についてご検討下さい。私はこのゴールデンウィークは、今年の業務がしっかりできるような健康づくりをしなければと考えています。皆様も、充実したゴールデンウィークを楽しんで下さい。