HICPMメールマガジン第870号(2020.03.02)
みなさんこんにちは
第28回:人びとを動かす(TND)と人びとを苦しめる「日本の都市計画行政」
わが国では、欧米の建設工学(シビル・エンジニアリング)を、都市の設計・計画を扱う人文科学〈ヒューマニテイ〉として行われている建築学教育と勘違いしている。人文科学で扱うべき都市計画や建築設計を、「物づくり」であるから、「工学」であると先験的(アプリオリ)に取り扱っている。『都市を造った巨匠たち(シテイプランナーの横顔)』(ぎょうせい出版)が平成16年刊行された。財団法人都市みらい推進機構が昭和60年の設立以来、機関紙『都・市・み・ら・い』が創刊されて以来48号で連載された。その連載記事を都市土木の学者・研究者が、一冊の本にまとめた労作である。私はこの本を購入してから約16年近くになる。世界の都市情報を提供する本として興味を持ち、何度も読み始めたが長続きせず、今回やっと全体を読み通し、改めてすごい労策と思った。ここに登場する世界のシティ―・プランナーは、全員私の知っている著名人で、改めてその偉大さを再認識することが出来たが、私の知る情報との違いもあり、新しい見方を知り興味深かった。通読して気付かされたことは、この本は都市の歴史文化を扱う都市計画学を語る本ではなく、欧米の人文科学としての都市計画を、わが国の土木工学者が、シティー・プランナー(人文科学者)を、社会的に周知されている業績を土木工学研究者の立場で紹介をした本である。「都市計画史」や「土木工学事業」を実現した人物像を、その事業から分析した研究である。都市を都市建設の歴史的視点から、時代を画した都市建設事業の中心人物を、「シティー・プランナー」と呼び、その業績紹介を掲載した。各論文はいずれも都市土木技術者・研究者が、シテイ―・プランナーの事業を伝記的にまとめているが、わが国の都市土木工学や都市工学技術者が担う建設工学の仕事とは違い人文科学である。
登場した欧米のシティ・プランナーは共通して人文科学者であるが、本書を編集した土木工学者はわが国の都市・土木技術者と同じ工学技術者と主張しているが、欧米では人文科学者である。人を動かす都市計画思想は、優秀なシティー・プランナーが計画し実現してきた。最終章(日本)では、わが国の国家主義的な都市計画が、欧米の都市計画に追い付き追い越す思想の実現として、工部大学校(東京大学工学部の前身)卒業生により担われたと紹介されているが、わが国では官僚が国づくりを支配し、全体主義的な国家建設が行なわれてきた。わが国の都市思想と都市計画の理論は、欧米のような人文科学ではなく、国家の思想が国家の都市計画が一体になったことが明らかにされている。欧米に倣おうとしたわが国の都市計画に、欧米のシティ・プランナーの営為が足跡を残さなかった。都市づくりを国家の物づくりとしてハード技術を学んでいるが、都市は住民のものと言う関心は薄い。
わが国の都市計画は「物造り工学」とされ、都市の歴史文化を担う人文科学の思想性がない。デザイン、機能、性能の違いは、戦前は国威発揚意思表示であり、戦後は、政府が煽る不動産販売価格を不正に操作する「差別化」の理屈でしかない。TND(トラディショナル・ネイバーフッド・ディベロップメント)やニューアーバニズムは、人々を突き動かす「思想」を持っているが、このような思想はわが国の都市計画には入り込む余地はない。わが国の都市計画は、政治・行政に従属する物づくりの技術で、人びとを突き動かす思想性は受け入れられない。
1963年、私が官僚になったころ、建築審議会委員の高山英華東京大学教授が「欧米では都市計画が都市を牽引しているのに、日本では都市計画は行政の後追いしかできない。その理由は何か」と率直な疑問を提起された。その答えは、都市を「人文科学」の視点に立つ「欧米」と、「工学」の視点でしか考えて来なかった「日本」の違いにある「歴史分析」で明らかになる。世界の都市づくりに大きな影響を与えたシテイ・プランナーと彼らがつくった都市との関係を調べると、都市形成の歴史文化的必然と、歴史観を持ったシテイプランナーの果たす役割の「関係」と見ることが出来る。
私は、1996年NPO法人住宅生産性研究会を創設して以来、欧米の都市計画、住宅・建築計画とわが国の都市計画と住宅建築計画の違いを意識的に対比させ比較検討してきた。学生時代から大学卒業後官僚になり、わが国の住宅・都市政策の一端を担っていたとき、わが国と欧米の住宅、建築、都市の間に違いはあっても、それは同一の近代都市計画理論の学問体系の上に築かれた政策であるから、量的な違いはあっても、質的な違いではないと教えられてきた。戦後、日本は欧米列強と比較して遅れていた理由は第2次世界大戦により、壊滅的な戦災を被ったからであると信じさせられてきた。
しかし、戦災復興から経済の高度成長を経験して、欧米先進工業国と肩を並べてもよい時代になったが、わが国の住宅、建築、都市の現実は、同じ戦災を被った西欧はもとより、ソ連の支配下で苦しんだ東欧諸国や米軍の東南アジア戦略で破壊された東南アジア諸国に比べても、わが国の住宅・都市は足踏み状態に留まり、決してそれらの国々から羨ましがられるような国になっていない。わが国の都市開発プロジェクトは、欧米の都市開発技術を利用してきたが、わが国のプロジェクトは、朝鮮戦争以降、(軍需)産業資本の利益追求本位であっても、消費者・生活者本位にはなっていない。その理由は、住宅・建築・都市の計画を人文科学として居住者中心に理解するか、工学として事業主の経営本位の利益の実現を優先するかの違いにより、問題の認識方法から対策が違い、そこで執られる国家の政策が違っている。
「人文科学的認識」と「工学的認識」に立つ住宅・建築・都市
「人文科学的認識」とは、人類の歴史文化の科学的発展の過程でつくられる住宅・建築・都市を、人間生活との相互作用の関係で理解し、人びとの生活要求が住宅・建築・都市形成に影響し、そこで造られた住宅・建築・都市は人びとの生活に影響を与えている。その社会的認識は固定的でなく、「歴史の時間軸」と「空間軸の広がり」を通し、その相互関係は無限に相互作用を繰り返す認識である。そこには生活する人びとの享受する空間と、その空間利用で形成される人々の意識が、社会を変革しようとする意識を形成し、人びとの主体性を持った生き方を生み出す。「歴史的必然とその中で人間の果たす役割」が重視される理由である。わが国の第2次世界大戦後の住宅・都市は、日本国憲法と矛盾する日米安全保障条約に縛られ、それが人々の行動を規定し、住宅・都市政策の判断を縛っている。
「工学的認識」は、人が住宅・都市を造り、住宅・都市が人々の生活に影響を与える関係としての認識で、即物的対応のできる関係としての認識である。「工学的認識」は、政治、経済、行政的判断をするために、その時代の当事者が、客観的な判断に必要とされ物理的認識である。「工学的認識」は大きな歴史文化のうねりと切り離し、政治、経済、行政の当事者が自由裁量するための基礎判断資料とされる。わが国のスクラップ・アンド・ビルドの政策を支える基本的認識になってきた。一方、「人文科学的認識」では、人間が主体性を持って住宅・都市に働きかけ、人びとが過去の歴史文化から導かれる人類史的必然性から導き出される認識である。TND(伝統的近隣住区開発)の理論に立つ都市経営や街並み環境管理や、建築物の「計画修繕」とか「善良管理義務」の理解、認識、判断は、住宅・都市の「歴史・文化」の連続性の理解が必要で、即物的な「工学的判断だけ」からは導き出せない。
輸入住宅政策時代の特殊環境
わが国のバブル経済の崩壊を挟んでわが国の輸入住宅政策に呼応し、米国の住宅産業に学ぶために、私は住宅生産性研究会(HICPM)を創設し、全米ホームビルダーズ協会(NAHB)から米国の住宅産業技術移転を受け入れてきた。具体的には、KIHF(神戸インターナショナル・ハウジング・フェアー)をNAHBの全面支援を受けて実施した。そして、米国やカナダで広く実施されている2×4工法タウンハウスを取り入れたTNDをわが国でも実施できる街づくりの環境形成する歴史・文化をHICPMはわが国に技術移転した。輸入住宅政策時代は、「プラザ合意」の下、輸入住宅政策は「円・ドル」関係を正常化するとともに日米安全保障条約を基礎とする日米関係を維持強化するために、わが国が尊重すべき優先順位の高い政策とされ、基本的に米国の住宅産業の合理性を受け入れる政策が執られた。そのため、米国の住宅産業を律していた住宅・都市開発の考え方を、わが国政府として受け入れる方向性を明らかにした。2×4工法の国内法化に合わせ、住宅金融公庫が採択した「2×4工法タウンハウス」に対する特別融資が推進され、2×4工法の合理主義がわが国の住宅産業に持ち込まれた。
プレハブハウス住宅産業や米国の合理的な2×4工法を敵視する三井ホームは大きく反発し、日本住宅公団が着手したタウンハウス事業は中止させられ、公庫の「2×4工法タウンハウス」も産・官・学全体の政治的圧力を受け、事業制度として潰された。日本2×4建築協会は、COFI(カナダ林産業審議会)及び三井ホームは、住宅官僚により選挙支援組織化され、政・官・民癒着で利益分配に与ったが、北米のように「木造耐火建築物を国民に普及し、住宅産業を成長させる」ことはなかった。
米国から導入された技術は合理的であったため、わが国の中で消費者の支持を得て拡大した。しかし、既存の住宅産業の実権派が、人海戦術により営業本位で市場支配を実現したプレハブ住宅勢力と三井ホームは、タウンハウス建設は「住宅産業の危機」と煽り、日本住宅公団のタウンハウス向け宅地開発を「戸建て住宅用宅地」供給に転換させた。住宅官僚との癒着で2×4工法市場を独占してきた三井ホームとプレハブ産業界の実権派は、住宅金融を軸に政界、行政界、産業界との繫がりが強め、プレハブ住宅と三井ホームは建て替え事業を軸に、公庫融資と土地代不要の建て替えで急拡大した。
しかし、輸入住宅政策が国の政策から引き下ろされると、プレハブ住宅産業界と宅地行政と住宅金融制度が護送船団を組みは、輸入住宅の合理的な住宅地プロジェクトの前に立ちはだかって妨害するようになった。プレハブ住宅を進める護送船団は、輸入住宅政策が住宅産業界を支配する以前の状態への回帰を望んだ。輸入住宅の取り組みは、住宅産業界がかつて経験しなかった新しい合理的取り組みで、技術的、経営的に合理的な取り組みであったが、不正な方法で市場を支配する護送船団にとって邪魔な勢力であった。輸入住宅の取り組みはそれを担う住宅産業が基盤を作る前にプレハブ住宅産業に潰された。
その後、小泉・竹中政権下で、バブル経済崩壊による不良債権を帖消しにした「都市再生事業」が登場し、都市計画違法や建築基準法違反政策が金融不安を解消する「不良債権処理」政策として登場した。
「輸入住宅政策時代」(自由な行政)から官僚統制時代(護送船団行政)
現在は都市計画法や建築基準法で決められた開発許可や確認が、法律違反の行政指導によって妨害され、都市再生事業に示された通り、住宅産業界全体が法律違反の行政指導に従うよう行政指導されている。法律違反の行政指導に反対する消費者は、あたかも法律違反を行なうようにみなされ、消費者は行政機関に違法を強要され、肩身の狭い思いをさせられている。許認可事務の担当者の行なう都市計画法違反「開発許可の指針」で示された行政指導は、東京都の特別区に対する指導(行政法の拡大解釈)として、「社会的正当性を持っている」かのように説明され、横行している。
輸入住宅時代、日米安全保障条約を背景にした日米経済負担の原則が「プラザ合意」により、為替を円ドル関係を反映した「自由貿易の原点に返ること」になった。そのときの米国政府の要求は、日本の日米安全保障条約の経済負担の原則が、「自由貿易の原則」に立って見ても、明らかに片務的で、「円ドルの為替交換比率」に遡る必要があるとする認識にまで遡って行なわれた。「自由貿易」の原則は「洋か交換の原則に立って当然視され、その自由貿易として法令による規制基準を国際的に(日米間で)日米構造協議(MOSS)は、アメリカと日本の間で、日米貿易不均衡の是正を目的として1989年から1990年までの間、計5次開催された2国間協議である。1993年に「日米包括経済協議」と名を変え、1994年からはじまる、「年次改革要望書」「日米経済調和対話」への流れを形成した。輸入住宅政策は、米国にとって対日輸出として米国の外貨獲得上重要な分野とされた。米国の住宅産業にとっては、「米国の住宅基準が日本にも取り入れられること」が輸出促進としての条件整備として不可欠な対応と判断し、建築基準法を米国のUBC(統一建築法規)に揃えることを求めた。
当時、国民の側としては、米国の国民大衆が享受していると同じ住宅生産環境が日本でも実施されれば、住宅の生産コストを引き下げることができると考えられた。さらに、米国の住宅産業がわが国の住宅産業を調査したところ、わが国の住宅産業の「施工生産性」が米国に比較して2倍以上悪いことを発見した。米国の住宅産業が住宅輸出を増大させるためには、わが国の住宅産業の工事生産性を高めない限り、輸出の拡大は期待した通りも込めないことが明らかになった。その認識に基づき、米国政府はワシントン州政府と協力して日本の住宅産業の工事生産性を向上させるため、CM(コンストラクション。マネジメント:建設業経営管理)技術をわが国の住宅産業に移転をするために急遽、技術者を派遣することになり、ワシントン大学のCM学部のオシンジャー教授が派遣された。
その後、私達はわが国の工務店の生産性向上をするため、NPO法人住宅生産性研究会が設立し、全米ホームビルダーズ協会(NAHB)と相互友好協力協定を結び、CMに関するNAHBのテキストの翻訳と解説、全国的な技術移転セミナーの実施を行なってきた。しかし、HICPMの行なってきたCM技術の技術移転に対し、わが国政府及びハウスメーカー等わが国の住宅産業は、輸入建材の安価輸入で満足し、住宅産業が合理的な生産性向上に取り組みに否定的で、米国に対し面従腹背の姿勢で臨み、工務店がHICPMの会員になり、CMの技術移転を受けることの妨害を行なってきた。
米国が建材輸出を拡大するためには、わが国の建設産業の現場生産性の向上は取り組まなければならない問題と考えていた。その理由は、CM技術は1960年代にHUD(住宅都市省)が進めたOBT(オペレーション・ブレーク・スルー)政策に対しホームビルダーが経済的に競争力も向上させる政策としてNAHBが推進して大きな成果を上げた方法であった。その経験で、米国政府もCM技術の日本国内での普及に期待し、HICPMが取り組んだCM技術移転には全面的支援を約束してくれた。
この技術により生産性向上の利益を勝ち取るためには、NAHB同様な技術教育を行ない、工務店自身が実力をつける必要があった。私達はNAHBのテキストを翻訳し技術移転を試みた。米国が進めるCMによる住宅産業政策は合理的な政策で、「差別化」政策のような消費者を欺罔して利益を挙げる政府の住宅政策とは真っ向から対立する政策であることに気付き、政府は輸入住宅政策を住宅政策の看板から下ろしてしまった。政府は輸入住宅政策で取り上げた住宅生産合理化政策を転換し、販売政策で工務店利益を拡大できる政策を展開した。工務店の体質改善と消費者に優れた住宅を供給するためには、CM教育は不可避な途であり、これからも再度取り組む必要がある。