HICPMメールマガジン第815号(2019.01.09)
あけましておめでとうございます。
HICPMが現在取り組んでいる問題は、住宅と都市(住環境)の問題です。今年は住環境の問題を、ハワードの『ガーデンシティ』を軸に検討しようと思っていますが、作人までの「注文住宅」をテーマにした「日本の住宅」の続きとして、2019年1月これまでの基本テーマ:「注文住宅」の「中間総括」を第815号から数回、連載します。MM第813号が、私のミスで第814号とすべきところをダブってしまい、その第814号で12月26日を送信すべきメールマガジンが、昨年の年末の私にとっての「4つの大きな政治問題」としてお送りしています。その中でプーチン・ロシア大統領が指摘した「北方4島に返還」に関する内容こそ、実は、日本の住宅政策が「独立国日本の国民の住宅政策か」、それとも「日米安全保障条約により米軍の兵站基地とされている日本の軍事同盟を維持する兵站基地労働者の住宅政策か」の基本問題と関係する大問題なのです。
昨年、「注文住宅」というテーマでわが国の住宅を再検討してきました。毎回テーマを決めて「注文住宅」を設計施工する上で、わが国と欧米の違いを比較検討することをしてきました。しかし、私の話が詳細説明に拡散し、読者の皆様にご理解しにくいようになって申し訳なく思っています。そこで、「注文住宅」の問題はもう一度これまでのメールマガジンの記事を整理し、修正し出版できる程度にまで内容を吟味して、半年後位を目途に連載再開をすることにしました。そこで、今回は戦後のわが国の住宅政策がベトナム戦争終了で、戦後の住宅政策を基本的に転換することになり、それに代わって住宅建設計画法が制定された節目のお話をこれまでの中間総括として、今月いっぱい掲載することにししました。
日本の住宅政策(その1:ベトナム戦争終了まで)
朝鮮戦争が勃発し、占領政策として始まったわが国の住宅政策、それは米軍の兵站基地として分需物資を生産する労働者住宅として、旧軍需産業(財閥)労働者向け住宅として住宅金融公庫が設立され、その融資を受けて建設された炭鉱住宅(新築と修繕)と、旧軍需産業復興に向けての社宅(産業労働者向け住宅)と日本住宅公団が創設され新産業都市や工業整備特別地区の産業労働者向け社宅(特定分譲住宅)が供給された。、それらの住宅に入居することのできない所得の及ばない低所得者向けに供給されることになった公営住宅、公団住宅、公社住宅と言われる政府施策住宅が供給されることになった。わが国の少なくともベトナム戦争が終了するまでの住宅政策の全てが、我が国自体が占領軍の支配下にあった時代だけではなく、我が国がサンフランシスコ条約により独立した以降も、日米安全保障条約と日米地位協定により、事実上占領軍支配が継続され米軍の兵站基地機能を担っていたため、その住宅政策は米軍の兵站基地のための住宅政策であったということができる。
日本の住宅政策(その2:ベトナム戦争終了後)
わが国が独立と同時期に締結された日米安全保障条約上、日本は国際的に独立国家になったが、日米同盟において米軍の兵站基地の地位を継承させられてきた。しかし、米国がベトナム戦争に敗北し、米軍のための軍需物資を生産する必要が事実上消滅し、米軍の兵站基地の役割は質的に変化し、米軍のために軍需物資を提供する軍需産業労働者のための住宅供給の義務は事実上消滅したが、日本全体が米軍の兵站基地とされている事実に変化はない(砂川裁判判決)。旧軍需資本(財閥)の解体は反故にされ、日本国憲法に違反した米軍の戦争行為に従属することが、事実上日本政府の主体的判断によって行われてきたと言っても、それは日本が広義に米軍の兵站基地とされていることは、沖縄の現実によって、兵站基地状態が継続されていることは否定できない。
第39回 住宅建設計画法による住宅政策(MM第815号):
住宅建設計画住法による住宅政策は、建設省が進める第3期5か年計画の住宅政策で、それまで実施されてきた5か年計画と同じもののように誤解されてきたが、この住宅政策は戦後のそれまでの住宅政策とは基本的に異質な住宅政策であった。大上段に振りかぶって言えば、戦後のわが国の住宅政策は米軍の兵站基地にされた日本が、米軍の極東軍事戦略に必要な軍需物資を清算する旧財閥を中心とした軍需産業の生産を維持拡大するために必要な労働者住宅を供給する義務を日本が担わされた。図書は占領政策として、その後サンフランシスコ平和条約以降は、サンフランシスコ平和条約の締結美に日米間で締結された日米安全保障条約と日米地位協定に基づき、日本政府は米軍に提供する軍需物資を生産する産業(財閥)労働者及びその下請け産業で働く低所得者向けの住宅供給に責任をもって行うことを約束した。その結果財閥に対しては産業融資という金融政策で応じ、住宅金融公庫を創設し、炭鉱労働者の住宅(新設と修繕)費用と旧軍需産業を復興させて軍需物資を生産する労働者の社宅資金を「産業労働者向け住宅金融として実施するとともに、社宅に入居できない下請け企業や関連企業で働く低所得労働者向けの住宅として公営住宅制度を公営住宅制度として創設した。それらの公営住宅は旧軍需産業の復興と対応するようにそれらの企業の立地する地方公共団体に対する公営住宅の建設配分を行うことで実施された。大蔵省は日米安全保障条約の国内での財政負担の実施を米国政府に対し担保するため、予算配分の執行状態を米国に報告する義務を負わされていた。
その後、石油産業は軍需産業の大きな担い手になる状況に合わせて、軍需産業は石油産業と一体的に拡大し、わが国では新産業都市、工業整備特別地域に立地することになったため、わが国の住宅政策は新産業都市と工業整備特別地区への政府施策住宅の優先的配分のそれらの公共住宅の建設される都市に対する交付税交付金の配分により、(軍需)産業向け労働者向け住宅(社宅)だけではなく公共賃貸住宅の建設促進策が実施された。わが国の住宅政策そのものが、米軍に買い上げられる軍需物資の生産に携わる労働者向け住宅政策を基本に据えていた。それがベトナム戦争で米軍が敗北したことにより、「軍需産業労働者向け住宅を供給する大義名分」が失われることになった。それはわが国の住宅政策のよって立つ基盤が失われたことを意味していた。軍需産業で働く労働者はいなくなったということは、わが国の住宅政策が不要になったと戸を意味していた。
わが国の国民の住宅事情は非常に悪い状態にあったが、国民の住宅を供給するという住宅政策は、わが国が米軍の兵站基地として位置付けられているときは、兵站基地の義務以外は存在しないものである。政府は米軍の兵站基地である日本の住宅政策を「日本の住宅政策」と説明してきたが、正確に言えば、米軍の兵站基地の住宅政策であった。その兵站基地で軍需産業労働者向け住宅の供給が不必要になったので、その政策を廃止することになる。しかし、住宅産業自体が米軍の兵站基地であるわが国の経済活動と大きく関連していることが解り、住宅産業はその当初の目的を失っても、わが国経済のため、住宅産業それ自体のために取りやめることも変更もできないことが明らかになった。そこで、わが国政府は、住宅産業のためとわが国経済政策のために、それまでの住宅建設5か年計画は、同じ5か年計画の体裁を継続する必要を認め、全く新しく住宅建設計画法に組み替えられた。その住宅政策が、「公共賃貸住宅から住宅金融公庫ローンによる持ち家住宅」、「軍需産業本位から住宅産業本位の住宅政策」、「国民に住宅を購入させるための住宅金融中心の住宅政策」等と説明される住宅建設計画法による政策であった。ここで説明している内容なわが国の住宅政策の説明としては馴染みのないものであるが、ここではわが国の住宅政策がベトナム戦争の敗戦で、それまでの住宅政策需要を失った結果、大きく舵を切らなければならなかった。その住宅政策の転換を説明する必要がある。
「換骨奪胎」した第3期住宅建設5か年計画:住宅建設計画法
ベトナムで米国が敗北したから、日米安全保障条約によりわが国が米軍の兵站基地と言う扱いは継続し続けているが、米軍の軍需のために軍需物資の生産をする必要は消滅し、軍需産業で働く労働者向けの住宅供給に対するわが国の日米安全保障条約を根拠にする義務、すなわち、「軍需産業労働者に対する住宅供給のわが国の義務」は事実上消滅した。国民の住要求との関係での政策議論は日米関係においては皆無である。わが国の住宅政策で議論されたことは、日米安全保障条約との関係での議論はなく、わが国のこれまで軍需産業向け住宅需要が消滅したことに置き換えることのできる新規住宅産業需要を生み出す新規住宅需要の産業政策及び経済政策上の問題であった。さらに、住宅需要は潜在的に存在するため、顕在化する方法を検討すればよいが、顕在化させた住宅需要に対応するためには、住宅に対応する土地が供給されなければならない。
ケインズ経済学がわが国に紹介され、わが国経済をケインズ経済学に立って政策に応用することになって、財政と金融によって政府が経済政策としての有効需要を創出し、その有効需要が経済的波及効果を発揮し、国家経済を潤すことになる経済理論が、米国の世界恐慌からの経済復興政策で成果を上げ、それを日本の経済政策に取り入れられることになった。その検討の中で、財政・金融による経済波及効果が問題にされた。当時産業連関表を用いた検討では、住宅の波及効果は投資額の3倍に上ることが明らかにされた。その結果わが国の経済成長の関係で、住宅政策を重要政策としてその後のわが国の経済政策に取り入れることが決められ、建設大臣も経済閣僚に加えられ、わが国の経済政策の一端を担うことになった。
その経済政策の妨害になっているものが地価の高騰現象であった。経済の高度成長が始まって地価は高騰し続け、需要に対応する供給する土地の供給が全く見込めないことが明らかになった。重厚長大型産業の発展により拡大した経済成長により地価は高騰し、その地価負担をして新設住宅を国民に購入させることは難しいと考えられた。池田内閣による所得倍増計画は目標を超過達成し、国民の所得は上昇させたが、土地はそれ以上に高騰していた。
政府は1968年に無秩序な都市開発を制御するため、都市計画法を制定し市街化区域と市街化調整区域を定め、開発許可制度によって都市開発を厳しく制限することでスプロール開発を押さえ、将来に向けての都市形成を行なえるようにした。その一方で、市街化調整区域は農業用地として守る政策を実践した。そこで持ち出された住宅政策はそれまでの軍需産業労働者向け住宅政策に代わって、米軍による軍需物資の買い上げがなくなっても、財政・金融政策として経済成長を可能にし、経済波及効果によって税収を拡大できる住宅政策を実現する政策が考案された。当時の政府内部での住宅による経済波及効果は、「投資額の3倍以上となる」と判断され、国家の経済発展のための経済政策に住宅政策は位置づけられ、建設大臣は経済閣僚に位置づけられた。住宅建設はそれまで同様の建設戸数を政府施策住宅として推進することが閣議で確認された。
住宅建設計画法は、「米軍による軍需物資の買取り」と言う条件なしに、わが国の経済政策として住宅をそれまでと同様の戸数以上に建設するという政策が採られることになった。政府施策住宅を推進するための財政支出に見合う税収が、産業連関表を用いた試算では十分確保されると見込まれた。その政策のためには、高騰している土地代を住宅政策上負担しないで行うことが、住宅政策の実現のための必要条件であった。住宅建設計画法で考えた政府施策住宅は、「土地代負担をなしで住宅を購入させる政策」を展開することであった。土地取得費は経済的な波及効果を生むものではない、住宅建設計画法の特色は、政府が土地取得費を計上しなくても、新規住宅に必要な土地を供給できるようにすることを、「既存木造住宅の建て替え地上げ」によって実現したことである。平屋住宅が圧倒的に多かった土地に、2階建て住宅を建て替えによって2倍の住宅を建設することが出来れば、土地信用は2倍に拡大し、土地の価値増大分が建設工事費を生み出す結果になった。木造住宅の建て替え事業は高騰した地価を、開発密度を高めることで、地価負担を地価上昇の半分程度に抑えて住宅の建て替えを可能にした。
土地取得費用を財政負担しないで推進した住宅建設計画法行政
土地費用なしで住宅を供給する方法の一つは「既存木造市街地の建て替え事業により土地の取得費なしで住宅を建設することが検討された。もう一つは、団地形式で開発された中層公共住宅を市街化調整区域の指定を受け、都市開発は行なわれないとされた農業振興地域に住宅地開発をする方法であった。市街地地価と比較すればタダ同然の農地並みの地価で土地取得する開発が、「1団地の住宅地開発として公的機関によって取り組まれた。都市計画法で市街地として開発する計画の市街化区域は、都市施設整備が進まないため、地価は高騰してきたためそこで定められた土地利用計画通りの土地利用は進まなかった。結局、地方港供養団体や日本住宅公団と言う公的機関による住宅地開発は、土地代「タダ」で行う住宅団地開発として市街化調整区域を農地の地価で買収して実施された。政府は、都市計画法では「開発を行なわない区域」と定められた市街化調整区域(農地として保全する計画の土地)を住宅建設計画法による政府施策住宅のための団地開発に向けて、都市計画法では、「開発行為は禁止する」とされた区域に、「1地団地の住宅施設」の都市計画決定を行うことで、都市計画法違反を例外許可する「正当な開発技法として、都市開発を、「都市計画法上の開発居丘に違反しない例外として採用した。
- 既成木造住宅市街地での「建て替え」事業
既成市街地のほとんどすべてが木造住宅であったので、それらの木造住宅は戦災の経験から提唱された『不燃都市建設』の国家の都市づくりの目標に反対できないと木造は、都市政策上取り壊し、それらに代わって、軽量鉄骨プレハブ住宅や鉄骨鉄板屋根のコンクリートブロック造住宅を建設すれば、建て替えにより土地費用なしに建設戸数を増やすことが出来るため、建て替え事業が推奨された。
- 市街化調整区域における都市開発
高地価となっている都市部では中高層マンションにより地価負担の戸建て住宅と比較する政策にすれば国民の地価負担を新規土地取得の戸建て住宅の土地代の3分の一以下の負担にする政策では依然財政負担が大きいので、都市の中高層化が取り組まれた。しかし、都市計画法により農地並みの税負担として地価が農地並みに抑えられている市街化調整区域は市街地区域の地価と比較すれば、地価と比較すれば、地価はゼロ同然であった。そこで、公団や公社、地方公共団体等の行なう公的大規模住宅地開発は都市計画法の例外として開発許可が認められた。
(NPO法人住宅生産性研究会理事長戸谷英世)