HICPMメールマガジン第807号(2018.11.05)

みなさんこんにちは

 

今回はHICPMメールマガジンの特別企画で図書紹介をします。この図書は本年11月10日私の愛娘戸谷由麻(ハワイ大学教授、東京裁判研究歴史学者)が、東京裁判を一般向けに東京裁判を解説した『東京裁判神話の解体』(ちくま新書)(880円)です。本書の内容は、HICPMの取り組みとも関係するので、会員の皆様にお読みくださるようお勧めします。同書の紹介として、娘への私の感想文を今回のメールマガジンにしました。この感想文の最後に私の戦後半世紀の活動と東京裁判との関係も書いています。同書を通して戦後のわが国の原点となった「わが国の国際社会復帰への総括」をこの書を通してお考え戴きたいと思います。東京裁判はわが国が国際社会復帰の前提となった国際的に承認された戦争の総括で、東京裁判なくしてサンフランシスコ平和条約はあり得ず、戦後日本の国際社会への登場の原点となるものです。

 

東京裁判(神話)の解体

本書の研究成果は東京裁判の裁く立場にある判事の審判に実際に迫るもので、東京裁判を理解する助ける内容です。東京裁判での戦争犯罪人たちへの国内評価は、戦後国民に知らされてきた「パル判事によるもの」と、「東京裁判の裁判長ウエッブ判事など訴訟目的に照らして審理を行なった判事によるもの」とが大きく違いならが、それが国民に知らされず、東京裁判の評価が、単純に、「戦勝国本位のもの」とされてきた理由は、東京裁判自体に対する米国の政治的干渉と、日本政府の従属(日米安全保障条約を前提にした憲法に否定の干渉)のためであり、わが国の対米従属を前提にした軍国主義の復活が東京裁判に影響を与えてきたからでしょうか。

私は戦後の国家の行政に携わって経験してきた戦後政治の問題の原因をつくってきた「歪んだ占領政策」と、「それを引き継いだ日米安全保障条約の国の政策」と多くの接点を持ち、様々な矛盾を感じてきました。本書は、私の行政官僚として経験した国家の行政上の疑問を解決する大きな知識と情報を与えてくれる論文になっています。東京裁判・サンフランシスコ平和条約・「憲法違反の」日米安全保障条約との一連の流れの中で日本の戦後の政治・経済が造られてきたという理解の下で本書の読後感想を書こうとすると、本書と同じくらいの分量となりそうです。

 

東京裁判の目的は何か

「東京裁判が何を目的に行われたか」という裁判目的の社会性が、東京裁判の評価と批判をめぐる基本問題です。このことは本論文では「最初の訴状である」という記載通りです。「東京裁判の検事(起訴人)と、被告(戦争犯罪人)と訴状の適格性の問題」を社会科学的に明らかにすることが、東京裁判の次の段階の「日本の国際社会への復帰」に向けての米国の意図、国際政治の流れの中での活用される「裁判結果」がいとされることになります。東京裁判の性格はこの文脈により解り易くなります。東京裁判を「戦勝者が戦敗者を裁く」構図に矮小化する誤りが、国内で横行してきた理由は、突然勃発した朝鮮戦争で東西熱戦が始まり、東京裁判が開始された時期の米軍の戦後の占領政策が,日本が無条件降伏を受け入れ日本国憲法を制定した占領当時の国際政治環境と大きく変化したことに関係しています。

 

起訴人(検察官)の資格と被告(戦争仕掛け国:戦敗国日本の国家と個人)の適格の問題と訴因(訴追理由)とが、東京裁判終了後も、判事(裁判官)等自身の意見書から見る限り、東京裁判の性格認識が曖昧だから解かり難いものになっています。

東京裁判では本書でも明らかにしているとおり、被告人の弁護時間に、検事(刑事訴追人)の犯罪内容説明以上時間を使うことを認めています。また、東京裁判の検事及び判事(裁判官)相互間においてさえ、「裁くべき犯罪」の定義が曖昧であるように思われます。東京裁判は、日本が「第二次世界戦争」で世界の平和を乱し、人道上残虐な行為が行なったので、その根源を絶たなければならないという国際的な認識(世界的世論)があったために実施されたものです。

しかし、実際の裁判は、検事が戦勝国から選出された検事で、被告は戦敗国の戦争犯罪人です。戦争では、戦争当事者双方が、それぞれ、直接、平和を蹂躙し、人道上残虐な行為をしながら、敗戦国日本の戦争犯罪人だけが被告とされ、戦勝国の戦争加害者が被告とされず、戦争による被害者が原告(告訴人)ではなく、検察官が戦勝国の原告であることに、この裁判の性格を解からなくするものがあります。

 

戦争当事者は戦勝者も戦敗者もいずれもが、平和を破壊し、人道に違反した罪を犯したことは事実です。しかし、戦争当事者が対等の立場で、戦争当時者の戦争責任を戦争犯罪者として、戦争被害者が原告となり、その告訴を受けて、第3国の検事が被告を訴追する裁判であれば、歳晩の候性に疑義はありません。戦争当時者にとっての第3者が被告を裁く裁判になっていないため、戦争当事者間の「戦勝者が戦敗者を裁く裁判」という非難が付いて回っています。まず、「勝者が敗者を裁く歴史」が過去の国際戦争裁判であったことから考える必要があります。

 

戦争の再発を行なわない建前の上での東京裁判

東京裁判は、罪刑法定主義と国家の責任と個人による「下手人の犯罪」を明らかにする犯罪形成の刑事訴追が中心になっていて、「被害を受けた国民(人民)」の被害を中心にした刑事責任(罪)の究明と言う視点は弱い裁判でした。そのため、戦争犯罪の対象となった人民の命、家庭、人生という通常の刑事事件で扱われていますが、それとは異質な戦争上(戦闘上)の事件として戦争を裁くことを目的にしていないが、戦闘に関係した日本の戦争犯罪に重点が置かれていた。戦勝国による戦争犯罪は訴訟の対象にされていないため、裁判の性格を「戦勝国による戦敗国の裁判」とされています。

 

日本国内ではドイツと違って原爆投下が行われました。米国は、本当に原爆の怖さを理解したうえでの戦争終結の手段なのか、それとも戦後の新国際軍事秩序形成のためかの判断の違いもあって、戦争の範囲に原爆投下を一緒にすることへの反発があり、国民感情として東京裁判を素直に受け入れられないでいます。少なくとも日本国内では、第2次世界大戦は、国民に重大な人命被害と人道的な被害を与えながら、敵味方とも戦争の勝敗が付いた状態で原子爆弾投下がなされたと考えています。原爆投下の原因究明をしないで、つまり、原爆投下の正当性、即ち、戦勝国の「過剰な攻撃」という戦争犯罪を問題にしないで、東京裁判が開催されたのです。そのため、東京裁判を世界大戦の再発防止を目指した裁判と受けいれることにはわが国に限らず、国際的にも反原発関係者からの抵抗があります。原爆投下に関する戦勝国の過剰攻撃という戦争責任の追及を明らかにすべきという国民感情があります。

 

「戦争責任」追及の意味:戦争を仕掛けた国の責任:第1義的な戦争責任

東京裁判の枠組みも、実は冷戦構造と地域的な小競り合いや侵略から拡大した経緯こそ、戦争責任の原因として東京裁判でまず明らかにすべきではなかったか。国際的認識としては、国際紛争としての熱戦は、「戦争は仕掛けない限り、熱戦には拡大しない」という認識の下に、「戦争を仕掛けた原因をつくった国に責任を取らせてきた」という歴史があります。

 

東京裁判が実施された理由は、熱戦のきっかけを「戦争を発生させた国の責任」として追及されています。戦闘期間中の戦闘被害の問題は、戦争責任としては「喧嘩両成敗」です。東京裁判を必要にしているもう一つの理由は、戦後の国際関係上、米国は、日本が自由主義陣営として戦後の国際社会に復帰させるためです。戦争責任を明らかにしない限り、日本は国際社会に復帰させない暗黙裡の了解の下に、東京裁判の戦争責任の追及が行なわれました。

そのことに関し、東京裁判が始まって世界大戦の被害の大きさに気付き、再発を防止するために国際的な戦争犯罪を裁く基準が問題にされ、「平和に対する罪」、「人道に対する罪」が、戦争の再発を防止する「国際紛争処理の基本」として議論されるようになったのです。

 

戦争を起こすまでの各国の軍備は、侵略を意図するものもあるが、自国の安全と平和を目的とするものもあります。国際的には国家間の利害関係を背景にした疑心暗鬼の敵対関係の中で、「自衛権」としての軍備の拡大は、国際関係の中で認めあってきました。そのため、各国の軍隊は外国の危害を及ぼさない熱戦にならない限り、軍備の存在も拡大も容認されてきました。

第2次世界大戦では、日米は軍拡とそれを支える経済対立により、経済戦争がそのきっかけになり、過去の米ソ対立も現在の米中対立も同じです。しかし、冷戦に関して、それ自体を前提にした軍事力の強化は、わが国のように憲法第9条で「戦争の放棄」を明記してした場合を除き、直接的な軍事力の保持は「戦争犯罪」の問題とはされません。しかし、大国は覇権主義や国際秩序をまもる警察行為(PKO)と正当化し、国連決議を表に出し、または、隠して、外国への干渉を繰り返してきました。

 

戦争責任が「国家の政治の在り方と基本的に関係している」政治と戦争の関係が、東京裁判で裁かれなかったことが、政治に戦争責任を免罪した。その結果、現代の安倍内閣による憲法蹂躙の再軍備が進められようとしていることに、東京裁判が影響を与えらえないことに繋がっている。第2次世界大戦に対する日本国としての戦争の総括が、東京裁判が終了したにも拘らず、東京裁判の結果から日本政府は、何一つ政治的教訓を学ばず再軍備に走ることに躊躇せず、政治家や軍人などの政治、軍事、経済行政戦争責任を明らかにしていない。

そのことが、戦後の日米安全保障体制下の軍事産業主導の国家経済再建が、「戦争の放棄」を明記した「日本憲法」に違反した朝鮮戦争を前提に日本の経済再建政策の承認が行われてき原因です。東京裁判の目的は「戦争の放棄」を明記した日本国憲法の実現と理論的に同じでなければならない。しかし、東京裁判は連合軍の支配下で、日本国憲法違反の政治が事実上行われていたことが東京裁判自体をゆがめた。

 

「個人責任」と「国家(組織)責任」の問題

戦争犯罪人の「個人の責任」と戦争で刑事罪を犯した「国家(組織)の責任」問題が、国際紛争の場で常に明確にされなければならないが、多くの戦争犯罪人(個人)は、「国家組織の命令に従っただけで、罪を犯したのは国家組織である」と責任回避を行なった。

それは戦争の場合だけではなく、一般の社会で日常茶飯事に起こっていることである。子供社会の「いじめ」や企業内「いじめ」や、「独占経営」による弱小企業の「いじめ」に共通することでもある。そして、「いじめ」を行なった組織人は、その命令に従わなかったら、組織から[いじめ」を受けるため、やむを得ず「いじめ」を行ない、「いじめ」を行なった本人自身、「犠牲者である」と主張することが多い、

東京裁判の戦争犯罪人の多くもその例に漏れず、加害者でありながら。被害者(犠牲者)のふりをしてきた。。

 

インドもパルは東京裁判の判事であるが、裁判の審理と距離を置き、反対意見として独自の主張として、「国家による犯罪」であるから「被告(戦争犯罪人)は全員無罪」という上述のような「反対意見書」を書いた。日本政府及び日本の軍国主義者からは、パル判事の意見書は、「正当な判断を示した判事」として評価された。その風潮は、戦争を遂行した旧軍人や軍国主義者に共通するだけではなく、朝鮮戦争が始まり、日本国全土を米軍の兵站基地にすることにより、戦前の軍国主義を復興し温存した日米軍事産業の支持を得た。

 

個人と組織の関係:カルロスゴーンと田中角栄

組織があっても、組織を操る人間がいなければ、組織犯罪を実行することはできない。それは企業経営でも同じである。「仕事を行なうのは人間」であって、「人間にやる気を起こさせるとともに、それを組織的な力に糾合することが経営」である。倒産直前にあった日産自動車を再生したカルロスゴーンの実践は、その典型例である。内容は、社員(国民)の人心を糾合することが経営企業(国家)である。

HICPMでは10年以上前『カルロスゴーンの経営の種明かし』の執筆依頼を書店から受け、カルロスゴーンの経営を調査し、その結果を単行本にまとめたが、難しすぎるという理由で出版されなかった。その後、第3書館から出版に応じると言われたが、印刷原稿ができた段階で第三書館からの連絡が途絶え、出版できなかった。そこで、HICPMで簡易印刷で1000部(¥1,000)印刷し、ほぼ完売した。

 

人びとは企業や団体、最終的に国家をその支配下において個人的な利益や欲望を実現してきた。田中角栄が国会議員の8分の1(2分の一の3乗)を支配できれば、派閥、自民党、国会と言う「組織の3段階」で、過半数の議決を使った民主主義社会で国家を自由に動かせると言い、個人で組織を支配することを実践した。田中角栄は政治集団の各段階での選挙の票を集め、過半数を支配したため,官僚を抱き込み、補助金を角栄の思うように分配させた。官僚人事と官僚による国家財政(金権)を支配することで国会議員と官僚とを牛耳った。

それ以降の自民党政権は角栄の政治経営哲学に倣い、官僚人事と財政・金融政策で、国家の政治・行政・経済・金融を支配し、傘下の地方政治や経済活動の全てを政権政党の意図通りにしてきた。現在、安倍内閣の政治手法は田中政治の悪い権力構造を真似し、その読み替えをしたものである。ヒットラーも同じことをやって、ワイマール憲法の下で政権を略奪した。戦前の日本の全体主義は国家による思想教育と地縁共同体から国家組織までを意識操作することで翼賛国家経営を行なった。

 

戦後政権により国家褒章の対象になっている戦時中の国家犯罪

わが国の金権政治のモデルが戦前のシーメンス事件で、金権汚職政権・山本権兵衛に代表される財閥(旧軍需資本)による政・産・軍政治癒着構造である。戦後、財閥解体を反故にし、朝鮮戦争以降の米軍の軍需産業から現在のわが国の防衛産業につながる経済の中心的担い手である。特殊例は、戦前、東大や京大が大学を挙げて推進した細菌戦の人体実験を行なった703部隊での産軍学共同の犯罪研究である。東京裁判を潜り抜け、米軍の支援をくけ、戦争犯罪者集団の703部隊の軍需産業により育てられた犯罪研究者は、戦後も国家の擁護を受け、現在の大学と学会を支配し、その指導者は国家叙勲や国家褒章を受け、巨大な政治献金を自民党に行なう医薬品産業を作ってきた。政治家、官僚、御用学者も潤沢な汚い金を貰い美味しい生活のできる政治に従っている。

 

裁かれなかった軍事資金の不正

東京裁判ではこの闇の国家資金の問題が問題にされていないが、軍票の発行や贋金を使った軍事資金犯罪が行なわれていた事実は明らかにされていない。戦争と不正な資金の関係は、戦争防止上重要である。ヒットラーとムッソリーニーと東条は、誤った犯罪思想と残虐な暴力と不正資金を使い、また、スターリンや毛沢東や東欧諸国の共産主義国家は共産党組織の資金とを不正に使って国家の政治を牛耳ってきた。第2次世界大戦が勃発する直接の原因は、政治家と軍需産業とが一体となって戦争を起こすことで、国家と国民支配を行なってきたことは、世界の共通認識になっている。それにも拘らず、そのメカニズムの戦争犯罪がニュールンベルク裁判でも東京裁判でも問題にされなかった。

 実は日本国民が「裁いて欲しい」と願っていたのは、

(1)日本の軍国主義政治によって国民に不当な兵役義務を課され大きな犠牲を科せられたこと、

(2)原爆の投下や焼夷弾の絨毯爆撃で国土爆撃で都市が破壊され、貴重な歴史・文化・生活と個人及び社会的財産を焼失させられたこと、(3)第2次世界戦争による不当な人命財産の破壊を進めた国家の不正な国家資金の使用責任こと

これらのことこそ、国民が責任追求して欲しいと思っていた裁かれるべき犯罪だった。しかし、裁かれたことは戦争犯罪人とされた政府の組織上の要人の戦争犯罪だけで、それらの「戦争犯罪人が国民になした犯罪」は裁かれなかった。

 

パル判事,レーリング判事、ウエッブ判事

裁判は裁判官によって左右されることと、判事の先行の重要性を本書は痛いほど説明してくれている。裁判の限界というか、人間社会の裁判制度を理解する上に、本書は大変優れた資料を提供している。本書は裁判制度のもっている「限界と可能性」を裁判に国民がもっと関心を持つことで改善できることを示した。本書で詳細に検討した「ウエッブ判事とパル判事とレーリング判事の判事としての業務比較」は、判事のプロフェッショナルと言う職業倫理が全く違った判決を誘導したことを解かり易く読者に伝えており、司法関係者たちにも、それ以外の人たちにも、組織を動かす職能(プロフェッショナル)の生き方を考える上にも、「個人と組織」の基本的な関係を提起した書籍になっている。

 

パル判事,レーリング判事が関係のところ(論文)は、「判事と言う職業」は、判事報酬〈公金〉を与えられながら、東京裁判の真実を究明する業務を行なうよりも、判事自身の自己顕示、政治思想の宣伝、又は、個人的な主張を社会にアッピールすることを優先する人たちであるという業務と言う実体が明らかにされた。このような業務を行なう判事は,今も昔も無尽蔵にいる。東京裁判を指揮したウエッブ裁判長は、これまでの私が知っていた情報とは全く違い、東京裁判の中で最も裁判官らしい裁判官であったことが本書で説明されている。これは、本書の新たに社会に伝えることになった重要な発見で、これを機会にウエッブの意見が広く読まれ分析されることになれば、東京裁判を通して第2次世界大戦の日本政府の問題がもっと究明されることになるに違いない。

 

ウエッブ判事による東京裁判の各戦争犯罪人に対する分析は、本書からは基本的な事実とウエッブ判事の考え方が触れられている。しかし、この内容こそ、「戦争を推進している実態」は、「戦争に関係した権限を与えられた個人の判断と行為」によって、組織があたかも一体の権力機構として機能したことを証明するものである。

終戦時に、日本軍が戦時下の犯罪を糾明されないように組織的な証拠隠滅工作が図られた。日本軍と官僚機構の必死な不正工・隠ぺい工作により、その全貌はなかなか明らかにはできないが、各権力機構が組織的に行なった犯罪であることを明らかにすることで、戦前の軍と官僚が一体となって推進していた「個人による戦争犯罪」が浮き彫りにされる可能性を感じさせた。

 

国家の責任を形成する戦争犯罪人の責任

平和に関する罪は、組織が自動的に犯したものではなく、そこの地位を与えられた個人の行為によって、組織は機能していたことで、個人の戦争犯罪として追及されるべきである。本書の論文では、明らかにされ切れなかったが、戦争犯罪の所在がウエッブ裁判長の意見として戦争犯罪人ごとの戦争遂行への貢献内容が見いだされたことで、「個人と組織の戦争犯罪責任を繋ぐカギ」を解明する重要な東京裁判論文である。

本書は、私のかねてから抱いてきた「東京裁判の解体分析」を長年かけて実施してきた著者にしかできない「腑分け」の仕事である。本書を読むことで真相究明の糸口が誘発され、私の「東京裁判の分析」に期待していることを、このように明確に文章として引き出してくれたことを評価したい。著者のこれまでの研究が原資料に立って進めたことと、共同著作者デービッド教授の冷静な歴史観で著者のこれまでの研究成果を引き出した共同作業の労作である。

 

当時も現在も同様であるが、わが国には個人主義自体が成長しておらず、世論操作で個人の行動が左右されて、誰がそのポジションに来ても同じ機能を前任者に倣って追求することで、自己の存在を主張し、組織内評価を得てきた。軍人も官僚も世論操作されて自己実現の満足を感じ、権力の乱用の結果を自分の能力と勘違いし、国家への貢献と考え、天皇陛下からの評価を期待してきた。わが国では「役得(フリンジベニフィット)」として私的快楽や金銭を、業務の関係で手に入れることが一般的に行われてきた。兵隊の占領地の女性の強姦を、上官が兵士に対する死を代償にした突撃命令の「褒美」として与え、上級軍人や官僚には同じ方法で、高級娼婦や敵の高級軍人や官僚の妻子を凌辱することが行なわれた。第2次世界大戦中、インドネシアでは日本軍人がオランダ人の妻子を探し、興味本位で慰み者にし強姦した実話を聞いた。しかし、犯罪の責任追及に対しては組織責任を持ち出し個人責任はないという。

 

私の人生との関係で考えたこと

私は戦後の住宅都市問題に取り組んできて、日本国は官僚を中心に第2次世界大戦の総括も反省もなく、朝鮮戦争の勃発とともに軍需産業で国家経済誌発展させ、その中で不正に利益を得る国家体質が形成されたことを苦々しく思ってきた。「国民が例外なく住宅を購入することで貧困になり、住宅産業が日本の経済政策の中心となって政治家と官僚にうまい飯を食わしてきたこと」を経験し、私も官僚としてその片棒を担いできたと感じてきた。その不正との闘いで官僚(上司)の利益のため、私は官僚の地位を追われ、インドネシアへの3年間の島送りされ、その後15年間、国内各地を盥回しされた。山崎豊子の『沈まぬ太陽』を読んだとき、私の左遷時代をモデルにしたのではないかと勘違いしました。

 

結局、私は国家権力から離れHICPMを創設し、欧米の住宅産業の優れたところを国内に技術移転する取り組みを続けてきた。日本「日本の住宅政策と都市政策」を、体力的に元気なうちにまとめ、整理しておきたいと、現在その後まとめを始めている。その内容は、東京裁判後サンフランシスコ条約を締結でき独立したが、それと同時一体的に「米軍の占領政策を独立後も継続することを独立国として受け入れた」日米安全保障体制下の国土全域が米軍の兵站基地となった。そのような米国に隷属させられた国家の官僚として私は25年間働き、多くの矛盾を経験してきた。その後、官僚復帰の道は断念させられ、官僚の縛りから解き放されてHICPMの活動で25年間経過したが、政府の妨害により米国の住宅産業を国内に技術移転することは妨害され、期待通りの活動はできないままになっている。

 

日本が独立して国際社会に復帰するための「東京裁判の総括」が、米国の極東戦略に影響され、天皇の訴追問題に代表される問題を残したまま終了された。東京裁判を日本政府が受け入れることで、サンフランシスコ平和条約が開催され国際社会に行け入れられたが、米国政府から日本政府が米国に対して占領支配同様の米軍の兵站基地となる日米安全保障条約の受け入れを条件に、サンフランシスコ平和条約になった。未だに沖縄県の辺野古埋め立て問題で、政府は米軍の代理人としてしか機能できず、米国の新植民地国の地位に沖縄県民は苦しんでいる。その視点が本書で明らかにされた東京裁判に対する私の関心である。これからの国際紛争の大きな整理の基本原則とされている東京裁判研究の重要な整理の視点である。本書は、直接政府の政策や政策の歴史批判をするより、穏やかな形で国民や戦争問題を考える関係者に東京裁判を通して戦争と平和の問題を考えさせることになる本と思います。

(NPO法人住宅生産性研究会 理事長 戸谷 英世)

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