NPO法人HICPMメールマガジン第773号(2018,06.19)
みなさんこんにちは
HICPMのこれまでの東京の事務所は明け渡すことになり、23年前の梶切をする前の姿に戻らされています。カナダ人の大工が間仕切りをつくってくれ、集成材工業会から机やテーブルの天板の寄贈を受け、セミナー用のテーブルとイスを買いそろえ、新しい事務所が整備された時を思い出します。間仕切り解体業者が、カナダ人の工事は「構造体に一切傷をつけない優れた工事だ」にと感心していました。カナダの大工が23年前に施行した業者の技術は日本に定着できていないことを今回の原状回復工事を通して感じさせられました
家賃の交渉を巡って、途中で家主との関係が悪くなった際、エアコンが壊れ、家主が対応してくれなく、仕方なくHICPMでエアコンを設置しましたが、エアコンの効率が悪く冬は寒く、夏は暑い日を我慢しなければならなかったことも思い出されます。家主と言えば親も同然と言われている日本の諺は本当のことを教えてくれていることを経験したことをあらためて思い出しています
『注文住宅』の第7回目です。
日本の建築設計教育が「代願設計」になった理由が歪んだ安全教育偏重であったことを、今回は、明らかにできたと思います。
第7回.第2次世界大戦後の建築教育(MM774号)
第2次世界大戦後の日本の戦災復興は日本国憲法に象徴されるとおり、戦前の軍国主義の復活をさせない民主的な国家づくりをすることを目標に、米国の世界恐慌後のニューディール政策を推し進めた社会主義的な思想を持った人たちが理想を実現しようと日本にやってきた。米国内でも世界恐慌後の復興に取り組んだ理想主義的な思想の持ち主である。国土復興のため、建築家法や建設業法、建築法規〈UBC〉など欧米社会で吟味されたコモンロウ(慣習法)を日本に成文法に置き換える取り組みが行われた。
占領軍の占領政策に応えた建築教育の不存在と建築士法
第2次世界大戦後、1950年占領軍支配下で戦災復興を進める建設工事のため、建築設計、建築施工、工事監理業務を実施すべく、占領軍の指導で建築基準法、建設業法、建築士法(以上当時「建設3法」)が米国の建設法規〈UBC:ユニフォーム・ビルディング・コード〉とコモンロー(慣習法)である建設業法(アメリカン・コンストラクション・ロー、建築家法(アメリカン・アーキテクト・ロー)に倣って整備された。米国と日本とでは建築教育が基本的に違っていた。しかし、政府は、法律施行を急ぎ、わが国の大学の建築学科や高等建築教育では、米国と同様な建築教育が行われているとみなした。
米国の建築家と同じ学識経験を持たない日本の大学建築学科卒業生を建築士法で定めている建築士の受験資格を満足するものと認めてしまった。その結果、建築士法上必要な技能力のない技術者に建築士に必要な技術力のある技術者にしかできない設計及び工事監理業務を行なわせ、建築士法及び建設業法を混乱に陥れ、建築士制度及び建設行法上の建築設計業務自体を混乱に引き摺り込むことになった。
私自身、1970年当時、建設省住宅局建築指導課で建築士法行政の責任者の地位で、中央政府で建築士法行政を施行し、法律の規定と現実の矛盾を感じさせられた。米国の建築家法で規定されている建築家と建築士の能力経験との乖離は大き過ぎた。建築士の受験資格で規定された大学の建築学教育モデルは、東大建築学科のカリキュラムと引継ぎされていたので、基準とされる東大の建築学科の教育カリキュラムを調査しそれとの比較で全国の大学の建築学科のカリキュラムを検討した。驚いたことに東大を筆頭にわが国の大学建築教育のカリキュラムで設計教育を実施できている建築学科はほとんどいなく、人文科学としての建築設計教育を行なっている大学は、東京芸大等を除き皆無であった。
欧米の建築学教育を全く実施していない東大の建築教育
明治時代に始まった伝統的な建築様式を模倣する意匠教育は、東大の建築学教育から完全に消滅していた。その反動として様式建築教育は時代遅れと考えられ廃止され、それを矮小化した建築歴史教育も建築士試験に出題される比率は少ないという理由で建築教育から割愛し、又は、選択科目にさせられていた。人文科学教育としての建築設計教育は行なわれず、建築設計は時代風潮を表現するデザイン(意匠)教育と考えら、メディア受けする欧米のデザインを真似たデザインが建築雑誌を賑わした。
建築設計を現代の時代風潮を表現する意匠教育と勘違いし、建築雑誌を賑わす前衛的な有名建築家の作品を真似し、欧米の建築デザイントレンドの模倣など斬新なデザイン設計教育がなされていた。丹下健三東大教授がその先頭に立ち、前衛的な建築デザインを商業雑誌に発表しジャーナリスティックな人気を争い使い捨ての設計を行ない、スクラップ・アンド・ビルドの建築を繰り返した。その結果、わが国の建築界や建築教育の場から歴史文化は否定され、自己主張の強い建築設計が行なわれた。当時は学園紛争も盛んで教育カリキュラムも混乱していたが、半世紀を経過した現在の建築設計教育も、大学の設計教育のカリキュラムは存在せず、設計者の自己主張をすることは当時と変わっていない。
「建築設計とは何か」、「建築デザインとは何か」という疑問に対し、建築士法上での建築学教育の標準カリキュラムの大学とされていた東大建築学科の建築設計教育は確立していない上、欧米の建築学教育で実施される建築デザインの教育が行われていない。建築設計者が創意工夫をする設計は、人類の歴史文化に照らして建築思想を伝達できるアーキテクチュラルボキャブラリーで設計されなければ、建築文化を伝達できない。建築設計や建築デザイン教育では建築思想を伝達できるアーキテクチュラルボキャブラリーの習得が必要となり、それが教育の規範にならなければならない
建築教育の原点:建築を設計すること
欧米の建築教育では、「建築とは何か」という包括的な知識の歴史文化的な学習から建築教育が始まっている。建築は人類とともに誕生し成長してきたから、建築教育は人類の歴史文化との関係で学ぶことから始められる。欧米の建築教育は各国ごとに教育の仕方は違っても、歴史文化から建築を包括的に学習する人文科学の学習としては共通している。しかし、日本の大学の建築学科の建築教育は、建築基準法で定義されている物づくりの建築教育として「建築物の定義」から建築の教育が始まっている。
わが国の建築学教育では、「建築物は建築主の要求を設計条件とし、建築士がそれを満足する設計をする」と考えてきた。建築士には建築主の要求に応える物づくり能力があればよく、設計者が建築主に建築思想を主張する必要はない。その考え方は明治維新に欧米の建築設計教育を学ぶ明治政府の方針であった。欧米の建築設計は、その前提に建築家の建築思想があり、建築設計は建築家の建築思想を具体化させることであった。西洋建築思想を構成している宗教や文化を自由に学習させれば、日本人は西欧思想の悪影響を受ける。明治政府は西欧思想の国内への侵入を阻止しなければと考え、「和魂洋才」を主張し、日本の建築教育に建築思想を持ち込むことは禁じられた。現在では西欧の建築思想を展開することは禁じられてはいないが、建築設計上、建築思想自体を尊重していない教育になっている。
建築思想を教育しない日本の建築教育
欧米の建築設計教育は人文科学を基に教育され、建築物は過去から未来に向けて、歴史文化と人びとの生活上、連続して恒久的に使い続ける建築環境設計を行なう。その建築は社会的に尊重される歴史文化を担い、建築物が存在する限り人々に愛され利用され続けるものでなければならない。そこで欧米の建築教育では歴史文化を担ってきた様式〈スタイル〉の担っている建築形態(フォルム)、建築ディテール(詳細)、建築装飾(オーナメント)で構成される建築ボキャブラリーをマスターし、それを駆使して歴史文化を伝承できる建築設計教育を実施してきた。それを自由に表現できる能力を習得するため、建築用語教育(歴史建築のスケッチ、トレース、模写)に多大の時間を費やしている。
しかし、現在わが国の建築教育では、人文科学的な建築学教育は皆無で、建築デザインは建築家の建築思想を社会的に伝えられる建築ボキャブラリーを駆使して伝える欧米の設計思想は日本には存在しない。明治維新に始まった欧米から持ち込まれたルネサンス建築教育には建築思想はなく、欧米の近代建築図案の模写の意匠教育として行われ、建築思想を伝えるものとしては学ぶことを禁止された。その間違った建築設計の考え方が、建築設計に建築思想を必要としない現代の設計教育になっている。
建設された明治の近代建築は関東大震災で大きな被害を被ったため、「人命も国民の財産も守れない建築教育」と批判され、関東大震災を機に佐野利器東大教授により建築教育から放棄された。意匠教育の代わりに建築学教育に持ち込まれた応用力学は、一部の建築物に限られた構造計算方法に置き換えた安全構造学教育とされたが、建築教育の中心になるべき方向を決める教育の柱にはなれず、建築安全教育としては、「代願設計」という建築基準法依存教育に矮小化さられてきた。
戦後のどさくさに紛れて立法された建設6法
第2次世界大戦後の日本は、戦災復興を急がなければならないとされ、占領軍の指導を受け建築物の安全性を確保する建築基準法、建築物の設計を担う建築士法、建築物の建設する建設業法の3法(当時「建設3法」と呼んだ)の立法を急ぎ、1950年建築士法、建築基準法、建設業法が、米国の建築家法、統一建築委法規(UBC)及び建設業法をモデルに制定された。その中で建築基準法は建築技術を網羅的に扱うため、日本建築学会が建築基準法で扱う技術を網羅的に学問教育の対象とすることで、建設省住宅局と㈳日本建築学会による産学共同体制が敷かれた。
政府は建築士法、建設業法、建築基準法のいずれもが、米国の建築法規をモデルに制定された法律で、その法律があれば、建築技術者を縛ることができると考えた。政府は、わが国の大学の建築教育が欧米の大学の建築学教育と全く別のものであることを知っていて、日本の大学の建築教育を欧米の大学の建築学教育と同じと見なし、それを建築士の資格条件の学識と認めた。それは単に建築士の受験資格の問題ではなく、わが国の建築設計者の社会的に必要とされる学識を定めるものであった。日本の建築教育は、物づくりであるから、建設6法が制定されれば何とかなると考えていたようである。。
しかし、日本の大学の建築教育はその歴史を見れば明らかのように、欧米の建築設計は人文科学(ヒューマニズム・デパートメント)建築学科(スクール・オブア・アーキテクチュアー)で基本設計の建築設計学教育をすることも、建設学科(シビルエンジニアリング)では基本設計を実施設計につくりあげる教育もしていない。わが国の建築教育は、意匠教育を放棄した後、応用力学教育を取り入れたが、教育体系として整備できず、戦後、全ての建築物は建築基準法による確認を受けない限り建築できないため、建築教育全体が建築基準法に従属する教育にさせられ、欧米の建築学教育とは異質な教育になった。
建築基準法偏重教育(代願設計)の原因
関東大震災後のわが国における大学の建築教育の目的が、安全教育中心となり、それは、建築基準法に適合する建築物を設計する技術教育に偏重されることになった。第2次世界大戦後、進駐軍の指導により建築基準法が全国適用されることになり、建築基準法に適合した建築物以外の建築は禁止されることになったことから、建築設計教育は建築基準法による確認が得られる「代願設計」を製作することになった。大学の建築教育は、建築基準法に適合して建築物を設計施工することのようにゆがめられ、建設省住宅局と日本建築学会とが産学共同で、建築基準法を中心にした建築工学教育を進めた。
欧米の建築教育は歴史文化を伝承する建築物として建築物を設計・施工する建築教育が中心になっているため、人文科学教育として行なわれているが、わが国では、戦後の建築教育でも人文科学としての建築教育は教育の中から除外され、建築物の安全教育で足りると考えてきた。建築物の安全は建築基準法で満足する法律体系が制定されたことから、建築主は計画した建築物は、建築基準法に適合する確認が安全を実現する基本とされた、そこで建築主が建築主事に確認申請をする申請事務を建築主に代わって出願する業務(代願業務)に添付する「代願設計」を作成することが建築設計業務と考えられた。
そもそも、代願設計では工事費の正確な見積もりも、工事の詳細を決めることもできない。わが国の大学の建築学科における建築設計教育は、建築士法で定める建築設計(基本設計及び実施設計)を行なわず、代願設計を建築設計である横着で杜撰な建築教育を行なってきた。その結果、代願設計では請負工事費の見積もりをすることができないが、建築設計図書自体が存在しないため、代願設計で請負工事費を略算することを行い、それで工事請負契約を行うという雑な業務を行ってきた。
建築士試験教育と建築学教育を支える国家の経済政策
わが国の建築教育の基本的間違いの第1は、わが国の大学の建築学科で欧米同様の建築設計教育が行なわれなかったことである。それは大学の建築学教育を監督する文部科学省が、欧米の建築学教育を知らず、世界の建築教育に対する無知と教育行政の誤りに起因している。その誤りを国土交通省が日本の大学及び高等建築教育機関では、建築士法で定めたとおりの建築教育が行われていないことを知りながら、大学教育の誤りを糺さず、大学の建築教育が建築基準法教育の偏重する建築教育の正当性を主張した間違いを、日本建築学会と建設省の産学共同体制で、行政権力で大学建築教育を追認した。
文部科学省も大学も建築基準法と建築士法の権威に頼ることでその教育の正当性を維持していた。わが国の建築学が世界の建築学と大きく違っている誤りを糺さず、建築行政に裏書きを依存した。国土交通省住宅局は、間違った大学の建築教育を前提に、建築士法の施行を行なった。国土交通省は、まともな建築士法で定めたとおりの建築教育が大学や高等建築教育機関で行われていないことに目を瞑って、建築士法に照らして正しい教育が行われてきたとみなし、卒業生に建築士の受験資格を与えた。
わが国の建築教育の基本的間違いの第2は、大学で人文科学を履修していない建築士を、建築士法上で、欧米の建築学教育を受けた建築家と見なし、設計業務を排他的独占としたことである。国土交通省は建築士法で規定した建築士が、米国の建築家法で規定した「建築家」の基本設計及び実施設計に必要な学識と経験を積んでいないことを承知し、建築士法上、米国の建築家と見なそうとした。そのうえ、文部科学省および日本の建築教育関係者は、日本の大学の建築教育を欧米の建築設計教育と同じもののように誤解して建築教育を行ってきた。文部科学省、国土交通省、建築学関係大学の3者の無責任極まりない行政機関と大学により現在の建築教育が行われてきた。その建築教育に対する批判は建築産業界、建築学界、建築行政界のどこからも全く行われていない。
国家の建築教育と建築行政の関心;産業利益か消費者利益か
以上見てきた通り、わが国の建築教育と建築行政が欧米とは基本的に違っている。その原因は建築学教育として教育するべき内容と、建築技術者の履修すべき学識経験とが欧米と違っていることに尽きる。その結果生まれている弊害は、現在欧米とわが国の建築環境の違いである。学校教育機関は日本が島国であることをよいことに日本の惨憺たる建築教育の状態を国民に知らせず、お互いに建築教育として教育すべきことに関し、産・学・官は無知のキズをなめ合って、間違いを直そうとしなかった。そのため、日本国内で建築教育を相互に批判することはなく、建築教育のあるべき姿を議論することさえなくなってしまった。政府内部に制度を吟味する建築審議会がありながら機能していない。
すべての建築教育に対する批判が行われず、現状を追認することは、産学官で構成される護送船団の利益となる判断として、産業界が金儲けのできる建設工事とすることができる経済主義で推し量られてきた。欧米と相違した建築教育や建築行政が行われても、公共事業が建設産業の繁栄とGDPを最大にする経済政策であったため、それを変更する必要を認めてこなかった。住宅・建築・都市を人文科学的な居住環境形成の役割を担っている認識が、文部科学省及び大学の建築学教育にも、国土交通省の住宅・建築・都市環境教育にも国民本位の学識経験を高める教育文化の認識として存在しなかった。
住宅・建築・都市という人びとの歴史文化空間を如何につくるかという課題は、わが国では、建築教育の課題とは全く考えられていない。国際交流が盛んな現代において、建築教育関係者で、わが国の建築関係者で世界の建築学が人文科学であることを熟知している筈である。しかし、現実のわが国ではほとんどの建築教育関係者がその事実を認識していない。また、わが国の住宅・建築・都市が歴史文化性を欠如し、寿命の長い空間をつくり得ないことを知りながら、それを社会的に問題にしてこなかった。
その逆に、住宅・建築・都市の寿命が短いことが、わが国のGDPを拡大する経済政策に合ったものとされ、スクラップ・アンド・ビルドを繰り返す住宅・建築・都市が経済発展を推進する正しい教育だとする意見まで社会全体の底流にある。
(NPO法人住宅生産性研究会 理事長 戸谷 英世)