HICPMメールマガジン第772号(2018.06.15)
みなさんこんにちは、
本日NPO法人HICPMの臨時総会が開催され、事務所の所在地が〒211-0025神奈川県川崎市中原区木月4-28-3SJ(セントジェームズビル)に変更され、7月9日から電話番号は044-430-4885に移転し、これまでの活動を新しくできる形で展開する予定です。その活動はエベネザーハワードが「ガーデンシテイ」を出版するとき、住宅を購入した消費者が、住宅を取得することで個人資産を形成する方法を「発明」したと言ったことこそ、その後の欧米の住宅及び住宅地開発の原点になったことを考え、その考え方をわが国において進める仕事をしていきたいと考えている。
『注文住宅』の連載を如何に続けます。
第6回.住宅建築設計に必要な学識経験(MM773号)
住宅建築は個人の家計支出に対して非常に高い買い物であると社会的に認識されているから、欧米では工事費の支出は粗末にできないと工事費内訳明細書を見積り数量および単価について詳細に検討し、そのすべてが価格交渉の対象となる。住宅設計は十分な知識と経験を積んだ建築家以外にはさせない。住宅建築は個人が所有されるが、世代を超えて多くの人が居住する社会的資産である。屋内空間は居住者の自由につくれても、外観のように社会的環境の一部を構成するものは社会的合意がなくてはならない。
建築士の資格と建築設計に必要な学識と経験
一方、日本では、欧米のように建築学を大学教育で人文科学としての学ぶことがなく、その上、建築設計教育を欧米のように建築様式の教育訓練を建築設計の基礎的なアーキテクチュラルボキャブラリー教育として行なっていない。建築設計教育を履修しないで大学を卒業し大手ハウスメーカーに入社し、広告チラシを地域にばら撒き、戸別訪問を行なって住宅展示場への集客営業業務をやらされるか、工事現場に出され、建築主の要求をと下請け工事に伝えるための建設現場での使い走りをやらされる。それらの雑務を国土交通省は建築士資格取得のための工事監理の実務経験と見なしてきた。
建築士行政や大学の建築設計では、人文科学的な建築設計教育を履修せず、工事監理業務を実習せずに、建築士法の受験資格で定めた「設計・工事管理業務経験」と見なし、建築学科の卒業生に建築士資格試験を受験させてきた。実施設計図書が存在しないのに、代願設計図書では不正確な工事見積しかできないことを承知で工事費見積もりを行なう。代願設計で建設業者が工事見積もりを含む工事管理を建設業法上適法と容認しているため、住宅会社の営業や現場での工事内容の伝達業務ができず、代願設計では明確にされない設計内容は、下請け業者が損をしない「現場納まり」工事が一般化している。
建築士資格試験は、試験委員に選ばれた大学の教師等が試験科目別に分担した学科試験と確認申請用の代願設計に準じた概略図を使った設計製図の試験が行なわれる。それらは建築士の実務で扱う実践的な問題ではなく、出題者自身にとっても難解な法令解釈の難題が出題されてきた。設計製図の試験では、概略設計を課題にしながら、実施設計で問題にされるは材料や工法の正しい技術を採点方式に取り上げ、合格率が低くなる難解な問題が良い問題と勘違いされ、建築士試験は「難解」試験と言われている。
しかし、合格者は建築士法で定めている設計及び工事監理に必要な学識・経験は、建築士試験において試験されていない。大学の建築学科の教育が建築基準法に定めた確認済み証を得るための教育であるため、試験問題は建築基準法関連の法律適用の問題が中心で、建築設計をする知識経験を試す試験問題ではない。建築士の問題作成者に建築設計の知識経験がないうえ、試験問題では「正誤」の判定が重視され、建築設計実務の設計条件に合わせた最適な解決は粗末にされてきた。その結果、建築士に実際に必要な技術知識は軽視され、試験問題だけが難解になっている。
建築文化を伝承する「米国の建築設計」と感情表現だけの「わが国の建築デザイン」
米国の「建築家法」をモデルに作成された「建築士法」では、建築士の受験資格として、米国の「建築家法」で定めている学識経験を前提にしているが、わが国の大学の建築学科の建築教育には、人文科学としての建築学教育と実務経験は存在していない。また、建築士の受験者に工事監理実務経験のない者を受験資格者と見なしたことに、建築士法を誤らせた原因があった。国土交通省の行なった建築士試験は、大学における建築設計教育を履修していない建築学科の卒業生を、建築設計を学習した卒業生と見なし、建築確認申請知識を中心に学習し、建築基準法中心の試験により「建築士試験」合格者を決定し、それらの合格者に「建築士」資格を付与し、建築士法上の建築士と見なしてきた。
それらの建築士には、建築士法がモデルにした米国の「建築家法」で定めた「建築家」の有する学識及び経験がないのは当然である。それが建築士の学識経験が米国の建築家と基本的に違っている理由である。建築士には建築士法で定めた学識と経験がないから、欧米の建築家ができる建築設計業務ができなくて当然である。建築士は設計図書の作図や意匠の真似をするが、目的は「差別化」で、その設計図書では適正な価格の建築はつくれない。建築士が建築主の資産形成ができる建築設計ができず、消費者の住宅資産を毀損してきた。有名建築家は前衛的な建築デザインに取り入れたと自己中心的なデザインを建築雑誌に発表し、建築教育は欧米の有名建築家のデザインを真似ることが行われえ来た。
欧米の建築家は大学で人文科学の建築設計教育を受け、恒久的な建築(住宅)不動産の設計・施工の技術を学んできた。一方、日本の建築士にはその教育と実務研修を行なわれていないため、資産価値を向上させる住宅(建築)設計能力は持っていない。建築士には欧米の建築家の行なっている設計能力を発揮できない。わが国では人文科学としての建築設計教育をせず、住宅(建築)はスクラップ・アンド・ビルドを繰り返すことで、時代の要請に応える住宅不動産づくりをしてきた。欧米の建築設計教育は居住者の生活要求に沿って住宅空間を工夫し、同じ住宅を恒久的な住宅不動産として利用する居住者の生活要求に対応して成長する「スクラップをしない資産形成」を実現する建築設計をしてきた。
欧米の建築教育では、建築の形態(フォルム)、建築詳細(ディテール)、建築装飾(オーナメント)は、建築思想を具体的に表現する建築用語〈ボキャブラリー〉と考えられていて、過去の建築に使われた建築ボキャブラリーを豊富に学び、その建築用語を駆使して建築思想を表現してきた。建築設計教育の中で最も時間を割いて取り組まれる教育は、過去に建築された建築物に使われた建築ボキャブラリーの学習である。しかし、わが国では欧米のように建築ボキャブラリーを学ぶことで建築思想を理解し、歴史を伝える建築デザインをつくろうとせず、建築家がその喜怒哀楽の感情表現や奇想天外なデザインだけの前衛建築デザインに終始しているため、文化の伝達は行えていない。
人文科学の建築教育に立脚した「建築設計」教育
本書を執筆しようと思い立ったきっかけは、わが国の建築士法は「米国の建築家法」をモデルにし、米国の建築家同様、建築士法上、設計と工事監理を排他独占的に行う職能を行なう技術者として、建築士法上の保護を受けている。しかし、わが国の建築士は大学又は専門建築教育機関で、人文科学の建築教育を全く履修していない。建築士には人文科学的な知識を基にして、基本設計を作成する能力もなければ、基本設計を基に建築主の購買力で購入できる実施設計をする建設工学の知識・技術を駆使する能力も工事監理をする能力もない。能力がないが能力があると見なされ、法律上の保護を受けている。
欧米の建築家のような基本設計と実施設計を担えるようにと、建築士法上で建築士の能力が定められているが、実際のわが国の建築士には建築設計及び工事監理を行なう知識経験を具備していない。その結果、わが国の建築士には日本政府が建築士の資格を与えても、基本設計も実施設計をする能力はない。当然、国民が憧れる時代を経ても資産価値が増進する住宅の設計などできるはずはない。建築士は建築士法違反であるが、国土交通省は法律違反の無能力建築設計者に建築士資格を与えてきたため、違反状態にある建築士を取り締まれない。国家が行政機関の機能を果たせない理由である。
建築士が基本設計を正しくできるかは、基本設計を見て判断できるが、建築士に住宅地開発に関する土地と居住者に関する歴史文化的な知識経験があれば、それを判断できる。欧米の建築設計プロセスに従って、「基本コンセプト」が明らかにされ、「ストーリー」と「ヴィジョニング」による基本設計のロードマップがしっかり策定されていれば、基本設計作業は信頼できる。「基本設計」はそのロードマップの上に建築主が希望する設計要求を条件として整理し、設計作業が始められる。開発の対象となる「土地」と生活する「人」の背負になっている歴史文化・生活を受け入れて設計されていれば、その設計に基づき設計された住宅不動産は、歴史文化的な必然性をもって成長する。
人文科学的な考え方で取り組む「基本設計」は、その開発の「土地」とそこでの生活者(人)の歴史文化的背景を生かす計画でなければならない。事業主が実現したいと願う計画も、土地とそこでの生活者の担っている歴史文化・生活と有機的関係を尊重しなければ、事業として成功させることはできない。建築士法上の問題であるが、実は文部科学省や東京大学ほかの大学の建築教育そのものの教育内容が、世界の建築教育とは全く違った教育を行ない、欧米と同じ建築設計教育を行っていると誤解している。
わが国の明治維新以降の建築教育
明治の初めに先進工業国との条約改正を進める環境つくりのため、明治維新当時欧米で盛んに建設されていたルネサンス建築を日本でも設計できるように、英国から建築家・ジョサイア・コンドルを招聘し建築設計教育が始められた。その建築教育は西欧近代思想の国内への侵入を警戒した政府の方針により、ルネサンス思想を除外した意匠(図案)教育として、わが国のルネサンス建築教育が始められた。その建築教育は関東大震災で多数の人命と財産に被害を出したことから、東京大学建築学科佐野利器教授の意見に従い、それまでの建築(意匠)教育では、国民の人命と財産を守れないという理由で、日本建築学会での「意匠・構造論争」を経て、放棄され、建築構造安全中心の大転換されることになった。
明治維新以来の意匠教育は、建築思想を排除した正確な図案作成や施工図面作成の意匠教育であった。それは、欧米の人文科学としての建築設計教育でもなければ、目標工事価格範囲で材料と工法の選択を行い、正確な実施設計を作成するドラフトマン(建設施工技術者)教育でもなかった。わが国では江戸時代から優れた職人が養成されていて、基本構造図を手渡せば、職人が建築諸詳細部分まで的確に作り上げる技能を持っていたと言われている。そのため職人教育は徒弟制度によって技能は伝承されていると考えられ、学校教育としての建築教育としては行なわれていなかった。
明治維新当時、東京大学工学部には欧米のシビルエンジニアリングを、都市計画事業を担う技術者として養成するため、欧米のシビルエンジニアリングを漢語で訳した「築土構木」を簡素化した「土木」学科が誕生させた。建築物の構造安全は土木工学に依存すればよかったが、佐野利器は土木工学から構造力学を学ぼうとはせず、理学部物理学科長岡半太郎教授から「力学」を学び、力学理論を応用して「応用力学」体系をまとめ、土木工学科の「構造力学」と別の学問体系(応用力学)を構築した。その結果、わが国は欧米のシビルエンジニアリング教育で行なわれている構造学が、「構造力学」(土木工学)と「応用力学」(建築工学)という2つの違った学問体系として教育され、同じ鉄筋コンクリート構造を例にとっても土木と建築とは、構造計算から、材料に至るまで異質な体系にさせられている。
その結果、建築工学科では明治以来の建築意匠教育が関東大震災後に、それまで進めてきた意匠教育は完全に建築教育から放棄された後に、日本固有の「応用力学」が建築教育に取り入れられた。しかし、それは「応用力学」を建築学科の教育課程に採用した以上のものではなかった。土木工学の「構造力学」と張り合うことだけが目立ち、建築設計の中に構造安全教育を持ち込むことを徹底するものではなく、新しい鉄筋コンクリート造や鉄骨造建築を普及するための教育いかなかった。