HICPMメールマガジン第772号(2018.06.14)
みなさんこんにちは
引っ越し荷物運びだしの第1陣が荷物を運び出し、ガラーントした合板の壁に囲まれた事務所でメールマガジンを書いています。
「注文住宅」は全ての住宅需要者にとって憧れの住宅だと思いますが、わが国では「注文住宅を手に入れようと努力をし、その夢が具体化するようになればなるほど、夢が裏切られていくのではないかと思います。住宅産業の関係者はこの消費者の気持ちを理解する必要があり、そのためには住宅産業準としてその名にふさわしい実力を養わなければいけないと思います。今回はPIIGSを見て回ったときの感想をご紹介し、欧米と日本との違いを考えていただきたいと思います。
『注文住宅』連載の第5回目です
第5回 消費者にとって資産価値があるという実感(MM772号)
住宅を消費者が「資産価値がある」と実感するのは、居住者に提供する効用(デザイン、機能、性能)に満足するときである。居住者に豊かさを感じさせる住環境を提供することが居住者に高い資産価値を提供することでもある。住宅の経済的な価値はその効用と交換されるものである。資産価値が取引価格として評価される内容(住宅の効用)は、不動産鑑定評価制度で明らかにされた3つの評価制度(原価積上げ法、相対的販売価格比較法、収益資本還元法)の内容の通りである。
PIIGS(ポルトガル、アイルランド、イタリー、ギリシャ、スペイン)の住宅資産価値評価
財政最貧国PIIGSの国々での住宅自体の取引価格は、個人の支払い能力をベースに決められている。住宅を個人資産と位置付け、居住者自身が豊かな住生活を営めるように善良管理を行ない、そこに居住することに誇りを持っている。新築住宅も既存住宅もきめ細かな修繕と維持管理を繰り返し、所期の住宅の効用を維持し、住宅購入者の世帯年収の3倍とか、住宅ローン負担が所得の30%で取引されている。建築後100年を経過した住宅でも、居住者にとって「新築同然に新しい既存住宅」と言われ、老朽して機能・性能が劣化した住宅ではなく、住宅としての機能・性能を有し、居住者がそれぞれの歴史文化を大切にした「生活することで改良を繰り返した住宅」と自覚されている。
事実、住宅は既存住宅市場で購入価格以上の価格で取引が繰り返されている。人びとはそれぞれの生活の知恵でそれぞれの歴史・文化・生活を大切にし、既存住宅の良さを生かして豊かな生活を演出している。そのため、住み替えが行なわれた住宅では、生活した人の豊かな生活に合わせて住宅の内・外装の改良が居住者の生活を豊かに演出するように施されている。既存住宅に居住者の持ち込んだインテリアが建築の歴史文化に華を添え、それが既存住宅の不動産評価を高めている。居住者は既存住宅の善良管理と生活要求に合わせた改良を繰り返し、より良い生活環境を享受したいと願う改良が行われている。
日本のように既存住宅を新築住宅と比較し、住宅は経年すれば老朽化しみすぼらしくなると頭ごなしに考え、適正な維持管理を行なわず「中古住宅」(セコンドハウス)と蔑む国は珍しい。わが国の中古住宅購入者は、住宅を生活で汚し・壊れても放置し、当然と考え、修繕されないままに粗末に扱うことが多くなってきた。欧米諸国では自分の住宅を自己資産として大切に行き届いた手入れをする。社会的に効用のある住宅を大切にし、より良い生活を営むために常に改善を繰り返している。PIIGS諸国はもとより欧米諸国では、自分の生活をよりよくするために住宅を清掃し、気持ちよい生活環境にし、丁寧に扱い必要な修繕を繰り返すため、人々が生活することで住宅は常に改善され続けている。
昔のわが国でも同じように考え、住宅を大切に管理し、生活をしてきた。居住者は自分たちの生活を豊かにするために住宅に常に手を加え、「わが家」と誇りに思える住宅に設えてきた。自らの生活空間を豊かにし、住宅には近隣住民や友人を招き、住宅を社会的な交流の場に利用してきた。人びとがお互いの住宅を訪問し合い住環境を話題にし、住環境改善の経験を交流させ、実行し住環境は改善され、居住者の住宅に対する目が肥えていくと、資産価値の評価される住宅に育っていく。
米国のベトナム戦争敗戦が変えた日本と世界の「長寿住宅の見方」
最近の日本には長寿住宅という概念はない。日本ではすべての住宅は、法定耐用年数というものが先験的に(アプリオリー)に決められていて、その期間内に住宅の資産価値は減価償却すると説明され、住宅は例外なく減価償却すると考えられている。その考え方は高度成長時代に入り、スクラップ・アンド・ビルドをする政策が経済成長を最大化する経済政策と表裏一体となって展開された。国民は、住宅が長寿化するとどのような現象が起きるのかを考える余裕さえ持たなくなっている。このような住宅の長寿化を、住宅の劣化や資産価値の減少と同義語と考えている国は日本以外に存在しない。
日本国民が政府の経済政策の価値観で教育されてきた結果、GDP以外の価値観を失い、政府の経済政策以外の価値観を受け入れられなくなっている。その考え方も戦後のGDP最大化を重視した経済成長万能時代に形成されたもので、決して長い歴史を持っているわけではない。日本の戦後は、米軍の兵站基地として米軍の極東戦略を下支えする役割を担わされ、戦前のわが国の軍需産業を復興する形で、米軍の兵站基地の役割を担い、それが同時にわが国の戦後の国家経済再建であった。この政策が日本全体を大きく変えた時代が、米国がベトナム戦争で敗北したときからである。米軍がベトナム戦争で敗北し米軍の兵站基地として軍需産業で働く労働者の住宅を供給する必要がなくなったときに、軍需産業向けの住宅需要が喪失し、それまでに育てられて住宅産業が路頭に迷うことになった。
わが国経済上無視できない規模に成長した軍需産業を支える住宅産業を路頭に迷わすことは日本国経済構造として認められないことであった。現実に存在する住宅産業には、政治、経済、官僚の利害が絡み、住宅産業を持続させる政策が、わが国の政治、経済、行政政策として不可欠の課題とされた。その結果、政府は、軍需産業のための住宅産業に代え、住宅産業を維持することを目的とする住宅産業のための住宅政策に大きく舵を切ることになった。住宅建設計画法による住宅政策への転換であった。そのために政府は、国民の住宅需要をベースに住宅産業のための住宅需要を組み立てる政策が始められた。
当時住宅官僚は、官僚OBの退職後の再就職の場として住宅産業が消滅する危険を感じ、軍需産業が消滅しても住宅産業が成長する住宅政策を住宅建設計画法として組み立てる政策を支持した。
木造市街地の建て替えと鉄骨消費を結んだプレハブ住宅政策
ベトナム戦争終了までは米軍の兵站基地としての住宅政策で、軍需産業のための労働者住宅が日本の住宅政策であった。日本の住宅産業は政府策住宅を含め、軍需産業のための低所得者向けも住宅政策で、日本の住宅産業は軍需産業の拡大とともに拡大し、政治的、経済的にも大きな影響を与えていた。しかしベトナム戦争が終了し、軍需産業用の住宅需要が消滅した結果、住宅産業が軍事産業労働者向け住宅需要を失った。わが国の経済で担ってきた住宅産業規模を維持するために、住宅産業界は軍需産業需要に置き換わる住宅需要を政府に求めることになった。ベトナム戦争後の住宅供給は、米軍の兵站基地の軍需産業労働者のための住宅ではなく、一般の国民を最終需要者とする住宅政策に転換された。
政府は住宅建設計画法を制定して、国家が住宅産業のために財政支出を行なう住宅政策を断行した。米軍のベトナム戦争の敗戦で軍需産業向け住宅需要自体がゼロになったが、その住宅需要はわが国の住宅産業及び日本経済にとって無視できない規模に成長していた。そのため、住宅政策を進めてきた官僚と政治家は、住宅産業を一視同に扱い、「住宅産業のための住宅産業政策」を要求するようになった。限られた財政支出を効率的に住宅産業に投資させるうえで、財政上の障害と考えられた要素は、高騰した市街地地価であった。それまでの産業労働者向け住宅の場合、土地は軍需産業が用意し財政支出で負担する必要はなかった。住宅を建設するためには土地取得は不可欠である。そのうえ、高騰した地価を財政で対応すると土地代に財政が食われ、建設工事費に向ける予算が縮小させられる。住宅産業界も財政支出は建設工事費に向けるようにするため土地取得に向けたくなかった。
そこで取り上げられた政策は、土地を購入しないで住宅を建設する方法であった。それまでの軍需産業政策の中で経済成長したわが国の地価が高騰し、その高い地価を財政負担して住宅産業のための住宅政策を行なうことは不可能とされた。そこで、政府は低密度で建設されていた既存の木造住宅市街地を中密度に建て替えれば、土地代は必要ないと判断した。政府は一般国民向けの住宅政策として、「建て替え政策」を住宅政策の基本に据えた。木造住宅市街地の建て替え政策を推進するために、「木造住宅の資産価値は、耐用年数20年でその残存価値は10%である」と説明し、木造住宅の建て替えを未練なく行なわせた。建て替え事業を推進する方法として、市街地を面的に建て替える「地上げ政策」を住宅政策の基本に据えた。その際、建て替えさせる住宅は、わが国の国家経済の基本の鉄鋼を消費するため、軽量鉄骨プレハブ住宅を建て替え事業を国家経済政策として展開することにした。
その理由は、軍需産業が縮小し鉄鋼需要が消滅したので、「国家は鉄」と言われて保護てきた鉄鋼需要が消滅状態になった。そこで、国家として鉄鋼需要を創造する必要があった。政府は新幹線、高速道路、東京オリンピック、千里万国博覧会、超高層建築、地下街の建設など大規模な鉄鋼消費プロジェクトと並んで、プレハブ住宅等建材にスチールドア、ステンレス流し、鋼製物置、建具、屋根材や外壁材に鉄鋼部品の消費を拡大する政策を展開した。軽量鉄骨による公営住宅を標準的な住宅政策として実施した。多数の軽量鉄骨構造のプレハブ住宅会社による過当競争を前提にした市場争奪戦を、木造住宅の建て替えという地上げ政策として、住宅展示場による人海戦術による住宅販売という形で進められた。それは木造住宅文化を抹殺するもので、結果的に大工工務店による文化否定であった。
「住宅生産近代化政策」と一体化して行われた「建て替え事業」
現在わが国の住宅政策の中心にあって、わが国の住宅産業を支配しているプレハブ住宅とは、一体どのような社会的背景の下で生まれたのか。それが国家経営の命運をかけた政策として国民にも隠された秘密プロジェクトとして推進された。そのため、プレハブ住宅への建て替え政策は、国民的にも理解されていなく、住宅政策上の到達目標もはっきりされていなかった。それは米国がベトナム戦争で敗北し、米軍の極東軍事戦略が変更を余儀なくされ、わが国の政治経済が根底から変更を迫られたため、その大きな政策転換は、専ら産業政策として行なわれ、その政策の到達目標は、国民にも隠して行われた。
この政策は住宅産業を守り、日本経済の成長を継続させる経済政策を維持し、国家の屋台骨を担ってきた鉄鋼産業を守ることは、わが国の産業政策の基本と考えられていた。もし、米国がベトナムで敗戦せず、軍需産業が盛んであれば、現在のプレハブ住宅を基軸にした住宅産業が現在のように巨大に成長することはなかった。政府が実施した住宅建設計画法による住宅施策は、プレハブ住宅は政府が土地代を使わないで住宅を建設させる効率的な住宅建設費とする「既存木造の建て替え」政策と、鉄鋼消費を拡大するために、プレハブ住宅産業を育成した国家の産業政策と一体化した政策である。
プレハブ住宅自体は米国における住宅を工場製作する政策、OBT(オペレーション・ブレーク・スルー:突破作戦)に倣って、建設省と通産省とが住宅産業界と協力して実施された鉄鋼消費の国家戦略であった。その政策モデルは、住宅生産を自動車生産に準じた生産に置き換える方法で進めた住宅生産工業化政策であった。米国では広幅員のハイウエーを利用するため、住宅を丸ごと工場で建設する方法が採用されたが、わが国は道路事情が悪いため、米国の方法は採用できず、「プラモデル」方式で進められたものがプレハブ住宅である。しかし、プレハブ住宅を基本的に発展させた仕組みは、「木造を建て替える」地上げである。木造建て替えの地上げは、土地代金を必要とせず市街地内での面的な開発を促した。木造住宅の建て替え政策とプレハブ住宅の住宅展示場と営業マンを使った人海戦術による建て替え事業は、当初から政府が計画したものではなく、試行錯誤の結果生み出されたものであった。
「鉄は国家」の価値観を根底から変えた「プレハブ住宅」による文化大革命
住宅展示場というプレハブ産業の営業集約基地にすべてのプレハブ企業が営業拠点を設け、既存木造住宅の建て替え事業と一体的にプレハブ住宅販売が取り組まれた。市街地全体をプレハブ企業がそれぞれの営業拠点の拡大を競いながら、既存木造住宅の建て替えと一体的にプレハブ住宅の販売を行なった。「夜討ち朝駆け」の言葉通り、人海戦術でハウスメーカーは多数の営業マンを雇用し、絨毯爆撃同然の「木造住宅の価値は20年でタダ」とする「減価償却論」を木造建築破壊の根拠に、「木造建て替え」の大義名分が与えられた。そして、「鉄鋼需要を創造し鉄鋼産業を守る」政府の産業政策の共通目標の下に、プレハブ住宅販売を不動産市場争奪して実施された。プレハブ住宅は建築士法と建設業法で定められた建築設計と建設施工業務を蹂躙して、建築設計・施工という建築士法及び建設業法上の業務を不要とする違法な不動産営業として行われた。プレハブ事業が国家の産業政策として展開された。
そのすさまじいプレハブ住宅販売と木造住宅の建て替えによる地上げの営業攻勢により、市街地の姿はみるみる変化させられた。それ以上に住宅、建築、都市に対する国民の考え方が大きく変えられた。そのあまりにすさまじい取り組みが国民のそれまでの住宅、建築、都市に対する常識を完全に変えてしまった。都市の景観自体も大きく変化させられていったが、都市環境や住宅環境に関する国民の考え方は、急激なインフレと所得の急上昇により、住宅は消耗品に根底から変えられていった。
現在、当時を振り返ってみると、この政策は日本の住宅・建築・都市文化を破壊した「文化大革命」であった。日本人の伝統的な住宅・建築・都市に関する歴史文化観や都市景観を完全に破壊してしまったからである。プレハブ住宅産業政策は、日本の既存の住宅・建築・都市を破壊しただけではなく、都市環境や住宅環境という住宅都市環境に関するわが国の歴史文化を破壊してしまった。
欧米に存在しない「建て替え住宅政策」とPIIGS諸国の豊かな住宅
PIIGS5か国には欧米諸国同様、中古住宅(ユーストハウス)という概念はなく、住宅は既存住宅(イグジスティングハウス)と言われ、経年することで生活に併せて住環境は改良され、経年しても住宅が老朽化するとは考えていない。コミュニティの居住者が主体性をもって経営する住環境によって、長寿住宅は、居住者本位のフレキシブル(柔軟)な生活環境が育っている。住民の生活に合わせたリモデリングが行われている。PIIGSで見られるリモデリングは、わが国のリフォームと呼ばれる新築に模した人目に目立つことを優れた住宅と勘違いさせる「差別化」改良工事ではない。PIIGS諸国では、住宅の設計・施工・経営に関係する人文科学としての歴史文化が生かされた生活に合った改善が居住者本位で行われ、既存の市街地を建て替える事業や中古住宅市場でのリモデリングは存在しない。
PIIGS諸国を含む欧米では、計画修繕と善良管理義務が果たされた住宅は経年劣化させないだけではなく、住宅に生活して人は必ずその住宅を自分の生活を豊かにするための改善であるから、「住宅は経年するごとに向上する」と考えている。住宅は経年劣化するとするわが国の常識は、PIIGS諸国の常識ではない。日本の社寺仏閣と同様に、バイキングの船大工が造った建築物は、木造建築であっても500年以上使われ、経年劣化するとは考えられていない。わが国ではGDP最大化の政策としてスクラップ・アンド・ビルドの経済政策を進めた結果、住宅そのものの品質を見ないで経過年数だけを聞いて、住宅の価値は経年した年数分だけ住宅の価値は減価償却すると間違って取り扱われている。日本では実際に建築物が老朽化したのではなく、取り壊す理屈として減価償却理論を持ち出したに過ぎない。
欧米と同様に住宅を利用すれば、日本でも欧米同様になるはずであるが、「経年した住宅は価値が下がる」と勘違いして粗末に扱うことで、住宅の価値を貶めてきた。わが国では都市再生・都市再開発政策で、鉄筋コンクリート造に建て替えられ、醜い鉄筋コンクリートジャングルをつくった政策が進められてきたが、その際のスクラップ・アンド・ビルド・を正当化することでGDPを拡大させ、経済的なフローの利益を拡大した。政治家、官僚、学者、産業界が、鉄筋コンクリート産業の走狗となって産業界の利益を追求した結果、わが国の国家建設の価値判断を特異なものにした。