BM第258号
BM第258号をお届けします
「アヒルたちは孵化したとき、最初に見たものを親と見る」そうです。同じことを私の住宅問題の考え方のなかに強く感じます。私が住宅問題を意識した最初はエンゲルスの「住宅問題」でした。その中で英国の住宅問題とそれを解決するために英国政府が取り組んだ対応を知って私は建設省に入省しました。英国労働党が取り上げた公営住宅制度をモデルと建設省住宅局で教えられ、最初に英国の公営住宅制度を学ぶように言われ、英国政府が発行『住宅要覧』が私の住宅問題の取り組みの原点でした。
1958年に教育基本法、1959年に警官職務執行法、1960年に日米安全保障条約が自然成立し、1961年政治暴力防止法が制定されました。1960年は日米安全保障条約な改定の自然成立する年では、大学では日米安全保障条約の改定を巡り、米国が貿易、関税、為替の自由化と炭鉱の閉山、農業構造改善を日本に強要し、対等の経済負担を要求してきたことに学生は怒り、朝から学生集会を開き、日米安全保障条約をめぐる議論を闘わせ、終了後市内へ、「安保反対」のデモ行進に出かけました。
当時の学生はマルクス、エンゲルス、レーニンの著作を読み、難解で理解できなくても、米国の要求に闘える理論武装のため、学習は学生の義務と感じていました。日米安全保障条約は、東南アジアでの米国の巨額な戦費により日本の軍需産業は利益を上げ、日本は応分の負担をすべきという要求を、米国の「新植民地政策」と批判し、その社会主義的理論武装が不可欠と考えていました。明治維新の松下村塾のように各大学は、大学の教師と学生たちは、一緒になってマルキシズムを学習していました。
私の場合、官僚になって住宅政策に取り組める道が拓かれたため、上野博著『日本の住宅政策』、西山 夘三著『日本の住宅問題』などを読み、官僚になったときの準備をし始めていました。入省後は、英国労働党のアトリーの住宅政策やニュータウン政策も勉強するように言われました。住宅局住宅建設課鎌田課長以下が翻訳した英国政府編集の『住宅要覧』が住宅局住宅建設課のロッカーに一杯あり、「困ったら、それを読め」と言われ、住宅政策の先進国英国と同じ住宅政策をしている気持ちでいました。
それ以来半世紀、住宅政策、住宅・建築・都市行政、住宅地開発事業、民間での住宅産業(住宅建設と建材流通)、海外と住宅都市整備公団での都市開発を経験し、その後住宅生産性研究会を創設し、NAHBと相互友好協定を締結し、米国における住宅地開発TND,ニューアーバニズムを調査研究し、日本国内への技術移転に取り組みました。英国と米国は、住宅・建築・都市に関し共通の英米法をもつだけではなく、その住宅・建築・都市に関する技術が相互に影響し合っていることを知りました。そこで本号特集では、私の半世紀間に学んだ英米の住宅の理論・技術を本号で紹介することにしました。
BM第258号
特集:3世紀かけて整備された住宅不動産形成の理論
2.インターナショナルアーツ&クラフツ:アーチボルド・ノックス
―--キムリック(ウエールズ)シガレットボックス、1903-0
3.カレントトピックス:
---「日本の家」1945年以降の建築とくらし
4.松尾憲親の「荻浦ガーデンサバーブ」住宅地経営奮闘記
---第6回「なぜ日本の住宅地の住宅の資産価値が上がらないのか」(3)
5.特集:3世紀かけて整備された住宅不動産形成の理論
英米の住宅資産が物価上昇以上に向上し続けている事実とその理論を調べてみると、1900年にエベネザーハワードが住宅の資産価値を向上させる発明として、住宅地経営を「3種の神器で行うこと」を「ガーデンシテイ」の著作と「レッチワース・ガーデン・シティ」において実践したことに始まる。米国ではその例に倣って、ラッセル・セージ財団がニューヨーク市クイーンズ地区で「フォレスト・ヒルズ・ガーデン」を開発し、そこにその職員クラ―レンス・A・ペリーに居住させ、「近隣住区論(ネイバーフッド・ユニット」の住宅地計画論をまとめ、その最初の実践をニューヨークシティコーポレイションがニュージャーシー州「ラドバーン」で実施した。
ラドバーン開発の事業経営は、カンザスしていで「カントリークラブの開発で「住宅による資産形成のモデル事業」を行ない、住宅による資産形成の基本条件をまとめたJ・C・ニコルズとチャールズ・アッシャーが、フリーホールドによる住宅地経営における「三種の神器」のシステムを取りまとめて実践した。しかし、その住宅地経営は1929年の世界恐慌の影響で途中で挫折させられ、事業規模は縮小を余儀なくされた。
第2次世界大戦終了後、英国では労働党が政権を奪取し、ハワードの「ガーデンシテイ」の理論をニュータウン政策として実践した。その住宅地の設計理論として、C・A・ペリーの「近隣住区論(ネイバーフッド・ユニット)」が採択され、その後のニュータウン開発と近隣住区論は一対の技術として世界的にも広がり、日本にも千里ニュータウンを皮切りに日本住宅公団の住宅地開発とともに拡大した。しかし、その住宅地開発は自動車の普及に伴う国民の生活空間の拡大によって破綻し、都市はドーナツ現象により都心も郊外も危険な環境に変質していった。
その都市を住民にとって安全で住みやすい環境にする取り組みが。DPZによるTND(トラディショナル・ネイバーフッド・ディベロップメント)(シーサイド)ピーターカルソープによる「サステイナブルコミュニティ(ラグナー・ウエスト)、マイケルコルベットによる「エコロジカルコミュニティ」(ヴィレッジ。ホーム)として取り組まれ、それらの先進的取り組みを総括して新しい住宅地開発の原則が「アワニー原則」である。その原則は、アル・ゴアによる「21政治の都市政策」として纏められるとともにスマートグロース、ニューアーバニズムとして、広く取り組まれることになった。
それらの3世紀にまたがる住宅地開発の歴史を振り返ると、ハワードの提唱した居住者が住みたくなる住宅地を、それぞれの文明の発達に合わせて読み替え人文科学的に発展させたものであることが分かる。本特集はその歴史を取りまとめたもの出る。
10.竹山清明の街並み講座
---古代闘技場などの遺跡と現代の都市空間
11.澁谷征教の住宅デザインのワンポイント(64)
---南町田マークスプリングの設計企画の裏話―6
12オランダ・アメリカ・日本の住宅(37回)
---20世紀の米国住宅産業を気付いた英雄たち(1)
14.「聖域なき構造改革」第41回:
---憲法違反立法の円滑化法の背景と円滑化違反事業
16.ア・フィールド・ガイド・トゥー・アメリカン・アーキテクチュア(113)(114)
---ヴィクトリアン様式の公共建築、商業建築
18。CM学習の原点に戻って(9)
---CMを構成するPEPSIの理論と実践(その2)
19「街づくり教科書」講座(第16回)
---都市公園と住宅の資産価値の関係
20.書籍注文・編集後記